あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

アクセス解析。。から振り返って。。。心の成人。。支配から導へ。。

2021年11月30日 09時34分04秒 | おかきさげ

このブログの、アクセス解析を何気に見たら、

タイトルに「心の守り、身の守り」が。。。この時に話したかった事。

この記事だけが表示された。

読み返してみると、2020年04月22日 16時39分28秒 | 思った事

去年の4月に書いたものである。 

思い返せば、一昨年の2019年11月 愛知一斉団参をした折に北礼拝場でおさづけを取り次がせて頂き、不思議を見せて頂いてから今日まで、不思議の連続である。

まぁ。このブログを見れば、私の人生そのものが不思議の連続のようなものと言えるだろうが。。。

もし、あの団参で不思議を見せて頂かねばと思う事が何度もある。

それは、社会の動きと親神様の思召しのはざまに立つ時である。

どちらを取るか決断を迫られるのである。

信仰するのにしても、ワクチンにしてもしかりである。

この4月に書いたものは、お守りの話から、梅谷四郎兵衛先生の「お守りはいらぬ」と教祖に言われた根拠から、教えのを守る事の大切さを伝えたかったのであった。

世間ではまだまだ、医者薬を頼りにしている。

医者薬は先日書いたと思うが、修理や肥なのである。

自分たちの身体の状態を知る事。植物や動物と同じように自分たちも作られている事を知る事が、最大の目的であろう。

それを理解できたならば、これら体を借りるために必要な心について考えるのが、次の段階だと思えるのだが、どうもそこへはなかなか行けないようである。

心通りの守護である。

心について研究せねばならないだろう。

ところが、心を操る、洗脳という方向へ行ってしまっているようである。

洗脳と心の成長とは全く異なるものなのだが、支配したいという欲望から、教え導きたいという愛情へ成人しない事にはならないのかもしれない。

お道のお話は奥が深い。

(とても簡単に、仮名の教えとして誰でも分かるように書かれているのだが。。。上面だけで分かった気になってしまい、深いところまで分かろうとしない人間の浅はかさも、近頃特に感じている)

これを説けば、万巻の書になると教祖は言われた。

世の中には様々な教えがあり、様々な事が説かれているが、「おふでさき」を読んでおけば良いと言われたところの意味が最近分かって来たように思う。

これを知っていれば、どんな話を聞いても、迷うことなく意味を理解し、それに対応できるという意味に思えて来たのである。

天理王命と言えば神名である。様々な神と同じように思えるが、親神様といえば様々ある神の親であると分かるだろう。

元なのである。

元を知っていれば、理解できて、正しい事、間違っている事の分別が出来るのである。

しかし、元を知らず、自分たちの考えから出発するから、間違っている事を正しいとして、どんどん悪事を重ねる人も出てくると思う。

もう一つ、「親神様」の親から、親になる事を学べと言われているように思う。

ただただ生んだだけでは親とは言えないのである。

特に、生物の頂点に立ち、生物を思うがままに出来る知恵を授かった我々人間は。

と思えるのである。

小説を書き出して、親神様の苦労をすごく思うようになった。

今日も一日楽しんで生きたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元の理を元にして。。創作してみた。。。創作リスト。。6話 追加

2021年11月28日 14時18分20秒 | 思った事

このブログは、現在、教理の話、お道の話、世間の事柄に対して教理的に思えることを記載する事にしている。

他に、フェイスブックの「長谷川喜郎」のアカウントでは、ユーチューブやニュース記事などで気になったものを共有して、記録として使っている。(ともかく忘れぬために使っているので、真偽のほどは定かではないが、これが後々、真を知るためにとても役に立つ。)

また、フェイスブックの「熱田分教会」のアカウントは、そうした中に、お道問わず残しておきたいと思うもの、知って貰ったらよいだろうと思う事を共有している。

さらに、その残しておきたいと思う事柄で、お道に関係しないもので記録しておきたいものを 「きたろう」として note に記載している。

先日、このブログに「おたまとかえる」で、物語を書いたが、それをきっかけにして、「元の理」を元にした創作を書いて見ることにした。

今日2021.11.27現在で4話まで書いた。

書きながら「元の理」がどれだけすごい話かと思っている。

そこで、ここにその創作リストを作成しておく。

 

「ある意識の苦悩」

6 知恵を授ける、人間の神の誕生

5 人間の姿の変化と世界の形成

4 人間の姿になるまでに

3 人間の進化と命あふれる世界の誕生

2 人間の誕生

1 神の誕生

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本部月次祭神殿講話からお屋敷変遷図。。そして。。

2021年11月28日 06時51分29秒 | 思った事

お屋敷の母屋取り壊しについて、11月の本部月次祭の神殿講話で話が出た。

その時に「復元」のお屋敷建物変遷図があった事をおもいだしたので、

ここに記しておく。

「復元」2号 教祖御伝稿案1 p59

庄屋敷図1部(明治10年頃)

ここに春日大社と池が書かれてあるが、これは現在の東礼拝場のすぐ東にあった三島神社と宮池である。
かんろだいの場所は動かないので、神殿(御神座)と北礼拝場のあたりが元々の中山家の土地と分かるだろう。

今回、この図を思い出したのは、「母屋取り壊し」についての話を聞いた事からであるが、母屋があった頃の図面が探せないので、まず、その経緯を知るために、年表を表示しておく。

教祖が月日の社になられて、2年後の天保11年、教祖43才の頃に「貧に落ちきれ」との思し召しにより施しが始まった。

その翌年、天保12年教祖44才の頃に「おびや試し」をされ、それからずっと施しを続けて、ついに、嘉永6年教祖56才の年に「母屋を取り壊して」売り払われた。

施しを始めてこの間が13年間、教祖が「月日の社」となられてからは15年目である。

この時、教祖は「世界の普請に取り掛かる祝って下され」と言われるが、周囲の人々はそのようには思えず、悲しんだのであった。

ここに親神様と人間との考えの違いが現れている。

どうして親神様は「祝ってくれ」と言われたのだろうか?また、母屋が存在するままで「世界の普請に取り掛かる」ことは出来なかったのだろうか?と思える。

この母屋が取りこぼされたのが、嘉永6年教祖56才の年で、次の年に、おびや許しを出されて、不思議を見せられるようになる。

それまでには、不思議は見せられておらず、常人が考えられない施しばかりをされて、気が狂ったかと思われており、そうではない事の証明をして、51才の時にお針子を取り、秀司先生は読み書きを教えている程度であった。

そしてまた、母屋を取払ったら住む場所はどうしたのか?という疑問も出てくるはずである。すべてを失くしたならば、露天で生活をする事になるからである。隠居所としていた離れだけは残されて、そこで生活をされていたとの事である。

そして不思議な助けによって、人々が段々と集まり、つとめ場所が出来るのが、元治元年、教祖67才の時であり、母屋が無くなってから11年が経っているのである。

つまり、母屋や蔵などがあった主な場所には何もなくなり、これから建つ「つとめ場所」や「ぢば定め」が行われる場所が確保されたと思われるのである。

次に示す元治元年の図をを見ると、「つとめ場所」以外の建物は、

(イ)初代管長様のご住居 建築年限 不明・・・1棟(隠居所)と
(ロ)6畳1間(ひとま) 艮(うしとら)の柱は堀立なり(4坪)・・・1棟

で、結構な空き地が出来ていた事が分かる。

ちょっと話がそれるが、

この隠居所で、教祖・秀司様・こかん様は生活をされて、人々に神様の話しを取り次ぎおたすけをされていたと思う時、普通の民家で、おたすけ人が神様のお話を取り次いで、不思議な助けを見せて頂く事と同じように思えて来た。

実は、この変遷図を思い起こすきっかけとなった神殿講話を、私は中庭のパイプ椅子で聞いていた。

このコロナ禍という事で、参拝者が減っていると言いながらも、中庭中に並べられたパイプ椅子にどれだけ多くの人がいた事だろか。

この元治元年の時のお屋敷に、これだけの人々が集う事が出来ただろうか。と思った時、これだけの境内地に拡張されていて本当に良かったと思った。

神殿・礼拝場にしても、「つとめ場所」のままであったら、どれだけの人も入れないだろう。畳一畳に一人ずつと、感染対策のために間隔を開けても、全礼拝場には3000名ほどの人が入れるのである。

境内地以外の神苑をも合わせたら、すごい人が集える状況になっていると思えたのである。

つとめ場所が出来る時、棟上げの時に、「大和神社のふし」が起こり、神社からの訴えで当時の警察の役をしていた者に捉えられて、せっかく集まった信者もいなくなったのである。

これも一つの弾圧であり、その後も度重ねて弾圧の中を乗り越えて今日がある。

このコロナ禍も、政治によって制限が掛かり、自由に集えなくなっている。
まさしくこれも一つの弾圧と見ることが出来るだろう。

その中での人々の心根を、親神様は見定めているのである。

以下に資料を提示しておく。

教祖の時代を思い起こし、信仰の肥やしになればと思う。

・・・・・・

「復元」11号より、 お屋敷変遷図 p52~55と説明文 p48~51より、建物詳細を書き出しておく。

その後に、説明文すべてを記しておく。

・・・・・・・・・

【元治元年 つとめ場所御建築当時の図】

敷地坪数 208坪5合
 内 表前間口 6間半  奥行 9間(58坪5合) い印
   同後間口 10間  奥行 15間(150坪) ろ印
  但し 総奥行き 24間

建物

 (イ)初代管長様のご住居 建築年限 不明・・・1棟
      間口4間半、奥行き3間半(15坪7合5勺)
      8畳6畳の2間(ふたま)
       但し 竈(かまど)、洗元、厠(かわや)もこの棟内にあり

 (ロ)6畳1間(ひとま) 艮(うしとら)の柱は堀立なり(4坪)・・・1棟

 (ハ)おつとめ場所 元治元年の御建築 平屋 瓦葺・・・1棟
     間口3間半奥行6間(21坪)
      他に半坪の出べそ、東南には縁付8畳3間(みま)の内奥1間(ひとま)は上段の間にて、半坪の出べそ共、1坪の神床あるをもって、7畳となる。
      後に半坪の出べそ取払い、神床を間中に2間(ふたま)の通しとなるをもって、6畳となる。
     6畳の間3間(みま)、但し空風呂の当時、1間(ひとま)を庭となる。

 

・・・・・・・

【明治8年 門屋御建築当時の図】

 (二)表門家 明治8年の御建築 平屋 瓦葺両妻入母屋建・・・1棟
     間口6間半、奥行き2間半(16坪2合5勺)
      附 1間に4間庇屋・2間に間中の縁側

     教祖のお居間10畳の内3畳の2重台あり、他に床・押し入れ2カ所ある
      但し つとめ場所への連絡に、長6間幅1間の渡り家あり
     表門は間口2間の左右の引き戸なり
     窓無し蔵 10畳なり、その翌9年に空風呂場

・・・・・・・・・

【明治9年から明治16年まで 二階客間及び土蔵、御教祖御休息所建築当時の図】

 (ホ)小2階家 明治12年の建築 2階建 瓦葺・・・1棟
     間口6間、奥行き2間、延べ坪(24坪)
      但し 前に6間2間(ふたま)中の縁付く

 (へ)土蔵 明治13年より14年に至る御建築・・・1棟
     桁行4間弱、梁行き2間半弱、延べ坪(20坪弱)

 (ト)御休息所 明治15年より16年に至る御建築 平屋 瓦葺妻入母屋建・・・1棟
     間口2間半、奥行き3間半(8坪7合5勺)
      附 東北に廻り縁側付けなり
     上段の間は、長4畳にて他に床・袋棚あり、前8畳他に押入れ2カ所あり
      但し 御風呂は押入れ中にありしも、後に持ち出すなり

・・・・・・・

【明治21年神床及び祭場御増築、事務所増築当時の図】

 (チ)祭場 明治21年御建築 平屋 瓦葺切妻建・・・1棟
     間口3間半、奥行き4間半(15坪7合5勺)
     神床1間に間中に祭段2間に1間なり

 (リ)事務所 建て増し平屋瓦葺・・・1棟
     間口2間、奥行き1間半(3坪)
     但し 6畳1間(ひとま)に押入れ打回り縁側なり

・・・・・・

図の説明文「復元」11号 p48~51

「お屋敷建物変遷図について(自 元治元年  至 明治21年)
    桝井孝四郎

 このお屋敷の図面は、私が集成部におらせて頂いていた時に、小松駒吉先生と共に作製させて頂いたものです。と申しますのは、小松駒吉先生は、前に大工の経験のあるお方であり、教会本部設置当時にも、いろいろと御本部の大工仕事もして下された方でありました。私が集成部にて、お屋敷の間取りのお話を、御母堂様から聞かして頂いていた時に、大工の頭のない私共には、どうもうまく図面が書けませんし、「御母堂様が口でおっしゃるように、うまく間取りをいれるという事もなかなかむつかしいものです。」というような事を言いますと「小松さんに相談しいや、小松さんなら、おまはんの言うように上手に入れてくれるがな」と御母堂様がおっしゃって下されました事があって、幸いに私もその当時小松先生に、集成部の仕事の時にて、お邪魔をしたり、また集成部へ来てもらったりもしておりましたので、早速その相談を持ちかけました。先生も喜んで相談に乗って下されるし、いろいろその事についても研究もしていて下されていたので、良い具合に出来上がりました。もちろんこの図面の中には、御母堂様はもちろんのこと、当時おられた高井猶吉先生、宮森与三郎先生、その他いろいろと聞かせて頂ける古い方々には十分にお話も聞かせて頂いて、出来上がったものであります。
 (この図面の直接の筆者は、御津大教会役員で建築技師の河尻五平氏である)

お屋敷建物説明書

自 元治元年、 至 明治21年お屋敷創造地絵図略記

敷地坪数 208坪5合
 内 表前間口 6間半  奥行 9間(58坪5合) い印
   同後間口 10間  奥行 15間(150坪) ろ印
  但し 総奥行き 24間

建物

 (イ)初代管長様のご住居 建築年限 不明・・・1棟
      間口4間半、奥行き3間半(15坪7合5勺)
      8畳6畳の2間(ふたま)
       但し 竈(かまど)、洗元、厠(かわや)もこの棟内にあり

 (ロ)6畳1間(ひとま) 艮(うしとら)の柱は堀立なり(4坪)・・・1棟

 (ハ)おつとめ場所 元治元年の御建築 平屋 瓦葺・・・1棟
     間口3間半奥行6間(21坪)
      他に半坪の出べそ、東南には縁付8畳3間(みま)の内奥1間(ひとま)は上段の間にて、半坪の出べそ共、1坪の神床あるをもって、7畳となる。
      後に半坪の出べそ取払い、神床を間中に2間(ふたま)の通しとなるをもって、6畳となる。
     6畳の間3間(みま)、但し空風呂の当時、1間(ひとま)を庭となる。

 

 (二)表門家 明治8年の御建築 平屋 瓦葺両妻入母屋建・・・1棟
     間口6間半、奥行き2間半(16坪2合5勺)
      附 1間に4間庇屋・2間に間中の縁側

     教祖のお居間10畳の内3畳の2重台あり、他に床・押し入れ2カ所ある
      但し つとめ場所への連絡に、長6間幅1間の渡り家あり
     表門は間口2間の左右の引き戸なり
     窓無し蔵 10畳なり、その翌9年に空風呂場

 (ホ)小2階家 明治12年の建築 2階建 瓦葺・・・1棟
     間口6間、奥行き2間、延べ坪(24坪)
      但し 前に6間2間(ふたま)中の縁付く

 (へ)土蔵 明治13年より14年に至る御建築・・・1棟
     桁行4間弱、梁行き2間半弱、延べ坪(20坪弱)

 (ト)御休息所 明治15年より16年に至る御建築 平屋 瓦葺妻入母屋建・・・1棟
     間口2間半、奥行き3間半(8坪7合5勺)
      附 東北に廻り縁側付けなり
     上段の間は、長4畳にて他に床・袋棚あり、前8畳他に押入れ2カ所あり
      但し 御風呂は押入れ中にありしも、後に持ち出すなり

 (チ)祭場 明治21年御建築 平屋 瓦葺切妻建・・・1棟
     間口3間半、奥行き4間半(15坪7合5勺)
     神床1間に間中に祭段2間に1間なり

 (リ)事務所 建て増し平屋瓦葺・・・1棟
     間口2間、奥行き1間半(3坪)
     但し 6畳1間(ひとま)に押入れ打回り縁側なり

以上。

世界はまだまだ混迷を続けるだろう。

世界には沢山の教えがある。宗教がある。

また、沢山の学者があり、研究が発表されている。

これらすべては「修理や肥に医者薬を」と言われた修理・肥と考えることが出来るだろう。

何のための修理・肥か。。

陽気ぐらしを実現できる人間にと成人するための「修理・肥」だと思う。

これらを「修理・肥」として吸収するためにも、教祖の教え「かしもの・かりもの」が重要だと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い方が違っていました。。。修理と肥について。。

2021年11月25日 13時00分43秒 | 正文遺韻抄

『復元』をグループへアップしており、今(2021.11.25)で10号が終わった。

この10号の最後に以下の記事が掲載されている。

これは、『正文遺韻抄』では、「信心するは、立毛作るもおなじ事」という題名で掲載されている。

題名が違うだけで内容は同じなのである。

これまでこれは何度も読んでいた。ところが、『復元』に掲載されたものを読んで、自分がこれまで勘違いをしていた事に気が付いたのである。

何という事か!!

と思い、ここに記録しておく。

信心するは、立毛作るもおなじ事 (『正文遺韻抄』p228現代文に書換)

 信心するは、立毛作るも同じ事。今、立毛作るには、種を蒔いても、修理せねば、外の草がしこって(14)(茂って)、訳もわからないようになり、また、肥をしなければ、成人もない。成人なければ、花も咲かない。実もなりそうなことはない。
 今、話を聞いて成程と、心を留めるのは信心の始まり。立毛なら、種を蒔くようなものや。「だんだんと、話」という。聞いた上にも聞いて、おいおいと、理を治めるのは、修理のようなもの。理を聞きわけて、道を尽くすは、それ、肥という。肥を置くようなもの。
 そこで尽くすだけの、効能は、天より与えて下さる。立毛なら、実がなったようなものや。

 そこであるからして、たとえ、二十年、三十年前に、信心をしかけたというても、その間、聞かぬ上にも話を聞かず、また、道を尽くさんと言うばかりではない。話を聞かんから理がわからずに、天の理に適うことはなく、よこしまな道に、踏み被りているようであれば、二十年、三十年やない、たとえ、百年、二百年経とうとも、花の咲きそうな事もなければ、実のなりそうなこともない。年限経つほど、枯れるばかり、くさるばかりであろう。

とある。

これまで、修理や肥をする人を、おたすけをする人とばかり思って、この話を読んでいたのである。

ところが、今回読んでみて、おたすけをする人ではなく、される人、信仰する人本人が行う事だと思えたのである。

書き換え文であるが、その思うところを示してみる。

まず、

信心するは、立毛作るも同じ事

といわれている。ここには主語が無いのである。

この修理や肥という言葉は、丹精という言葉と共に良く使われる。

この丹精という言葉は、「信者さんを丹精する」などと、会長やおたすけ人が、まだまだ信仰・信心が未熟な方に対して行う言葉として使われる。

そこで、この修理・肥もその丹精と同じように、まだまだ、信仰・信心が未熟な方への行いの言葉と思い込んでいたのである。

ところが、

今言ったように、この言葉には主語が無い。

そうした時に、「信心するのは誰か?」という事が浮かんできた。

信心するのは、神様を信じた人すべての人間である。

おたすけをする人とは限らない。と思えたのである。

すると、目の前が途端に明るくなった感じがした。

さて、

今、立毛作るには、種を蒔いても、修理せねば、外の草がしこって(14)(茂って)、訳もわからないようになり、また、肥をしなければ、成人もない。成人なければ、花も咲かない。実もなりそうなことはない。

ここの部分は、農作業に例えて、修理・肥の必要性を述べられているだけであるが、次である。

 今、話を聞いて成程と、心を留めるのは信心の始まり。立毛なら、種を蒔くようなものや。「だんだんと、話」という。聞いた上にも聞いて、おいおいと、理を治めるのは、修理のようなもの。理を聞きわけて、道を尽くすは、それ、肥という。肥を置くようなもの。

信心の始まりについて、

今、話を聞いて成程と、心を留めるのは信心の始まり

と「信仰の始まりの定義」を示されている。

つまり、神様の話を聞いても、なるほどと心に留まる事が無かった場合、それは信心が始まったとは言えないと言えよう。

そして、それを農作業に例えた時に「立毛なら、種を蒔くようなものや。」と言われているのである。

この時に、「なるほどと思ったのは誰か?」と考えた時に、おたすけをする人ではなく、神様の話を聞いたすべての人であると思えたのである。

つまり、この主語は、話を聞いてなるほどと思った、信心を始めた人すべてという事になり、その次に、

「だんだんと、話」という。聞いた上にも聞いて、おいおいと、理を治めるのは、修理のようなもの。理を聞きわけて、道を尽くすは、それ、肥という。肥を置くようなもの。

とあり、「話を聞いた上にも聞いて、段々と、その話の理を心に治める事を修理のようなもの」と言われるのである。

さらに、「話の理を治め、その理を聞き分けて、道をつくす事が、肥となり、それは肥を畑にまくようなもの」と言われるのである。

つまり、なるほどと感心して、信心を始めても、話を聞かなかったならば、修理は出来ていない事になり、いくらおたすけ人が助かって欲しいと思って、話を聞かそうと思っても、その人が聞かなければ、修理は出来ないという事になる。

つまり、この修理をするのは、神様の話を聞いた人その者であり、

その上で、話の理を心に治めるのも、その人本人なのである。

となれば、肥を蒔く事をするのも、本人である。

ここには「道をつくす」ととても簡単に書いてあるが、

道をつくすとは、教えを実行するという事であろう。

本人が教えを実行する事で、その行いが肥となって、自分の心を成人させる、運命を良くするための「肥蒔き」でもあるという事になる。

そして、

そこで尽くすだけの、効能は、天より与えて下さる。立毛なら、実がなったようなものや。

そして、そのように肥を作り、肥を蒔いたその結果は、天の神様が与えて下さり、それは農作物に例えれば、実がなったようなものである。

と言われるのである。

実とは、実際には、それぞれの望み通りになって行くという事だろう。

この点をしっかりと考えなければならないと思ったのである。

「神様の話を自ら求める事」「聞いた上にも何度でも聞く事」そして「聞いた話を実行する事」これが何よりも大切な事だと思ったのである。

そして最後に

 そこであるからして、たとえ、二十年、三十年前に、信心をしかけたというても、その間、聞かぬ上にも話を聞かず、また、道を尽くさんと言うばかりではない。話を聞かんから理がわからずに、天の理に適うことはなく、よこしまな道に、踏み被りているようであれば、二十年、三十年やない、たとえ、百年、二百年経とうとも、花の咲きそうな事もなければ、実のなりそうなこともない。年限経つほど、枯れるばかり、くさるばかりであろう。

と、なるほどと得心をして信仰を始めたとしても、年数ばかりではならないという事を言われているのである。

これを丹精という言葉と対に使うとした時、

おたすけする人に、神様のお話を取り次げるだけのものが無ければ、修理肥のための話をする事が出来ずに、丹精以前の話になってしまうと思ったのである。

やはり何よりも、神様の話を求め、そして実行して、神様に話しを取り次げと言われる人になる事。

これが何より大切な事だと思ったのである。

 

今日も、神様の話を元に一日を通りたいと思います。

おぢばに向かう近鉄電車の中で記しました。

何かの参考になれば幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大教会の月次祭にて。。。

2021年11月24日 07時56分26秒 | 思った事

11月23日は大教会の11月の月次祭であった。

その前日は、前会長様の5年祭を行った。

この年祭を行うに当たり、どのようにするか大教会長さんの思いを元に、何度も会議を行い、無事に行う事が出来た。

年祭当日は雨、本当に久々の雨である。それも結構しっかりと降ったのである。

この年祭を機に、祭典での雅楽が復活された。

月次祭当日は、お天気となり、思いのあるおつとめ奉仕者、参拝者がつとめ、世話人先生のお仕込みを聞かせて頂いた。

 

このコロナのこれまでを思うと、全く白紙にされて、一からこれまで行ってきたことの意味を考えて、一つずつ組みなおしているように思われる。

それも、時旬に応じて順番に。

次は、月次祭の食事について、信者さん方のひのきしんについてであろう。

 

私としては、数日前から、「元の理」を元に、思い浮かぶままに小説を書き始めた。

ある意識の苦悩ー1|きたろう|note

書き始めて様々な事に気が付いている。

月次祭では前半のおてふりであったが、その元の理のお話が思い浮かんできて仕方が無かった。

ところが、お手を間違えることは無かったのである。

よそ事を考えると間違える事が常で、不思議だと思いながらつとめさせて頂いた。

親神様のお働きを頂いて我々は生かされ、そして様々な事を学び、陽気ぐらしへの歩みを進めている。

この根本をしっかりと忘れずに、今日も一日楽しんで生きたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日続けざまに出て来た動画について。。。親神様の思いは。。

2021年11月19日 23時00分13秒 | 思った事
先日書いた文章に追記して、再度別物として投稿する。
Facebookなどで、検閲削除対象になる可能性があるため、伏せ字で投稿する事をご了承ください。
 
私は、「親神様・教祖の導きのままに通らせて頂きます」と心定めて今日まで来た。
 
今日は、次々に新コロのワ◎陳接種の動画が次々と出て来て、ついにワ◎陳の成分について、詳細に説明している動画を共有した。
 
 
様々な情報をつなぎ合わせて、動画と同じような事を思って今日まで来た。
しかし、これらを自分の口からは到底言えない。
また、その証拠たるものは、自分の観点からつなぎ合わせたものであるから、絶対とは言えないので、
ただ、「5年後どうなるかわからないから。」とだけ、注意する形で話をしてきた。
 
私が危惧するのは、こうした話を聞いて自暴自棄になる人が出てこないかという事である。
西洋の人々は、自分が生きるという事についてそれぞれに結構執着があると思うが、日本人は周囲がそうするならば、自分一人だけでは。。。という心になりやすい。
 
実際に、危険だと知っていても、自分だけ残るのは嫌だとして、家族と同じ行動をする人もいる。
これが極限に置かれた人間の心理の一つであろうと思う。
 
ワ〇陳について「バクチン」と言う「まーてる先生」の動画を以前共有したが、まさしく博打であろう。
これは同じワ〇陳であっても、治験中であって濃度が違っていたり成分が違っているという意味である。
 
そしてさらに、先ほど3回目の接種をした人々が次々と体調不良を起こして、学校が休みになったとのツイッター情報を見て、先ほどのノートに追記した。
先の動画を見れば、どれだけ危険なものか分かると思う。
 
さて、お道の教えからこうした事を思案しながら今日まで来わけだが、
世界の事情からどんどんと日本に同じ事が迫ってきているのである。
(国によってはすでにワ◎陳は中止して、パンデミックが治まっているとこもあり、「イベルメクチン」を配布して治まっているところもある。しかし、日本は違う。)
 
ようやく先日の自民党の総裁選挙から「マスメディア」の異様さに人々が気がつき始め、衆議院選挙では国防が話題となって自民党が過半数を獲得したわけだが、この時点ではまだまだこの「ワ◎陳」の事はほとんど無視されて、この話題をだすと、自民党を押す人々の中でも左派といわれるありさまだった。
 
海外とくにアメリカではこの事については、裁判が開かれて到底「ワ◎陳とは言えない」という判決も出ている状態であるが、それでも政府は強制的に接種を進めているのである。
 
そして民衆は、その政府のやり方はおかしいとして、デモを行なったり、接種拒否の行動をしているのである。
 
こうした事を考えてると、以前に書いたように「遠くから事情や身上は寄ってくる」という話し通りだと思っている。
 
さて、
このブログは天理教の人以外も見ることが出来る。
天理教であっても、悟りはそれぞれなので、今の状況でどのように考えているかはそれぞれであろう。
天理教も一時期、政治に関与するために、政治家を出していた事がある。
その時には公明党と肩を並べるくらいの勢いがあったそうである。
しかし、2代真柱様はそれを取りやめて今日に至っている。
 
私はそれで正解だと思う。
教えは一つでも、悟り方や境遇によって考え方や方向性は異なるのである。
だから、同じ日本であってもそれぞれが推す政治家や政党が異なっても良いのである。
 
反対に、それを通して、真の話し合いが出来、真の陽気ぐらし世界実現に向かうのだと思っている。
 
そうした中に、2代真柱様から代が移り変わり今日では、「さんさい心」「素直に」という事ばかりが強調されて、自ら思案して行動するという事がないがしろにされてきたように思われる。
 
以前にもこのブログで書いたと思うが、おふでさきの最後に「思案頼むで」という言葉がある。この思案をせずに、上の人の言われるままに歩む事を良しとして、自分で考える力を失ってはいないかと思うのである。
 
そして先ほど書いた「話し合い」については、どのようにしたら良いか「おさしづ」にも示されている。
 
ところが、今の世界情勢は、話し合いではなく、心理戦であり、立法戦であると思われる。
まったく親神様の思いとはかけ離れた状況にあろう。
 
そうした中に生活する我々はどうすべきか、それを考える必要があると思う。
それを教祖のひながた、先人の足取りから求めるべきであろう。
 
自分なりに考えるところはあるがうまくまとまらない。
 
ともかくすべては「かしもの借りもの」である。
心ひとつが我がの物である。
 
教祖は警察に対しても厳として、引かれる事もなく臆する事も無かった。
「法律には叶わない」と言ったのは人間の方である。
その時に、「心定めの人衆定め」と言われて、おつとめを急き込まれたのである。
 
問題は心であろう。
心ひとつで、医者が助からないという身上が助かるのである。
ここをしっかりと心しておく事が一番重要であろう。
 
事情無ければ治まらないのである。
そして治まったら定めるのではなく、
定めて治まるのである。
 
三回目の接種が公表されているが、
ワ◎陳を打って、多くの方が亡くなり副反応で苦しまれる話を聞く中に、副反応が無かった事が当然ではなく、幸いであったと思う事が重要で、2度ある事は3度あるではないが、3度目はどうなるか分からないと、心して決めるべきだと思う。
 
また、職場で接種しなければ解雇するという圧力があるとの事、もしそうした事があれば、人権の弁護士に相談するようにと、動画でも話している。
どうぞ、それぞれの心を強く持って、判断されますように。。。
 
 
親神様・教祖、どうぞ大難は小難に、小難は無難にとお守りくださいませ。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食べるという事について。。投稿から書いたコメントの記録。。今日思う事

2021年11月19日 12時58分22秒 | 思った事

先日「食べる」という事で以下の記事を目にした。

記事リンク

書かれたのは、伊藤義昭さんである。
たくさんある、フェイスブックの友人の中で、この方の投稿がとても良く出てくる。
そして、一度見たら二度と出てこない記事が多い中、なかなか消えず、何度でも出てくるのである。
そして、コメントをすると出て来なくなる。
そうした中の一つの投稿である。
 
以下、投稿の記事。。。。
 
張り子の鬼吉、オラ鬼じゃ、涙の怒り
さいとうたかをが 池波正太郎原作の 鬼平犯科帳で〔張り子の鬼吉〕を掲載した
重い 課題を 突き付けられた、、
天明の大飢饉は 施政の悪さもあり 餓死者が 大量に出た、、その時 少年であった男は 死に瀕した母から、、お前は 絶対に死んではいけない、、!
、、お母ちゃ死んだら、、かまわぬ お母ちゃの 肉 食いへ、、いいから オメは生きろ!!なんだかしても 生き抜け!、それが母ちゃんの望みだ、!頼んだで、頼んだでな、!!、やがてして
、、オラ鬼じゃ!、、盗賊になった、、鬼平が追う、、束縛された仲間が云う、、、江戸で ぬくぬくと暮らす奴に 畜生呼ばわりされたくねぇじゃう!!云っても分からねさ、おめ様方には な、、鬼吉は 捕まらねぇ、、この先も 地獄さ背負って生き延びる、、と、、
アンデス山中へ不時着遭難し 生き残った話しは有名です、、、
、、人肉を食う、、戦地でも それはあった、、目をそむけることはならない、、さて 輸血、臓器移植等はどう考えるか、、、
死体は 全て 自然へ還元、還流され 他の生命の源となる、、動物には 共食いも有る、、嫌悪はあるが 何か 必然があるのかも知れない、、
悲しい現実を見る、、死体はすでに 生きてはいない、還元、還流の途に入った、、、
この文明世界に今だ飢餓が有る
生き残りといえば 国家、民族、経済、会社にも 勝敗の闘争がある、、、
 
 
・・・・・・
とても重たい話題と思い、コメントを書かずにいたが、先に書いたように数度出て来た。
そして、意を決して以下のように書いた。
 
思い浮かぶままに、調べながら書いたのだが、とても重要な事を書いたと思い、ここに記録しておく。
・・・・・・・・
以下、私が書いたコメント。。。
 
とても重たい話題になって来ましたね。
元の理で道具となったカレイや黒蛇などをクニトコタチ様やオモタリ様は食べられて心根を味わいとあります。その前段階には、人間を創る道具となってもらいたい、子数の年限が経ったならば神として拝をさせようと約束をして、「承知をさせて」食べて道具とされているのです。
ただ食べるという事だけならば、弱肉強食で生きるために、強いものが弱いものを食べるでしょう。これが理だと思います。
ところが、この時、動物は必要以上には食べません。殺さないのです。
人間はどうでしょうか?
必要以上に殺し、食べずに廃棄していないでしょうか?
動物と人間との違いは、本能だけで動くか、知恵を使って動くかによるとも思えます。
また、話に出て来た、飢餓に瀕した親子の話では、食される事を承知をしている点であります。我が子のためにです。
では食す子供の心はどうでしょうか?
多分、泣きながら親の思いをつなぐために食したのではないかと思えるのです。
この二つの心には憎しみも何もないでしょう。
しかし、自分の意に沿わず殺されるならばどうでしょうか?
ここには恨みや憎しみが残らないでしょうか?
命をつなぐために食す事は必然的な事でも、その心、これがとても重要かと思います。
「菜の葉一枚無駄にしてくれるな」という教祖のお言葉は有名です。
さすれば、必要以上の殺生はならないと、これも同じようにつながる話だと思います。
また、逸話編にありますが、小魚を召し上がる時には、
『教祖は、その中の一番大きそうなのをお取り出しになって、子供にでも言うて聞かせるように、
「皆んなに、おいしいと言うて食べてもろうて、今度は出世しておいでや。」
と、仰せられ、それから、お側に居る人々に、
「こうして、一番大きなものに得心さしたなら、後は皆、得心する道理やろ。」
と、仰せになり、更に又、
「皆んなも、食べる時には、おいしい、おいしいと言うてやっておくれ。人間に、おいしいと言うて食べてもろうたら、喜ばれた理で、今度は出世して、生まれ替わる度毎に、人間の方へ近うなって来るのやで。」
と、お教え下された。』
とありますので、食す時の心が重要かと思います。
こうした心なく日頃食している自分を反省させて頂きました。
ありがとうございました。mm
 
・・・・・・・
 
話は変わるが、
私は、「親神様・教祖の導きのままに通らせて頂きます」と心定めて今日まで来た。
 
今日、ついにワ◎陳の成分について、詳細に説明している動画を共有した。
 
 
様々な情報をつなぎ合わせて、動画と同じような事を思って今日まで来た。
しかし、これらを自分の口からは到底言えない。
また、その証拠たるものは、自分の観点からつなぎ合わせたものであるから、絶対とは言えないので、
ただ、「5年後どうなるかわからないから。」とだけ、注意する形で話をしてきた。
 
私が危惧するのは、こうした話を聞いて自暴自棄になる人が出てこないかという事である。
西洋の人々は、自分が生きるという事についてそれぞれに結構執着があると思うが、日本人は周囲がそうするならば、自分一人だけでは。。。という心になりやすい。
 
実際に、危険だと知っていても、自分だけ残るのは嫌だとして、家族と同じ行動をする人もいる。
これが極限に置かれた人間の心理の一つであろうと思う。
 
ワ〇陳について「バクチン」と言う「まーてる先生」の動画を以前共有したが、まさしく博打であろう。
これは同じワ〇陳であっても、治験中であって濃度が違っていたり成分が違っているという意味である。
 
そしてさらに、先ほど3回目の接種をした人々が次々と体調不良を起こして、学校が休みになったとのツイッター情報を見て、先ほどのノートに追記した。
先の動画を見れば、どれだけ危険なものか分かると思う。
 
さて、お道の教えからこうした事を思案しながら今日まで来わけだが、
世界の事情からどんどんと日本に同じ事が迫ってきているのである。
(国によってはすでにワ◎陳は中止して、パンデミックが治まっているとこもあり、「イベルメクチン」を配布して治まっているところもある。しかし、日本は違う。)
 
ようやく先日の自民党の総裁選挙から「マスメディア」の異様さに人々が気がつき始め、衆議院選挙では国防が話題となって自民党が過半数を獲得したわけだが、この時点ではまだまだこの「ワ◎陳」の事はほとんど無視されて、この話題をだすと、自民党を押す人々の中でも左派といわれるありさまだった。
 
海外とくにアメリカではこの事については、裁判が開かれて到底「ワ◎陳とは言えない」という判決も出ている状態であるが、それでも政府は強制的に接種を進めているのである。
 
そして民衆は、その政府のやり方はおかしいとして、デモを行なったり、接種拒否の行動をしているのである。
 
こうした事を考えてると、以前に書いたように「遠くから事情や身上は寄ってくる」という話し通りだと思っている。
 
さて、
このブログは天理教の人以外も見ることが出来る。
天理教であっても、悟りはそれぞれなので、今の状況でどのように考えているかはそれぞれであろう。
天理教も一時期、政治に関与するために、政治家を出していた事がある。
その時には公明党と肩を並べるくらいの勢いがあったそうである。
しかし、2代真柱様はそれを取りやめて今日に至っている。
 
私はそれで正解だと思う。
教えは一つでも、悟り方や境遇によって考え方や方向性は異なるのである。
だから、同じ日本であってもそれぞれが推す政治家や政党が異なっても良いのである。
 
反対に、それを通して、真の話し合いが出来、真の陽気ぐらし世界実現に向かうのだと思っている。
 
そうした中に、2代真柱様から代が移り変わり今日では、「さんさい心」「素直に」という事ばかりが強調されて、自ら思案して行動するという事がないがしろにされてきたように思われる。
 
以前にもこのブログで書いたと思うが、おふでさきの最後に「思案頼むで」という言葉がある。この思案をせずに、上の人の言われるままに歩む事を良しとして、自分で考える力を失ってはいないかと思うのである。
 
そして先ほど書いた「話し合い」については、どのようにしたら良いか「おさしづ」にも示されている。
 
ところが、今の世界情勢は、話し合いではなく、心理戦であり、立法戦であると思われる。
まったく親神様の思いとはかけ離れた状況にあろう。
 
そうした中に生活する我々はどうすべきか、それを考える必要があると思う。
それを教祖のひながた、先人の足取りから求めるべきであろう。
 
自分なりに考えるところはあるがうまくまとまらない。
 
ともかくすべては「かしもの借りもの」である。
心ひとつが我がの物である。
 
教祖は警察に対しても厳として、引かれる事もなく臆する事も無かった。
「法律には叶わない」と言ったのは人間の方である。
その時に、「心定めの人衆定め」と言われて、おつとめを急き込まれたのである。
 
問題は心であろう。
心ひとつで、医者が助からないという身上が助かるのである。
ここをしっかりと心しておく事が一番重要であろう。
 
事情無ければ治まらないのである。
そして治まったら定めるのではなく、
定めて治まるのである。
 
三回目の接種が公表されているが、
ワ◎陳を打って、多くの方が亡くなり副反応で苦しまれる話を聞く中に、副反応が無かった事が当然ではなく、幸いであったと思う事が重要で、2度ある事は3度あるではないが、3度目はどうなるか分からないと、心して決めるべきだと思う。
 
また、職場で接種しなければ解雇するという圧力があるとの事、もしそうした事があれば、人権の弁護士に相談するようにと、動画でも話している。
どうぞ、それぞれの心を強く持って、判断されますように。。。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人気が出る。。。真実と人気とは違う。。本部認可。

2021年11月14日 16時19分57秒 | 思った事

人気が出ると、有名になる。

有名になると。。。お金が儲かる。。という感じが一般的だろう。

だから誰しも有名になりたいと思うものである。

この「人気」。

どうして人気が出るのかと考えた時に、良いと思う人が増える事が第一の事で、昔はそれが予測できなかった。

ところが今では、テレビやネットの情報などにより、人気になるように大衆にしかけているのである。

美しい人を出して、おいしそうに食べる様子を映して、大ヒット中という言葉を出して、人心を誘うのである。

そしてさらに、そうした事に関心が無いと「時代遅れ」などという言葉で気の無い人の気を引こうとするのである。

 

天理教の歴史を考えると、弾圧弾圧の歴史なのである。

その原因は何か、教祖の教えが人心に理解されず、反対に政治的な人々に不都合だったからである。

教祖やおたすけ人から不思議なたすけを頂いても、周囲の反対に沿って、弾圧に加担した人々も多かったのである。

 

「人気」でおさしづを検索したところ、次のものが出て来た。

No.  :(1巻174頁6行)
明治21年6月19日 
『東京に於て増野正兵衞詰合中身上障り、松村吉太郎も同様に付、両人より願う時の増野正兵衞へのおさしづ』
さあ/\早く尋ね一つの返事、さあ/\身の処心得ん。尋ねるどういう事を諭す。又々不足あちらこちら思う一条、大望理を受け、大望と思う、大望世界長い。身上聞いて銘々事情運ぶ。世界事情運ぶとも、一つ難しい。神一条神の働き見える見えんはない。先々所や。銘々は忘れんがため、一つ控え付ける処、一つ日々掛かる理見える。日々聞いた理を聞かせ。先々先一つ一時世界という。一つ神一条、多く世界の理が立つか立たんか一つの理、見え来る理、早く定め。難しい成るも成らんも日がある。心の道の運ぶ、日々までの一つの道、難しいではない。世界大きい一つ思案、世界の理だけの事、神一条の理は成る成らん、たゞいつであるようなと。神がいずみ、神一条いずみ、人が頼り多く、人運ぶ人気大き心を早く思案立て替え。銘々一条取り直し、それ/\゛道のためなら世界一条、神の自由早く取り替え。思う身も何も恐れるではない。真実定めて風の用意胸にある。神一条これまで聞いたる話を、大きな心と立て替えて、心を治め居よ。

(風の用意とは風が吹けば風の用意せねばいかん、つまり心を大きに持って落ち着く事と考えます)

『右同時、松村吉太郎居所及胸悪しきに付伺』
さあ/\同じ一つ事情、通る/\一つ談示神一条、今一時世界を取り扱い、世界の思案要らん。神一条通り難くい、世界広い道は通り難くい。日々に一つの理同じ理である。同じよう聞かしてくれ。

『押して、東京本部に於て参詣人に神一条の道を伝えても宜しきや、又本部にてするは差し支えなきや伺』
さあ/\神一条の理、たすけ一条の理、遠慮気兼は要らん。尋ねて来るなら聞かせ。この理何程人が寄るとも知れん。これが自由。聞かせ/\置きたる、尋ね来る、聞かせ。十分遠慮は要らん。日々真実聞かすなら、多くの中なれば、神一条世界の身の内たすけ一条のため出て来るなら、一つ話聞かせ/\。聞かさねば分からんで。何もたすけ一条の事は後へ引くでない。

このお道の話は、神一条の話で、親神様に凭れて親神様の思いに沿って歩む事を教えられているのであるが、その神一条の話を説く事をためらわれている事が、

『押して、東京本部に於て参詣人に神一条の道を伝えても宜しきや、又本部にてするは差し支えなきや伺』

から分かると思う。

このお道の話は、「10のものなら9つまで教えて来た」と言われる、これまでの世界中の教えの上に「だめの教え」として教えられた話である。

ところがそれがなかなか説けなかった。それによって奈良県当時の大阪では認可が降りず、東京へ願い出てようやく明治21年4月10日に東京で許されて、7月23日にお屋敷へ移転する間の事なのである。

このおさしづから、様々な事を感じる事が出来るかと思うが、「人気」ということも含めて記しておこうと思う。

 

ちょっと思っていた事と違ったが、うまくまとまらないので、ここまでにします。

参考になれば幸いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月の月次祭を終えて。。。

2021年11月12日 21時37分18秒 | 思った事

無事に11月の月次祭が終わりました。

おつとめ前に信者さんが参拝に来られて、おつとめをして帰られました。

月次祭は、息子二人が用事で欠席したため、6人でのおつとめでした。

しかし、いつも途中で参拝だけに来られる方が、お孫さんを連れて来られました。

そのお孫さんは、コロナになって、ずっとあってなかったので、久々に会えてとても嬉しかったです。

夜には仕事帰りの方が参拝に来てくださり、近況を聞かせてもらい、おさづけを取り次がせて頂きました。

皆それぞれに、小難を無難にお連れ通り頂いていると、感謝感謝感謝です。

先日干し柿を200個つるしました。

迎えのビル建築は、コンクリートの打設でポンプ車がフル稼働していました。

ともかく、結構な月次祭をつとめ終えさせて頂く事が出来ました。

ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日の出来事から、ここ数日の事について。。

2021年11月11日 06時56分51秒 | 思った事

昨日は10日である。

10日は、大教会へ月次祭のお願いに行く日であり、その帰りにお供え物を買う日でもある。

大教会へのお願いは、私が会長になってすぐに始めた。

それから彼これ30年近くなる。

始めは私と妻と出かけていたが、その内私が身上となり、妻だけが行くようにもなった。

しかし、このお願いと月次祭を終えた後のお礼はずっと続いている。

夫婦が行けなかった時には、長男に行ってもらった事もあったと思う。

そうした中に、昨日は私にバイトが入った。

私のバイトは終わる時間が分からない。しかし、昨日は午前中に終わった。

終わり次第妻に連絡をして、大教会で落ち合う事にして、私がお願いをする事になった。

そして久々にお願いをしてくれる先生と話をした。

これまでの道中を振り返り、どれだけの不思議を見せて頂き、心を変えて来たのかと思い、今日この時を与えて下さった親神様・教祖に改めて御礼申し上げた。

 

さて、バイトに行く時には地下鉄に乗っていく。

町の様子がとても良く分かる。そして、地下鉄に乗るとのどが痛む。

帰ってくると、うがいをして風呂に入ると段々と治まるのである。

 

まだこれから様々な事が起きてくるだろう。

昨日アップした「復元」9号の編集後記に、電力不足の事について書かれていた。

昭和22年と言えば終戦後のまだまだ混乱期であろう。

そうした中でも、教祖の教えに立ち返ろうと努力をされる先生方の思いを感じた。

真の陽気ぐらし実現にはまだまだである。

しかし、その足取りは進められている。

「事情無ければ治まらん」と言われるが正しくである。

皆楽な事ばかりを求めがちである。しかし、楽な事を求める中に落とし穴がある事に気づかずに落ちて行くのである。

教えを聞いても、この事に気づくかどうか、それはそれぞれである。

ましてや教えを聞かなければ、どれだけ結構な立場・環境に生まれ出ても、落ちて行くのである。

それを防ぎたいがために「八つのほこり」を教えて下さっている。

 

数日前に「八つのほこり」を再投稿した。

これは、本部神殿奉仕の時に、調べるために、スマホでこの「八つのほこりの説き分け」を読んで、使い勝手が悪い事に気が付き、冒頭にすぐに「説き分け」へ移動できるリンクをつけたからである。

 

ともかく、何が起きてもすべては、それぞれの心を直して陽気ぐらしへと導かれる親神様のお働きである。

すべては銘々の心次第である。

「かしもの・かりもの」である。

 

さて、今日は月次祭の準備です。

親神様・教祖、今日も一日よろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする