あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

185人の方が。。。トイレの修理。。。そして『母の成人』本紹介

2020年05月31日 17時32分04秒 | 思った事

昨日のブログ訪問者数が、185名を数えた。その前日が154名。これまで最高で100一寸だったのに、どんどん増えているのです。驚きです。

見て下さる方、届かぬものですが、お付き合いよろしくお願い致します。m(_ _)m

さて、

今日は、朝からトイレの排水管と格闘している。

昨日掘って、邪魔になる給水管を横へどけて、排水管の縦に曲がったところを切ったら、完璧に詰まっていて、先日の薬で溶けたであろうものがしっかりと、尿石と毛のすき間を埋めていた。

最後の曲がり口なので、これが開通したらここからつないで、いけるだろうと思いつつ、水を入れながらパイプクリーナーで突いた。

すると何とか開通した。

しかし、この切ったところから40ミリパイプを50ミリに代えると、変換する部品の分が高くなり、逆勾配になってしまうことが分かった。

もう一つ深い部分にある100ミリパイプに近いところでつなぐかと思いながら、店に行った。すると、40ミリから50ミリに変える90度曲がりの部品を見つけた。

これならば、今のところでつなぐことが出来ると思い、今一度薬剤で、尿石除去をした。

話は代わるが、

この作業をしている時には、身体が痛み、「痛いなぁ。痛いなぁ」と言いながら、買い物に出かけたのであった。そして、運転をしながらふと、「ある大教会長さんで、ずっと体が痛んで、皆さんの手伝いをもらいながら懸命に生活されている方がいるとの事だが、それを考えると、まだ痛みながらも自ら動けるからありがたいなぁ」と思った。

すると、「そういえば、2代真柱様の奥様は、ずっと療養されて、子供さんにもなかなか会えずに過ごされてたなぁ。『母の成人』という本があったなぁ。」「世間では、偉い人は病気もしないような感じで見られるけれども、お道では偉い方ほど色々と病気や人には理解できないような辛い中を通られているなぁ。こうした事は、世の中にはなかなか伝わらないのだろうなぁ」と思いながら、買い物を終えて帰って来て、作業を始めたら、それまでの痛みがなかった。

不思議だと思いながら、ブログを書き始めたら、目の前の本棚に『母の成人』があった。

WEBストア

ひょっとしたら、皆さんに紹介したらよいのではと思い、表紙と、序をスキャンした。

3代真柱様が書かれた「序」

 私たちの母は、昭和11年初春、教祖50年祭の年に身上にお手入れを頂き、同年夏には、身体をお返しせねばならないかと思われるほどだった・・・・どんな心定めを受け取って頂いたのか、親神様のお慈悲でお救け頂きました。以来、病床から離れませんでしたが、・・・

がとても気になった。

そして、2代真柱様が書かれた「序」

 2年ほど前のこと、病床のせつから便りを受けた。それには、自分の経験を物して同じお手入れを頂いている方々に見て頂きたいとのことがしたためてあった。・・・・・自らの包みおせたい因縁を展開して生かし、御用に立てたいとの思い付きに、悟りの第一閃を感じた・・・

そして、

 本書はいうまでもなく単なるせつの私的な記録である。従って今日やかましく論ぜられる結核滅消に役立つや否やははなはだしく疑わしいが、試練を受けつつある同病の人々に幾らかなりと相談相手となり得たならば、私たちの喜びとするところである。

 身を救世済人の教家の任に置き、時を結核滅消の急追時期に生活し、しかも6年間妻を試練の床に委ねている私の心は、いたずらにおどりながらも、今なお神慮に及ばざるの遠きを痛感している。

が、今この新型コロナが蔓延している今、とても心に刺さった。

私のこの体の痛みも、自らのいんねん、その中こうして一日を過ごさせて頂けたことに感謝である。

そして、今の世の中、新型コロナのみならず、自ら悩み苦しみ、周囲の手助けの言葉も届かずに亡くなる人々が多い。

そうした方々が、こうした本などに巡り合い、少しでも良い方へと向かうことを願う。

親神様・教祖、今日も一日ありがとうございました。

 

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お堀の鯉にもコロナの影響が。。。そしてトイレ修理、教会史について。

2020年05月30日 21時58分26秒 | 思った事

昨日29日は、早朝から運転のバイトがあり出かけた。

その帰りにお堀端を通ると、鯉が群がっている。

この場所はいつも鯉が群がっているのだが、その数がいつも以上であった。

写真を撮ろうと、お堀に身を出すと、私の方へ口を開けながらどんどん寄ってくる。

コロナの影響で、お堀を観光する人も少なく、えさをもらえずにいるのではないかと思えた。

午後から、布教所の月次祭に出かけた。

緊急事態宣言が解除されたが、北九州市で第2波が始まっている話から、「マスクはうつらないためではなく、うつさないためにつける心で」と話をした。ちょうど『信者の栞』の「誠真実」を読んだところだったので、大いにうなずいて頂けた。

今日、30日は、2部生の息子を妻が寮へ送っていった。大教会にいる母親が今月おぢばへ帰っていないので、一緒に乗せていった。

私は、トイレの床を掘った。先日薬剤を使ってもつまりが取れなかったため、さらに掘ることにしたのだった。

明日水道管を動かして、つまりを取る作業をするつもりである。必要な部品を買いながらの作業なので、まだまだ時間がかかる。

今朝アップした、熱田分教会の歴史についてコメントを頂いた。

うちの信者さん用に書いたものを載せたのだが、様々な教会、系統があるので、多くの人が分かる視点で書かなければならないと感じた。

時間を見て書き直したいと思う。

親神様、今日も一日ありがとうございました。

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熱田分教会の歴史(草稿)1 (2020.06.01追記)

2020年05月30日 03時55分21秒 | 思った事

『熱田分教会の歴史』(草稿)1

※以下の文章は、うちの信者さんに向けて書いたものを少し手直しして書いたものです。(大教会・分教会・布教所など、現在使用されているものと、明治時代の分教会・支教会・宣教所・布教事務所などと混在していると思います。また、熱田分教会は、設立時は、愛知部内でありますが、本部のお許しを戴くについては、山名部内となります。また、小牧大教会は、設立時、熱田分教会と同様に愛知部内でありました。この点ご注意くださいませ。)(2020.06.01追記)

熱田分教会は、明治24年、現在の名古屋市熱田区の周辺に中川吉三郎、伊藤九右衛門、岡山善兵衛、加納芳兵衛などが入信し、10月頃中川吉三郎宅に、講元に中川吉三郎、副講元に加納芳兵衛がなり熱田事務所を設置し、そこへ、愛知大教会から市村末彦、近藤初太郎などが出向き、お話などが行われていた。

明治25年になると講社に加入する家が49戸となり、6月9日愛知大教会の石崎金太郎を初代会長として、加藤庄太郎持ち家に熱田出張所設置の御本部お許しを戴いた。

  初代 石崎金太郎と妻ふさ(後の市村ふさ)

明治26年には、相馬庄吉持ち家に移転し、7月18日には初代会長石崎金太郎が34歳で出直した。この年には27戸が講社に加入し、76戸となっている。

明治27年には、初代会長の代わりが無いために、愛知大教会初代会長 諸井松太郎(後の山名2代会長 諸井清磨)が、兼務して2代会長となる。(3月6日)しかし、諸井会長は大教会と兼務のため、出直した石崎金太郎の妻、石崎ふさがそのまま信者丹精をし、事務会計は中川吉三郎、加納芳兵衛が責任を持つ事となった。

 2代 諸井松太郎(後の諸井清磨)

明治28年には、大教会で事情が起きて、7月10日諸井松太郎会長が、愛知初代会長辞職したために、 熱田の2代会長も20日に辞職し、会長不在となる。しかし、寄り集う信者の声で、10月には神殿の新築願を山名分教会に提出した。しかし、実行されなかった。

明治29923日に、3代会長として柴田安次郎が就任し、家族(妻ぎん)と共に移り住んだ。これにより、教会にて信者丹精していた初代会長夫人石崎ふさは、市村末彦(小牧初代会長)と結婚し、小牧へ移籍した。

 3代 柴田安次郎

明治31年には、428日に、加藤庄太郎持ち家へ移転した。

明治32年には、渥美分教会に事情が起き、それを納めるために、11月、柴田安次郎が、渥美出張所へ単身出張した。所長不在のため、講元の中川吉三郎、副講元の加納由兵衛はじめ、飯田金七、岡山善兵衛、都築甚七、今井喜一郎、山田利七などが講社丹精をし、伊藤庄右衛門が事務を担当することとなった。

明治33年には、長年会長不在だった愛知大教会に、2代会長として橋本伊平会長が就任する。

明治34年になると、柴田安次郎会長は、9月20日に渥美出張所所長に就任し、熱田と兼務することとなり、家族は渥美出張所へ転居した。

明治354月頃より、近藤初太郎が熱田の月次祭に毎月出張し、会長の代理を行うようになる。それまでは、毎月柴田安次郎会長が、月次祭や重要な時にだけに熱田へ来ていたようである。

明治40114日、近藤初太郎、正式に一宮出張所長を辞任し、熱田担任代理の下命を受けて家族(;志ん)と熱田に入り込む。

 4代 近藤初太郎 (後の近藤初次郎)

明治42313日、4代会長に近藤初太郎が就任し、初次郎に改名した。そして、富江町86番地借地へ移転、熱田出張所から熱田宣教所に改称した。

(続く)

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Facebook と ブログ について 2

2020年05月29日 18時18分16秒 | 思った事

昨日、Facebookに熱田分教会のページを作った。

作ってみてから、どのように使えるのかと考えた。

せっかく教会のページだから、歴代の会長さんについて記載したいなぁと思った。

そして色々と触っているうちに、常時表示されるような機能は見当たらなかった。

その代わりに、自分のページに「グリッド表示」なるものを見つけたところ、過去の投稿が表示されることが分かった。

以前の「Facebookとブログについて」で過去の投稿が消えていると書いたが、これは間違いで、ラインとは違って過去の投稿は残っていた。

ところが、表示されるのがとても遅い。またブログに書いたものを投稿したものだけが表示されているように思えた。

そこで、リスト表示で、過去を表示させるようにスクロールすると、過去の投稿が表示された。これまた、グリッド表示よりも一段と表示されるのに時間がかかる。けれども一応他の人とのやり取りも表示された。(でも、もっと頻繁に対話をしていた気がするのだが、メッセージは少ないようにも感じた。記憶が定かではないので、分からないところである。)

ともかく、このFacebookは、2011年3月11日の東日本大震災の後、震災についての情報交換を頻繁にやっていたように思えるが、コメントを見ていると削除されている投稿もあるようだ。

当時も今も、私はスマホを使っていない。PCからの発信である。だから、落ち着いて教会にいるときだけしか発信が出来ない。(今は詰所などWi-Fiがつながるところならば発信できるが。。。)

ただ、震災の応援に行けずに、ヤキモキしていた自分に対して、Facebookでつながった多くの人の言葉で、支えられながら、当時を過ごしてきたことを思い出した。

誹謗中傷で先日自殺された方が報道されているが、すぐにつながり意見をもらえるSNSによって、助かる人もある。

使い方、つながり方、そしてまた、言葉の使い方と受け取り方。コミュニケーションの勉強。

これを学ぶ事がどれだけ大切か、と、過去を振り返って、改めて思い出した。

 

話が、いらぬ方向へ行ってしまって、申し訳ないばかりであるが、

教会のページについては、教会の歴史について書いたブログを載せて行こうかと思った。

 

 

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Facebookに 熱田分教会のページを作ってみた。

2020年05月28日 21時34分12秒 | 思った事

Facebookの自己紹介にかいてある、勤務先の天理教熱田分教会に、ページを作った方が親しみがわくと、メッセージをもらった。

そこで、自己紹介の 天理教熱田分教会をクリックすると、何も書かれていないページが表示された。

どうしたらよいか良く分からないまま進めたら、もう一つ「天理教熱田分教会」が、今日の日付で出来てしまった。><

それは、「あつたかい」(作成日 2020年5月28日)という名前でそのまま置いておくことにした。

「天理教熱田分教会」のページ(作成日 2011年3月19日)はどのように使うか分からないが、団参の写真と提灯の写真を張っておいた。

一寸、記録として書いておく。

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本部の神殿奉仕。。。再開へ

2020年05月28日 17時40分39秒 | 思った事

昨日の昼から今日の昼まで、大教会の神殿当番だった。

そして今日、ご本部お守所から「6月8日からの神殿奉仕を12名の選抜でつとめます。そして朝づとめから夕づとめまででよろしくお願いします。」と連絡があった。そして、「このまま何もなければ、7月1日より通常の奉仕に戻します。」との事だった。

これで、人間が自由に、東西南北の礼拝場から、拝み会える、本来の状態になれると嬉しかった。

そうした中、今朝から、北九州市での感染者増加のニュースがあり、何とか2次感染がひどくならないようにと願った。

昨日のブログに「人にうつさないようにという心で」と書いたけれども、北九州のニュースを見ながら、やはり「人にうつさないように」という意識になる事は、難しいだろうなぁ。と思った。

誰しも人に見せたくない事はある。しかし自分の悪事が白日にさらされてしまう。それが今のコロナだとも思う。表に出すのは人ではなく、コロナだから、だれを恨むわけにはいかない。これが理だ。旬が来たら現れると言われる理だ。

などと、ボーっと思った。

一人でも多くの人が、こうしたニュースに接して、「人のために」という心を使えるようになって、親神様の御守護を頂いて、大難を小難に、小難を無難にと守ってもらいたい。と願う。

親神様の掃除はまだまだ。そんな気がする。

親神様どうぞ結構にお導き下さいますようにお願いいたします。

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本部月次祭で思ったこと

2020年05月27日 22時14分06秒 | 思った事

昨日の本部月次祭で思ったことの一つを書きたいと思う。

それは、どうして日本では、新型コロナがひどくならずにすんだだろうかという事である。

まずは、少し前の記事だが、感染者が確認されていない岩手県で、

感染者が全国で唯一確認されていない状況を踏まえ「第1号になっても県はその人を責めない。特に丁寧に優しくし、命と健康を守る」と語り、体調の異変を感じたらすぐ相談するよう訴えた。

というニュースが流れた。風評を怖がって名乗れない人に対するメッセージであり、そういう雰囲気を県内に感じるから発信したものと思えた。(実際に岩手県では出ておらず、素晴らしいと思う)

けれども他県では、店で感染者を出しては、営業に支障が出るとして、感染を隠して営業をしていたようなニュースも、はじめのころに見た。

こうした意識があると、どれだけ罰則をつけたとしても、感染者は表に出ずに隠れてしまい、感染経路不明の感染者が減る事はないはずである。(重篤にならない人も多いのだから)

実は、こうした意識は、マスクをする意識に顕著に関係すると思えるのである。

つまり、自分が感染したくないためにマスクをするのか、人に感染させないためにマスクをするのかという意識の違いである。

報道によれば、ウィルスは小さいので、マスクで吸入することを防げない。けれども、飛まつとして飛ばさないようにすることには有効との事である。

この人にうつさないようにという意識が多ければ多いほど、少しの症状の変化でも、すぐに病院に行って検査をすることになるだろう。そして感染経路についても包み隠すことはないと思う。

人は、いくら罰則でしばったところで、自分の主張と違えば、隠れて物事をするのである。罰則が無くとも、納得したりすれば、隠れてすることはない。

発症する前に人に感染するのだから、どれだけ医療従事者が頑張っても、隠れている感染者が一人でもあれば、なくならないのは当然であろう。

へたをすれば、家畜と同じように感染する前に感染していない人までも殺すという事にもなりかねない。とも思う。

 

そうした時に、「人のためにという意識の人が多ければ多いほど、治まりは早くなるはず」と思ったのである。

「人たすけて我が身助かる」というお言葉通り、人の事を思ってマスクをして、自重することで、ウィルスはいなくなり早く経済活動が再開されて、我が身が助かる事につながるのである。

これから先、一つの国が治まっても、他の国が治まらなければ、国と国との交流は出来なくなる。ましてやうそをつくようなところがあれば、安心して交流などできるはずもない。

安心して交流できるようになるためには、その国の国民が、うそをつかずに、人のためにという意識に代わる事。そういう意識の人が増える事が何よりも大切だと思うし、そういう人が多い国ほど、簡単にマスクと手洗いをするだけで、早く良くなるのではと思ったのだった。

 

以下に思案に至った記事を記録として、コピペしておく。

・・・・・・・・

2020.05.16
<article>

「県内第1号の感染者には優しく」 知事、中傷する風潮に警鐘

<figure class="photo"> 県内第1号の感染者には優しく対応を-。達増知事は15日の定例記者会見で、新型コロナウイルスの感染に関し「誰もが感染する可能性がある。感染は悪ではないと心に刻んでほしい」と述べた。感染者を中傷する風潮が一部にあることに警鐘を鳴らした形だ。</figure>

 感染者が全国で唯一確認されていない状況を踏まえ「第1号になっても県はその人を責めない。特に丁寧に優しくし、命と健康を守る」と語り、体調の異変を感じたらすぐ相談するよう訴えた。

・・・・・・・

</article>
<header>

「不可解な謎」 欧米メディアが驚く、日本のコロナ対策

<time>5/26(火) 11:00</time>配信 朝日新聞デジタル

</header>
 日本は新型コロナウイルスの流行抑止に成功していたのだろうか。各国のデータを分析し、人口10万人当たりの感染者数や検査件数、死者数を比べた。当初は日本の検査体制や、強制力のない緊急事態宣言の効果を疑問視していた欧米メディアは、現在の状況を驚きとともに伝えている。 【写真】緊急事態宣言が解除された駅のホーム。混雑具合は変わったのか  朝日新聞は主要7カ国(G7)について、それぞれ10万人当たりの累計感染者数と感染の有無を調べる検査件数を比較した。検査件数は各国の政府発表に基づいた。米国は各州の発表をまとめた民間の集計値を用いた。また、累計死者数は、世界的にみて比較的被害が抑えられているアジア・オセアニア地域の国々を選び、10万人当たりの人数を比べた。  この結果、日本はG7で、10万人当たりの感染者数が13・2人で最も少なかった。一方、検査数も最少の212・8件で、最多のイタリアの約4%だった。英国は1日20万件の検査をめざし(日本の目標は1日2万件)、自宅などへ約80万件分の検査キットを郵送している。実際に個人が検査したかが不明なため、今回の比較時に郵送分は含めていない。ただ、含めた場合は1・5倍近い5013・0件まで増える。  また、10万人当たりの死者数は、アジア・オセアニア地域の多くの国々で日本の0・64人より少なかった。たとえば、初期の水際対策が奏功した台湾の累計死者は7人で、10万人当たりでは0・03人だった。  英オックスフォード大に拠点を置き、各国の感染データなどを集計している団体「Our World in Data」によると、日本は5月23日時点で100万人当たりの感染者数が世界208カ国・地域のうち多い順から136番目。同じく死者数は94番目だった。中東を除いたアジア地域で日本よりも死者数が多かったのはフィリピンとモルディブだけだ。  一方、欧州疾病予防管理センター(ECDC)がまとめた各国データを朝日新聞が集計したところ、日本は、G7の中で最も感染拡大の速度を抑え込めていた。感染者が人口1千万人当たり1人以上になってからピークに達するまで、米国やフランス、ドイツが35日前後だったのに対し、日本は52日だった。  また、G7で1日当たりの新規感染者数の推移をみると、最も多かった時期で、米国やイタリアは1千万人当たり900人を超えていたが、日本は50・9人(4月17日)だった。  新型コロナウイルスを抑え込んだかに見える日本の状況を、海外メディアは驚きと共に伝えている。強制力のない外出自粛やPCR検査数の少なさにもかかわらず、日本で感染が広がらなかったことに注目し、「不可解な謎」「成功物語」などと報じている。

朝日新聞社

・・・・・・・・・・

<header>

安倍首相の「コロナは中国発」発言に…中国「両国の努力に反する」反発

<time>5/26(火) 18:04</time>配信 中央日報日本語版

</header>

中国が新型コロナウイルスは中国から世界へ広がったという日本の安倍晋三首相の発言に反論した。 中国外交部の趙立堅報道官は26日の定例会見で、安倍首相の発言に対し「新型コロナウイルスの起源問題は科学の問題であり、事実と科学的根拠が必要だ」と述べた。その上で「この問題は科学者と医学専門家の研究が必要だ。われわれはこの問題の政治化と汚名化に反対する」と付け加えた。 これに先立ち安倍首相は25日の記者会見で、新型コロナウイルスと関連した米国と中国の対立に関する質問に「発生源をめぐって相当激しく議論が行われている。新型コロナは中国から世界に広がったのは事実だと考える」と話していた。 これに対し趙報道官は「こうした行為は世界保健機関WHO)と医学専門家の意見にも反する。国際社会をはじめとして中日両国の共同防疫努力と期待からも外れる」と指摘した。続けて「互いに協力し団結することだけが感染症と戦争で勝利する最後の武器だ」と述べた。

・・・・・・・・・

親神様、どうぞ世界をお納めくださいませ。

 

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5月本部月次祭

2020年05月27日 06時48分56秒 | 思った事

昨日は本部月次祭だった。

お運びのため、おぢばに帰った。

月次祭を3月のように境内地外で参拝させて頂こうと、神殿に向かうと、境内地内での参拝を許されていた。

ありがたく思い、南礼拝場の階段下で参拝させて頂いた。

祭文奏上も聞かせて頂くことが出来て良かった。

神殿講話は無かった。

このまま、コロナが収束してくれることを願いながら、そして色々とこれまでの事を思い浮かばせて頂きながら参拝をした。

すべては親神様の御心のままに現わされている事、喜びいっぱいに日々を過ごさせて頂きたいと、より一層思った。

 

親神様、本日も一日 よろしくお願い致します。

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Facebook と ブログ から

2020年05月25日 10時15分03秒 | 思った事

今現在、本部布教部が発信している「心・陽気ぐらし」を見ながら書いている。(いつまで視聴できるかは分からないが・・・・)

どれくらいの人が見ているのだろうかと思いながら見ていると、YouTubeで配信されており、YouTubeで見ると視聴回数が表示されることに気が付いた。

すると、①増田正義先生の話が2349回・②松尾真理子先生の話が1652回・③伊藤芳正先生の話が1429回・④熊繁一先生の話が1175回・⑤杉江健二先生の話が791回・⑥岩井喜市郎先生の話が1163回だった。(2020.05.25 AM9:12現在)

この順番は、「心・陽気ぐらし」に表示される順番で、順番ごとに再生回数は下がっている。

この動画に対するコメントを書き込むことは、YouTube再生では可能なようである。

これをどのように見るのか、色々な人の意見を聞いてみたいと思った。

 

さて、表題に「Facebook と ブログ 」と書いておいた。

今、私はこのブログを書いて、それをFacebookにリンクさせている。

これを読んでくださっている方の中には、なぜこんな面倒な事をするのかと思う方もあると思う。

Facebookに直接投稿するだけでよいではないかと、思う人もあるだろう。

今回ブログを再開した時には、Facebookにリンクはしなかった。その時点で40くらいのアクセスがあったので、常時私の発信を気にしている方がそれぐらいおられることが分かる。

Facebookにリンクをつけるようになって、100人ほどの方が見て下さるようになった。

そして、私が今回ブログを再開した姿勢は、「お道の信仰をある程度進めている方が分かればよい」、「その方々の何かの参考にして頂ければよい」、というスタンスで書いている。だから未信者の方が読んでも分からない文章も結構あるはずである。

 

私の過去のブログと現在のブログとの間には、Facebookに直接書いていた時期がある。ちょうど大教会の120周年記念祭の前後であった。

その当時、どんなことを書いていたのかと思っても、Facebookには残っていない事が、今回昔の事を思い返えそうとした時に分かった。

 

つまり、Facebook・ブログでは、性質が違うのである。

その時点での連絡など簡単なやりとりならば、FacebookなどのSNSが便利で、リアルタイムで発信、意見交換が出来る。しかし保存は効かない。

ブログは、長文で記録として残しておくことが出来る。つまり時間を考えずに見ることが出来る。過去を検証する事も出来るという事である。

ユーチューバーが、ツイッターを併用する意味がここでようやく理解できた。

 

また、対象によって、発信する内容は変わるという事である。不特定多数の人に見てもらい、それによって広告収入などの利益を得ようとすれば、万人受けのものを出さねばならないだろう。

そうではなく、特定の人を相手にするならば、そうした万人受けという考えは必要ない。その代わり数字にとらわれるならば、これは出来ない。

けれども、もしこの数字が増えていくならば、その思いに賛同する人、興味を持つ人が確実に増えているということである。

 

便利なツールが沢山出来ているわけだが、その使用方法を自ら試しながら、新型コロナが常時いる時代を考えながら、どのように生きるか、考えて行きたいと思った。

 

・・・・・

コレを書いて居たら、尿石除去剤が到着した。

トイレの配管のつまりを取る作業をはじめようと思う。

親神様・教祖 ありがとうございました。

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「復元」をやっとスキャンした。。。。(追記;目次表)

2020年05月24日 18時12分23秒 | 図書室

今日は、朝から体が痛く、おぢばから帰ってきている息子に、朝一番から揉んでもらった。

少し楽になって、先のブログを書いてから休んだ。

昼過ぎに起きてから、支部内への連絡を作ってからボーっとしていた。

ふと、先日『教史点描』を紹介した時の註釈に(飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」『復元』第3号所収)というのがあったことを思い出した。

実は、去年の半ばころだったか、私のホームページか、ブログを見られたのか分からないが、突然『復元』を貸して欲しいと言われる方が訪れた事があった。愛町の信者さんと言われたが、初めての方で良く分からず、また私が所有している物でもないので、「大教会へ相談されて、史料集成部にあるかどうか尋ねられたらどうでしょうか」と話をさせてもらった。

私が『復元』に目を通したはじめは、ホームページを作りかけてからである。

資料を調べれば調べるほど、『復元』所収という言葉を目にして、読みたくて、天理図書館にも通ったりした。最終的には史料集成部に尋ねにも行った。

当時の史料集成部では、バックナンバーで現在あるものであれば、大教会長さんの署名をもらってくれば分けれくれるとの事だった。

そうこうしているうちに、うちの大教会の資料室にある事が分かった。一番身近にほとんどの号が揃っていたのである。

それで、ホームページにリストを作成したのであった。

この資料室にある『復元』は、青年時代から、大教会の4代会長さんに使えて、ずっと資料に携わっておられた先生が、大切に保存しておいて置かれた本の、その中の一つである。

ありがたい事に、それで必要なところを一通り読ませてもらった。

なかなか、読みずらいものであるが、教祖のお話を求めるには大切な本だと思っている。

そして、スキャンしておけば、必要な時にPCで読めると思ってはいるのだが、なかなかできない。

以前、大教会の青年に「スキャンしてみるか?」と言ったこともあったが、あまり興味のないようで、そのままになっており、昨年から、時間が出来たら自分でスキャンしようと、そばに持ってきている。

そこで、思い立ったら吉日と、先ほど、飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」をスキャンした。(40Mbほどある。)

これからゆっくりと読んでみようと思う。

 

書いていたら思いついたので、『復元』1号にある、「序」と「編集後記」を掲載しておく。

「序」では、真柱様が復元の意味について書かれておられる。

この事は、よく講話などで引用される。

 すべてが元に復る旬が来ました。
新日本、新発足、新建設、新時代、新入等と、あらゆる面に新の字が時代の寵児然と巾を利かす様になりましたが、その新は必ずしも木に竹を継いだ様に現れ来るものとは思はれません。必ず生れ出る旬があり、生れるに至る努力があつて始めて現れるものであります。根のない新生命は決して出現せないものであります。
 革新の数年を経て、戦争の終結と共に復元の時代となりました。すべては一新されて、革新以前の事々を思ひ返す様になりました。一見恰も夏来ると共に不必要となつた冬仕度を、冬と共に、再び恋ひしたふて、探し求める様に、革新以前をあこがれる様にも見えますが、去年の春は決して今年の春ではない如く、復元は決して革新以前に復する事を意味するのではありません。
 蓋し復元と復旧とは決して同じ事を意味せないのであります。以前の姿に復し、又懐旧の情に遊ぶのは決して復元ではありません。あくまでも、元を極め、根源をたづねる所に復元の意義があり復元の活力があると信ずるのであります。
   いかほどにみゑたる事をゆうたとて
      もとをしらねばハかるめハなし 四 

 と教祖様もお教下されてゐますが、元は尋ねてもたづねても、尋ね尽きないものであり、又探ぬれば探ねる程、新しい活力のわくものと信ずるのであります。復元こそ新天地、新文化の母であるとさへ云ひたいのであります。

昭和二十一年新春
     中山正善識

次に、「編集後記」でこの『復元』の資料を扱う上に、重要と思えるところをマーカーしておきました。

赤は、主旨などですが、

紫色で囲んだ、「取り扱い」についてと、青のラインにした、配布した関係者、協力者についてが、とても重要かと思いました。

編輯後記(『復元』創刊号)

○今度、真柱様の特別のお力添によりまして、集成部から「復元」を刊行することになりました。その主眼とするところは、教義や史料に関する研究乃至調査の素材を少しづつでも纏めて行かうとするにあります。斯うして纏めて行けば、他日の集大成に役立つだらうといふのが、其の主なる目的であります。
○素材でありますから、中にはまだ/\検討を要すべき点、精査を要すべき点も多々あります。従つて、本誌に発表されたことを以て、一から十までを全部其のまゝ正鵠なものとされるのは、各筆者の甚だ迷惑とするところであります。と申したからとて、無責任なことを書かうといふのではなく、要はお互ひに激励し合ひ叱正し合つて、少しでも啓発されやうといふ真摯な気持からの執筆であることは勿論であります。
故に本誌の配布についても、如上の主旨をよく理解して読んで頂ける人、また自ら進んで書いて頂ける人といふことに限定いたしました。最初からしかつめらしい規約を拵へるのも如何かと思ひますので、先づ斯うして見当でやつて行くうちには「復元」の同人といふか会員といふか、よい協力者がだん/\出来てくることを念願して止まない次第であります。
○創刊号は主として集成部員の手になる原稿で編輯しましたが、今後は多くの協力者を得て、益々内容の充実を期したい所存であります。どうか、全幅の御支援のほどを切にお願ひ申します。(やまさわ)

一、本誌は集成部の史料集成を第一の目的といたします。史料と申しましても、長持や倉の底に入つてゐるのもあれば、古老の頭の中にだけ残つてゐるのもあります。それは集めなければ散逸するし、筆にせねばそのまゝ消えて了ふ事もあります。之を集めて印刷刊行して置けぱ、まづ大体に於て永遠に残ります。どうか、そのお積りで御保存願ひます。
一、次に本誌は本教の指導者の方を同人として、読んで頂く方は必ず三月や半年に一度は書いて頂いてお互に勉強さして頂かう、教へられたり教へたりさして頂かう、と言ふのが第二の目的であります。この事は、一般の教信徒へのお話の材料集にも成りませう。この趣旨で皆様方の御寄稿を切望いたします。
 では之にて「復元」の健かな発育を祈り乍ら。(うへだ)

再版に際して

 復元の初の頃の巻、特に創刊号に対する再版の希望は、以前から度々ありましたが、この度、その手初めとして先ず創刊号を再版させて頂きます。漢字は、将来の若い人々にとつて読みやすいように、すべて新漢字といたしました。 昭44・9・26 編者誌

皆さんは、どう思われるでしょうか?

さて、

信仰の代も、初代から2代、3代となり、現在は6代7代の方もあると思う。

生まれ変わりを考えるならば、4代目の人には初代の生まれ変わりの人がいてもおかしくはない。

先日、「前生言葉で喜ばせてあれば・・・」と書いたが、前生で信仰をしていれば、そういう人は今世で少しの話を聞いても早く理解できることと思う。

もし、(飯降伊之助「永尾芳枝祖母口述記」)を読みたい人があれば、連絡をくださいませ。

 

親神様・教祖 ありがとうございました。

・・・・・・・・・

以下に目次を表にしておきます。

・・・・・・・・・

全 巻 目 次

【立教169年現在で48号まで発刊】
号数
著者
題名
頁数
発行日
備   考
 
 
 
 
 
 
創刊号
中山正善
 
昭和21年4月18日発行
 
上田嘉成
古老聞書
1
 
諸井慶徳
別席教話の古記録
16
 
山沢為次
教弟列伝素材(その1)
32
 
梶本楢治郎
教祖様の思ひ出
40
 
上田嘉成
教理概説稿案
53
 
By Prof.S. Yoshida
"The Trial Translation Of The OFUDESAKI"
89
 
2号
山澤為次
教祖様御伝稿案(1)
1
昭和21年7月26日発行
 
上田嘉成
古老聞書(2)
80
 
吉田清一
おふでさき英文試訳
89
 
3号
山澤為次
教祖様御伝稿案(2)
1
昭和21年9月26日発行
 
上村福太郎
管長奥様御歌集其の1
84
 
飯降尹之助
永尾芳枝祖母口述記
115
 
4号
諸井慶徳
原初天理教に於ける表明文書
1
昭和22年1月26日発行
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の1)
44
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(3)
63
 
5号
山澤為次
教祖様御伝稿案(3)
1
昭和22年3月26日発行
 
高野友治
天輪王講社名簿調査報告(上)
28
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(4)
74
 
6号
山澤為次
教祖様御伝稿案(4)
1
昭和22年6月26日発行
 
上田嘉成
みかぐらうた注釈稿案
44
 
上田嘉成
陽気勤年表
75
 
橋本清
天理教会由来略記(明治24年稿)
84
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(5)
95
 
7号
管長様 ※
辻忠作手記本教祖様御伝について
1
昭和22年7月26日発行
 
上田嘉成
おふでさき年表
55
 
吉田清一
おふでさき英文試訳(6)
74
 
8号
宇田川文海
天理教教祖御略伝(明治33年稿)
1
昭和22年8月26日発行
 
山澤為次
教祖様御伝編纂史(前半)
39
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の2)
88
 
9号
中西牛郎
教祖御伝記(明治35年稿)
1
昭和22年10月26日発行
 
諸井慶徳
教義学概論(1)
41
 
10号
山澤為次
教祖様御伝編纂史(後半)
1
昭和22年11月26日発行
 
山澤為次
教祖様御伝に関する文献一覧表
58
 
上村福太郎
管長奥様御在学当時の御作品(其の3)
79
 
11号
山澤為次
教祖様御伝稿案(5)
1
昭和23年2月10日発行
 
高野友治
天輪王講社名簿調査報告(下)
19
 
桝井孝四郎
お屋敷建物変遷について 自元治元年 至明治21年
48
 
山澤為次
みかぐらうた字句考
56
 
12号
山澤為次
教祖様御伝稿案(6)
1
昭和23年4月18日発行
 
諸井慶徳
教義学概論(2)
45
 
13号
山澤為次
教祖様御伝稿案(7)
1
昭和23年7月26日発行
 
柏原源次郎
教祖様のお話
34
 
上田嘉成
教祖様の世界観
37
 
14号
山澤為次
教祖様御伝稿案(8)
1
昭和23年10月26日発行
 
清水由松
教祖様にお目にかゝった頃
40
 
山澤為次
和歌体”此世始まりの御話”控え対照表
50
 
15号
吉川萬壽雄
神の古記対照考
1
昭和24年4月18日発行
 
小西定吉
教祖様に救けて頂いた話
20
 
大竹芳松
入信の頃
33
 
白藤義治郎
梅谷四郎兵衛先生教話
45
 
16号
諸井政一
正文遺韻補遺
1
昭和24年10月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う
31
 
上村福太郎
古老話
39
 
17号
松村吉太郎
教会設置当時の思い出
1
昭和25年7月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う(2)
2
 
天理教教典・教典稿案対照表
19
 
18号
梶本宗太郎
教祖様の思い出その他
1
昭和26年1月26日発行
 
柏原源次郎
因縁と戦う(3)
27
 
村上英雄
元初話星象論
39
 
吉田清一
天理教教典英訳(1)
72
 
19号
中山正善
教祖の立場
1
昭和27年4月18日発行
 
深谷忠政
「おさしづ」に於ける「一」について
67
 
上村福太郎
教祖様の奈良監獄御苦労余聞
91
 
20号
上田嘉成
教祖存命の理
1
昭和27年5月26日発行
 
21号
杉本重雄
教祖様のお言葉を頂いての霊救談
1
昭和28年7月16日発行
 
上島かつ
みな側の川 ※
5
※教祖ご在世当時のお屋敷の様子
深谷忠政
「おさしづ」に於ける「矛盾」について
14
 
天理教東京教務支庁年譜表
43
 
22号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究1 ※
1
昭和29年2月26日発行
※章立ては次の通り、第1章概説1:外冊の意味。2:種類と所在 附号外のお歌。3:伝譲の由来。4:現在の保存状態
山沢為造
山沢為造略履歴
43
 
梶本宗太郎
教祖様のお話
54
 
上田嘉成
『おふでさき』に於けるにほん・から・てんぢくに就いて
77
 
23号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究2 ※
  5:正冊との対照
1
昭和29年8月26日発行
※正冊に赤字で外冊の文字を入れた対照表。
24号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究3
  6:正冊との差違
1
昭和29年12月26日発行
 
25号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究4
  7:姿態の比較
1
昭和30年1月25日発行
 
26号
中山正善
外冊「おふでさき」の研究5
  8:用字の特徴
  9:各号の特徴
  10:疑冊の研究
1
昭和30年1月26日発行
 
27号
上田嘉成
天理教祖の世界観1
1
昭和30年2月26日発行
 
28号
上田嘉成
天理教祖の世界観2
1
昭和30年3月26日発行
 
29号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(上)
1
昭和31年3月8日発行
 
30号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(中1)
1
昭和32年9月26日発行
 
31号※
神之最初之由来
1
昭和32年10月26日発行
※天理教教祖伝叢書1
鴻田忠三郎他共編※
最初之由来
11
※清水与之助・諸井國三郎・増野正兵衛
辻忠作
ひながた
19
 
32号
教祖伝編纂委員
御教祖伝史実校訂本(中2)
1
昭和32年11月26日発行
 
33号※
中山新治郎
稿本教祖様御伝 ※原本写真版
1
昭和33年1月26日発行
※天理教教祖伝叢書2
中山新治郎
教祖様御伝 ※原本写真版
105
 
34号※
諸井政一
道すがら外編
1
昭和33年6月26日発行
※天理教教祖伝叢書3
35号※
宇田川文海
天理教教祖御略伝
1
昭和33年11月26日発行
※天理教教祖伝叢書4
36号※
中西牛郎
教祖御伝記
1
昭和34年7月26日発行
※天理教教祖伝叢書5
37号
教祖伝編纂委員
教祖伝史実校訂本(下1)
1
昭和37年4月26日発行
 
38号
上田嘉成
稿本中山眞之亮伝
1
昭和38年12月31日発行
 
上田嘉成
中山眞之亮歌集
 
 
中山正善
中山眞之亮手記書目誌 ※
 
※初代真柱様手記の目録
山澤為次
稿本中山眞之亮伝年譜表
 
 
(39号)
中山真之亮
教祖御履歴不燦然探知記載簿
 
 
 
(40号)
中山正善
おふでさき用字考1
 
 
 
(41号)
中山正善
おふでさき用字考2
 
 
 
(42号)
教義及史料集成部
二代真柱中山正善年譜
 
昭和47年12月
 
43号
二代真柱の思い出 第1集
1
昭和52年4月23日発行
 
44号
二代真柱の思い出 第2集
1
昭和52年5月26日発行
 
45号
二代真柱の思い出 第3集
1
昭和52年6月26日発行
 
(46号)
二代真柱の思い出 第4集
 
 
 
(47号)
 
教祖伝史実校訂本(下1)
 
立教152年
 
48号
教義及史料集成部
二代真柱中山正善年譜 ※
 
立教160年11月14日発行
※「復元42号」の増補改訂版

 

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