教祖の「ひながたをたどれ」と、教祖5年祭の3年前に、おさしづが下る。
これを元に、教祖年祭の3年前に、活動方針が打ち出され、年祭活動が行われる。
今回も、諭達によって「ひながたをたどる」ことが強調されて、「教祖に喜んでいただこう」とされている。
この「ひながた」何を指して「ひながた」と言えるのか?
また、この対象者は誰だったのだろうか?
などと疑問がわかないだろうか?
こうした事について、私は今から30年ほど前の、教祖110年祭に向かう時に考えた。
三年千日として、「ひながたをたどれ」と言われたのは5年祭の時だけではないだろうか?
などと考えたりした。
教祖100年祭を終えて、当時の三代真柱様は、直属の教会長さんがたに、「次の年祭はどうするのか?」と問われ、「方針などは自分たちで考えよ」と言われたとも聞いていた。
これを聞いて、
直属会長さん方がどのような判断、行動をするのだろうかと思っていた。
結果、どのような事をしたら良いか分からないので、諭達を出して欲しいと真柱様へ願ったとの事。
そして、具体的な事はそれぞれの直属教会で考えるという事になったようである。
それを聞いて、「何ともはや」と思った記憶がある。
他の系統の方針は知る由もないが、うちの大教会では、それぞれの教会が目標を定めて通るという事となった。
当時、会長に成り立てで、右も左も分からない、親神様の御守護はあると知ってはいても、おたすけに関してさっぱり分からない。
やみくもに、教会の用事、大教会の用事、支部の用事、おたすけにと走り回っていた時である。
形の上では動いていても、心はどうかと言えば、朝づとめも満足にできない。
心からしていない。やらされている感が一杯であった。
そこで、一からやり直そうと思い、
「朝夕のおつとめをさせて頂きましょう」との目標を出した。
信者さんによっては、そんな事当たり前という方もあっただろう。
信者さん方が実際にやっているかどうかは、私には分からない。
紙に書いて提出したところ、大教会では、「なんだそれは?」とよく言われた。
また、御供については、「心に思うだけを」と常に言って来た。
うちの教会は、明治25年の設立であり、年祭の丁度真ん中になる。
よく、設立の記念祭と、教祖の年祭を「成人の時」「旬」などという言葉で、同じように説かれている感じを受けていた。
そこで、創立の記念祭と、教祖の年祭の違いを考えていた。
結論は未だに出てはいないが、何だか記念祭と年祭を混同して、ともかく信者さん方を動かす名目だけになっているようにも感じていた。
そして、創立100周年、教祖110年祭、
創立110周年、教祖120年祭、
創立120周年、教祖130年祭、
創立130周年と、つとめて来た。
この間に、屋根の吹き替え、耐震工事と行ってきた。
創立記念祭については、お運びをして月次祭の別日に行ったことも、月次祭に合わせて行ったこともある。
また、うちの創立記念祭の前年が大教会の創立記念祭となる。
これらの記念祭や年祭など総てに対して、三年千日という言葉を使い、旬という言葉を使ったならば、常が旬となり、「旬が旬ではない事になってしまう」とも思えた。
このように考えた時、
三年千日と言わず、「一生かけて少しずつひながたをたどるのが良いのではないか」と考えるようになり、
いつからか、「教祖のひながたの一番初めの「内蔵」に籠って問答をされる事からはじめよう」と思った。
様々な用事の中、時間があれば部屋に籠って、本を読み、それをワープロで文字化して行った。
そうした中に、私は様々な身上を頂き、その時その時で悩み、苦しみ、病院医療について身をもって学び、心の持ち方を学び、不思議な御守護を体験して来た。
おたすけに関しても、自分から人を誘う事は無くても、信者さんの方から来られて、お世話をする中に自然と不思議なおたすけを頂かれた。
また、自分の御守護を頂いた話を聞いた信者さん方が、同じような事をされて不思議な体験をされたりもした。
そして、ここ10年余りで、信者さん方におさづけで不思議な御守護を見せて頂くようになって来たのである。
今回、新型コロナに関して、ワクチンを接種するしないで、多くの人々の意見が分かれた。
ワクチン接種を否定する人々は、政府の方針に反対する形となり、多くの人々から冷たい目で見られ、職場を離れなければならない人々も多くあった。
私自身は、知らず知らずにネットから入ってくる世界の情勢、医療の情報を得て、これまでつじつまが合わない不思議な事に合点が行き、政治や医療の不信な事からどうするかと迷った。
この時、教祖の事を思い出した。
政府の方針と違う事を唱えて、監獄へとご苦労された事である。
雨が降らずに、村人から雨乞いを願いに来たのに、雨が降って警察が来たら、吾知らぬ顔をした村人たちの様子が思い浮かんだ。
そうした中にも、毅然として監獄へと赴かれる教祖の姿。
そして「ウソと追従これ嫌い」と言われる言葉である。
また、教会事情の世話どりに当たり、さじを投げようとした時に、左の耳に激痛を覚え、
「誠真実を尽くさせて頂きます」と定めて、御守護を頂いた事を思い出す。
世界中では「ウソと追従」で人を操り我が儘を通している。
そこには親神様の陽気ぐらしへの御守護は無い。
中国のウソ、アメリカ大統領選挙のウソ、マスメディアのウソ。
そして医療のウソ。
段々とウソの規模が大きくなっていくことを感じた。
そこで、ワクチンが危険だと信者さん方に話をした。
ほとんどの人が信用しなかった。
私の話を聞くときは、そうかもと思っても、家に帰ると忘れてしまう。
そして、こうした事は情報を常に追う者には分かっても、通常の生活に追われる人々には理解できない。
目の前に不都合が現れなければ分からないと思った。
そして、人それぞれに受け取り方が違う事を感じて、すべてはいんねんの中に生かされていると思った。
それからは、「良い人が大難は小難、小難は無難にと御守護頂きたい」と願うようになり、
そのためには親神様の望む事、喜ばれる事は何かと探した。
そこで思ったのは、「元の理」「元はじまりの話」であった。
そして「復元」。。
思いつくままに、ネットへ配信した。
「何とか良い人々を助けて頂きたい」と、おぢばに帰るごとに、教祖の前で願った。
今年に入ってからだっただろうか。
教祖殿の教祖の前で頭を下げていたら、左の耳元に衣擦れする音が聞こえた。
教祖が「もう大丈夫」と言われているように思えて、心が軽くなった事を覚えている。
どれだけ物が豊かになっても、人の心がほこりまみれでは陽気ぐらしは成就しない。
それは、物が豊かになって表面的にでも平和になった日本の姿、日本人の様子を見たら分かる事である。
誠真実の心を使えるようになって、陽気ぐらしが味わえる。
誠の心が使えるように、自ら心のほこりを払う努力をしなければ、そうはならないのである。
そのための、身上や事情である。
「見せられる身上や事情」と「教祖のひながた」を照らし合わせて、歩みを進める中に、より一層親神様のお導きがあるように思える。
「癖性分を取りなされや」
信仰の初代が、お話を聞いて自らの歩み、性分を反省して御守護を頂かれたのと同様に、まずは自らの性分を自覚することが、スタートの第一歩だと思う。
さて、
教祖が、最後のご苦労からお屋敷へ帰られてからの様子は、「山田伊八郎文書」に残されている。
眼も見えず、耳も聞えず。。。で、床に臥せられていたのである。
それは、社の扉を閉めて、親神様が忙しく働きに出られていたのだと、そこには書かれてある。
各地に不思議な御守護が次々と現れて、この年参詣人が増えて、お屋敷の人々が困っている様子からもわかる事である。
親神様は、世界助けのために常に働いておられる。
これまでに教えて来た9つまでの教えが、間違って伝えられたことを正すためにも。。
と、最近の世界情勢を見ながら思う。
思うがままに。。。
親神様・教祖ありがとうございます。