おふでさき註釈 8号 1~55(未完 全88)
にち/\に月日さんねん山/\と
つもりてあるをはらしたいから ( 8号001)
註釈 1
世の中の者が親神の心を察しないのは、如何にももどかしい事であるが、この山々と積もっているもどかしさを晴らしたいから、いろいろと心を尽くしている。
このはなし月日をもわくだん/\と
なにかよろづのたすけなるのわ ( 8号002)
註釈 2―3
親神の意中をだんだんと説いて聞かして、よろづ一切のたすけをするのである。さて、このようによろづのたすけを皆行うというのは、どうして行うかというと、誠真実の心を捧げてよろづたすけのつとめをする事である。そうすれば、親神は、その真実を受け取ってどのようなたすけも皆、よふきづとめの理によって、現すであろう。
しんちつの心したいにとのよふな
つとめするのもみなたすけやで ( 8号003)
註釈 2―3
月日にハせかいぢうゝハみなわが子
たすけたいとの心ばかりで ( 8号004)
註釈 4-5
親神からすれば、世界一列は皆我が子である。ただ救けたいと念ずる心の外何ものもない。然るにたすけづとめを差止めるのみか、神名まで取払うとは、まことに心外である。
註
第5号56,57、及第6号70註参照。
そのところさしとめられてさんねんな
まだそのゝちハとりはらいまで ( 8号005)
註釈 4-5
それゆへにたすけづとめがでけんから
月日の心なんとさんねん ( 8号006)
註釈 6(なし)
つとめでも月日たん/\てをふしゑ
にんけんなるの心でわない ( 8号007)
註釈 7
つとめというても、親神が自らいろいろと手を教えるのであって、人間思案でするのではない。
とのよふな事をするのもにんけんの
心あるとハさらにをもうな ( 8号008)
註釈 8
つとめばかりではない。どのような事をするのも皆、親神がするのであって、人間の思案でするとは、決して思うな。
このところいかなはなしも月日なり
どんなもよふもみな月日やで ( 8号009)
註釈 9
ぢばに於いて教祖の口から説く話は、どんな話も皆親神がするのである。又、どんな段取りの現れて来るのも、皆、親神がしているのである。
いかなるのさハりついてもにんけんの
心わさらにあるとをもうな ( 8号010)
註釈 10
それ故に、どんな障りが身についても、それは親神がつけているので、人間の心があるとは、決して思うな。
このよふをはじめだしたる月日なら
どんな事でもしらぬ事なし ( 8号011)
註釈 11
この世人間を創造した親神であるから、どのような事でも知らぬという事はない。
せかいぢう一れつなるのむねのうち
つきひのほふゑみなうつるなり ( 8号012)
註釈 12
世界一列の心のうちは、どんなさ細な事でも、鏡に映るように親神の心に皆映っている。
それしらすみなにんけんの心とて
わがみしやんをばかりをもふて ( 8号013)
註釈 13
それを知らずに、一列は皆人間心の常として、我身可愛いいのほこりにまみれた思案ばかりをしている。
このさきハみなだん/\としんぢつの
みちをふしゑる事であるから ( 8号014)
註釈 14(なし)
このよふのはじまりだしハ月日なり
なにかいさいをみなをしゑかけ ( 8号015)
註釈 15
元々この世界を創め出したのは月日であるから、月日親神がよろづ一切の事を皆教えかけるのである。
それまでハたれかしりたるものハなし
なにか月日のしやんばかりで ( 8号016)
註釈 16
親神が教えかけるまでは、だれ一人として知った者は無い。それももっともであって、この世は万事親神の心一つから出来て来たのであるから。
けふまでもなによの事も月日やと
ゆうてあれどもまだわからんで ( 8号017)
註釈 17
今日までにも万物を創造し且つ守護するのは、皆親神である、と言うてはあるが、一列の人間は、未だこの事を了解していないようである。
しかときけこのよはじめたしんちつと
ゆうてはなしハといてあれども ( 8号018)
註釈 18―19
しっかり聞け。この世界を創め出した真実の話を説いて聞かせてはいるが、世界中でだれ一人知っている者の無い話であるから、何を言うて聞かせても分かり難いものである。
せかいにハたれかしりたるものハなし
なにをゆうてもハかりがたない ( 8号019)
註釈 18―19
そのはづやこのよはじめてない事を
たん/\くどきばかりなるから ( 8号020)
註釈 20
それももっともであって、この世界が始まってから未だ教えた事の無い事ばかりを、いろいろ説いて聞かせるのであるから、なかなか分からないのも無理はない。
このよふのはじまりだしのしんぢつを
しらしてをかん事にをいてわ ( 8号021)
註釈 21
親神が世界を創め出した本当の事を知らせて置かねば、何事も分からぬから、ぜひ言うて聞かそう。
いまゝてもたすけ一ぢよとまゝとけど
ほんしんぢつをしらぬ事から ( 8号022)
註釈 22
今日までにもたすけ一条という事はしばしば説いて来たが、親神が世界を創め出した元々の真実を人々は知らなかったから、十分その訳が分からなかったのである。
どのよふな事でも月日ゆう事や
これしんぢつとをもてきくなら ( 8号023)
註釈 23―24
どのような事でも、世界を創め出した親神の言う事であるから、これを真実であると信じて聞くならば、総ての事を次々と説いて聞かせる。そこで、これを本当であると信じてよく了解せよ。
どのよふな事もたん/\ゆてきかす
これをまことゝをもてきゝわけ ( 8号024)
註釈 23―24
このよふのほん元なるとゆうのハな
このところよりほかにあるまい ( 8号025)
註釈 25
この世界人間を創め出した元の親里というのは、実に、このぢば以外に無かろうがな。
このはなしどふゆう事にをもうかな
どうゆはなしもみなしたいから ( 8号026)
註釈 26(なし)
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば ( 8号027)
註釈 27
この世界を創め出した親神の本真実を世界一列が承知しなければ、何を言うても分からない。
どのよふなたすけするにも人なみの
よふなる事ハゆうでないから ( 8号028)
註釈 28
親神は、どんなたすけをするにも、ありふれたような事は言わぬから、分かり難いであろうが、そこをよく悟らねばならぬ。
いまゝてにみへたる事やある事わ
そんな事をハゆうでないそや ( 8号029)
註釈 29―30
過去に起こったり、又、現在既にあるような事について、彼これと話をするのではない。これまでに何人も未だかつて見聞きしなかった耳新しい真理を啓示して、心底から一列を救けるのである。
これまてにない事ばかりゆてきかし
しんぢつよりのたすけするそや ( 8号030)
註釈 29―30
このたすけどふゆう事にをもうかな
ほふそせんよのまむりこしらゑ ( 8号031)
註釈 31―32
この真実からのたすけとはどういうたすけと思うか。それは、ほふそ除けの守りをこしらえて渡し、又、をびや許しを出して、産期を延ばしなりとも早めなりとも、自由自在に守護するというたすけをする。
またたすけをひやぢうよふいつなりと
のばしなりともはやめなりとも ( 8号032)
註釈 31―32
こらほとのぢうよじさいをゆうのもな
よいなる事とさらにをもうな ( 8号033)
註釈 33
これ程の自由自在のたすけをするというのは、決して軽々しい事と思うでない。親神の方には深い深い考えがあってする事である。
月日にハたいて心ハつくせとも
せかいぢううハまだせかいなみ ( 8号034)
註釈 34
親神は並大抵でない心を尽しているのであるが、世界中の者は未だ少しも親神の意中を悟らず人間心ばかり使っている。
このよふをはじめたしたるほんしんを
ゆうてきかさん事にをいてわ ( 8号035)
註釈 35
親神がこの世界を創め出した本心を言うて聞かさなければ、何も彼も分からないであろう。
このところつとめばしよハにんけんを
はじめだしたるところなるそや ( 8号036)
註釈 36
このつとめ場所は、人間を創め出した元のぢばである。
註
つとめ場所とはたすけづとめをする場所の意で、元のぢばに建てられている本部神殿である。
にんけんをはじめだしたるこのをやハ
そんめゑでいるこれがまことや ( 8号037)
註釈 37
元無い人間無い世界をこしらえた親は、今現に教祖として生きて現れている。これが確かな事実である。
註
本教は、親神様が教祖様をやしろとして直き直きお現われ下さっている事を仰せ下されている。
このはなしこれをまことにをもうもの
どこのものでもさらにあるまい ( 8号038)
註釈 38
この話を本当と思って聞く者は、どこを捜してもいないであろう。
このよふなない事ばかりゆうのハな
これがしんぢつみなまことやで ( 8号039)
註釈 39(なし)
いまゝでもないせかいをばはじめたハ
しらぬ事をばをしゑはじめて ( 8号040)
註釈 40―41
親神は、元々無い世界を創め出すためには、だれも知らぬ事をば教え始めたのであるが、今度もまた、今までに無い事や人の未だ知らぬ事ばかりを説いて、この教を創めかける。
このたびもまたない事やしらぬ事
ばかりゆううてまたをしへかけ ( 8号041)
註釈 40―41
どのよふなものでもしらぬ事ばかり
これをふしへる月日をもわく ( 8号042)
註釈 42
だれも知らない事ばかり教えかけるのは、親神に深い考えがあるからの事である。
月日にハたん/\しらぬ事ばかり
なにもをしへてせかいたすける ( 8号043)
註釈 43
親神は、次々に人間の知らぬ事ばかりを、何も彼も教えて、世界一列を救けるのである。
こらほどにをもう月日のしんばいを
せかいのものハなにもしらずに ( 8号044)
註釈 44
世界一列を救けるために、これ程までに心を尽している親神の胸の中を、世界の者は何も知らずに、ただ人間心ばかりで銘々勝手な思案をしている。
心さい月日しんぢつうけとれば
どんなたすけもみなうけやうで ( 8号045)
註釈 45(なし)
とのよふなたすけとゆうもしんちつの
をやがいるから月日ゆうのや ( 8号046)
註釈 46
どのようなたすけでも皆引き受けると親神が言うのも、真実の親即ち教祖がいるから言うのである。
この月日もとなるぢばや元なるの
いんねんあるでちうよぢざいを ( 8号047)
註釈 47
親神が自由自在の守護をするというのは、元々世界一列を創め出した元のぢばであり、真実の親がいるという深いいんねんがあるからである。
このはなしなんでこのよにくどいなら
たすけ一ぢようけやうのもと ( 8号048)
註釈 48
この話を何故このようにくどくどしくするかといえば、これがそもそもたすけ一条を請け合う根本だからである。
このもとハとこをたづねてみたるとも
しりたるものハさらにあるまい ( 8号049)
註釈 49―50
このよろづ委細の根本は、どこを尋ねてみても知っている者は一人も無いであろう。それもそのはずである。親神が人間の体内に入り込んで話をするのは、今度が初めてであるから。
註
月日たいない入りこんでは、親神様が教祖様をやしろとして入り込み給うた事を仰せ下されてある。
そのはづや月日たいない入りこんで
はなしするのハいまはじめやで ( 8号050)
註釈 49―50
このせかい一れつみゑる月日なら
とこの事でもしらぬ事なし ( 8号051)
註釈 51―52
月日は、世界どこからでも拝めるものであるから、世界中の事は如何な事でも知らぬという事はない。それと同じく、親神は人間の思う事為る事をよく見定めて、善と悪とを区別する。
月日よりみなそれ/\とみさだめて
善とあくとをみハけするぞや ( 8号052)
註釈 51―52
月日よりなんでこのよにくどいなら
あしきみへるがきのどくなから ( 8号053)
註釈 53
親神が何故くどくどしく言うかといえば、悪しき事が現れて来るのが気の毒でならないからである。
たん/\とをんかかさなりそのゆへハ
きゆばとみへるみちがあるから ( 8号054)
註釈 54
人間は、親神の深い意図によって造られ、神恩によって生かされているのであるが、この神恩の偉大な事を知らず、従って、報恩感謝の道に進まずして、なおも気随気ままの道を歩み恩に恩を重ねたならば、最後には牛馬に等しい道に堕るの外はないから、それが気の毒である。
註
それゆへハは、その上はの意、第5号4註参照。
とのよふなものでも月日しんぢつを
うけとりたならみなたすけるで ( 8号055)
註釈 55
然しながら、どのように悪業を重ねてその結果身上事情の深い悩みに苦しんでいる者でも、真底から心を入れ替えて、誠真実の心を定めて親神に願うならば、親神がその心の真実を受け取り次第、必ず皆救けてやろう。
・・・・・・
これから先は、また後日に出来たら追記します。(2021.08.15)(2021.08.16追記)