4月3日には、少年会愛知団のおつとめ総会がありました。
初めてのリーモート開催でした。うちでは妻がiPadを使っているので、それを見ながら参加しました。
リーモート、リモートと世間では言われますが、そうした環境(Wi-Fi環境)がないと難しい事だと思いました。
参加者の意識が大切で、リモートをする以前のつながりがあってのリモート総会と思えました。
考える良い機会を与えてもらいました。準備をしてくれた人々に感謝です。
4月4日には、団参をしました。
うちの家族と、信者さん3名。合計8名でおぢばがえりしました。
この4月は、18日が日曜日なので、18日に団参をとも思いましたが、新型コロナが広がる事を思うと、早めにすることと、大勢が集まる時は避ける事が重要と思い、4日にしたのでした。
行きたいという方のみ、29人乗りのマイクロバスで出かけました。
予報では雨でした。名古屋を出る時には、当然雨です。
団参で雨は珍しいなぁ。何かあるのかなぁと思いつつ、出発をしました。
三重県を抜け、奈良県に近づくと雨が小降りになり、空が明るくなってきました。
そして、おぢばに着くと、曇りになりました。雨があがったのだ。と思いました。
ところが、おぢばの息子に聞くと、「予報は雨だったけど、朝から降ってないよ」との事で、ビックリしました。
移動した私たちにすれば、雨が上がったと感じたのですが、雨が降っていない所へ移動しただけだったのです。
北礼拝場で参拝をして、日頃話せない話をしながら回廊を廻りました。
回廊拭きをされている数人のグループ、境内地で草抜きをされているグループなどを、少しですが見かけました。
新型コロナが蔓延する直前の団参で、親神様の不思議を目の当たりにしての今日です。
すべては親神様のお導きの中での出来事で、大切なのは、それぞれが気が付く事、悟る事だと思っています。
「善悪共にみな分けるでな」と聞かせられます。
自分の心の善悪もそうですが、身近でも、世界の上にも善悪をしっかりと分けて下さっていると思います。
そして、親神様はこの事に気が付いてほしいと、ずっと思っているのですが、なかなかそうはいかず、自らの心に縛られて、苦しんでおられる方々が多くあるのです。
これは、上下関係なく、全ての人にであります。上に立つものは上に立つものとして、下のものは下のものとしてです。
上のものにも上下はあり、下のものにも上下はあるのです。
これが天の理です。
上には上の役目、下には下の役目があり、年限が経てば、いくら嫌だと言っても、下のものでも上に行かねばならない人もあるのです。
これも天の理です。
こうした天の理を知らず、または知っていても自分の勝手気ままに、理を作って人をだましていれば、どうなるか。
「うそをついたらその者がうそになるのがこれがしょうちか」
と言われる通り、自分のうそで自分が苦しまなければならなくなるのです。
これも天の理です。
こうした事は、親神様が人間をこの地球に誕生させた目的を述べられているから信じられるのです。
ただ神がいるだけでは味気ない。「人間を作りその陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたい」とそう思われた思いを知っているから、そして親神様の不思議を体感するから、「今でも陽気ぐらしが出来るように導いてくれている」と思えるから言えるのです。
このことは「元はじまりの話・元の理」に書かれています。
そして、親神様が直々に教祖(中山みき)の身体に入り込み、自らが人間として、陽気ぐらしを実現するための人間の通り方を「ひながた」として残されました。
だから、教祖が通られた歩みが「稿本天理教教祖伝」として、天理教の教義として教えられているのです。
世界には宗教が沢山あります。この意義は小さな地域での事であればよかったのですが、地球として人類として、共通の意識を持つためには、とても難しい課題であります。
だからこそ、10のものならば、9つまで様々な宗教や哲学などで教え、最後の一点『人間を作った目的』を、この天理教として教えられたのです。だから、一人立ちする教えといわれたのです。
どれだけ科学が進み、そして医学が進んでも、人間の心が成人して、共に信じられるようにならなければ、幸せには慣れないのです。
信じられるようになるには、「うそをつかない。誠の心で通る」という事が、定められなければならないのです。
親神様は常に見ておられて、采配を振るわれます。これは、誠の心を受け取ってであります。
「誠」にも区別がある事を教えられています。
自分自身の事を心底から願うのも「誠」です。
家族の事を心底から願うのも「誠」です。
そして、それ以外の周囲の人々、世界の人々の事を心底から願うのも「誠」です。
この段階があります。一番しやすいのが、自分の事を願う事です。
ここから始まります。でも、自分の願いを優先するあまりに、家族をないがしろにする場合があるのです。
この状態での事を教えられている「教え」があり、次には、家族間での誠について教えられている「教え」もあるのです。
この家族間の誠を少し大きくすれば、国ともなるでしょう。その国。地域でまとまるためにに教えられた「教え」もあるのです。
そうなった時には、違う地域とでは価値観が異なります。例えば、よく言われるの、農耕民族と狩猟民族の違いであります。この二つの地域では、それらがまとまるためのルールは自ずと違っていても当然という事になります。
この違いを認識しないで、自分だけが、自分の地域の事だけが正しいと思い込むから問題になるのです。
1次元・2次元・3次元の世界と言われますが、この次元という事を、見方という言い方に変えればわかりやすいかと思います。
1次元とは、自分だけの事しか見えない場合。
2次元とは、自分と相手だけしか見えない場合。
3次元とは、自分と相手とまたその他の人の事が見える場合。という事です。
これだけ、人が増えて、考える知恵・知識が増えて来た現在。人の裏を見て、考えたりすることが出来、医薬で人の心をも操作できる知識を得た現在。
この次元・見方はとてもたくさんの事を理解しなければ、治まらないようになってきていると思われます。
だからこそ、人との差を感じて、自らの間違いを正すことが大切であり、神様に世界の平和を願い、導いて頂く心を持つことが大切だと思うのです。
自分だけの事しか考えられないのは、子供です。
子供は、些細なうそも許されます。それは、親がそれを知りながらも、まだ子供だからと見逃しているからです。
けれども、子供通しではそうは行きません。だから喧嘩になります。
その喧嘩で、子供たちは善悪を学びます。
けれども、この喧嘩を親が要らぬ理屈で止めたり、自分の保身から子供にうそを教えたら、その子供は真の善悪を学べずに大人になり、多くの人々に迷惑をかけることにもなりかねないのです。
それが歴史となるのです。うその歴史を作り上げる事も出来るのです。
この事もすでに見えて来ています。
その清算は必ず行われます。それが、神様の残念の現れです。
地震大風水つきと教えられている天災であります。
また、火水風とも教えられている働きのバランスが崩れる事です。
そうした天災の時に、どのような対処をするか、どのような心でいるか。これが大切だと思います。
天災では、亡くなる方もあるのです。反対に生き残る方もあるのです。
この差も問題ですが、亡くなった後どうなるかが問題であります。
人間は生まれ変わり出変わりしているのです。魂が生まれ変わりしているのです。
この点を心に置かねばなりません。
これを一代限りでと考えれば、それまでです。次は新しい体を借りて、子供として生まれてくるのです。
その時に、良い環境にしておくか、悪い環境にしておくかは、今生きているそれぞれの責任なのです。
一代限りと考えて、今の世の中はどうなっても良い、どんな環境になっていても良い。
「今さえよければ」と好き勝手をすればどうなるでしょうか?
この考え方が、とても重要だと思います。
どれだけ科学や医学が進んでも、この考え方が変わらなければ、ならないと私は思うのです。
子供のためにと親が苦労をする。その親はこの苦労は苦労と思わず、反対に喜びに感じる。そんな親もあります。
反対に、親が自分のためにと自分は苦労をせずに子供に苦労を強いる。こんな親もあるのです。
ところが、こういう親もあります。我が子だけは可愛い、けれども他の子供はどうでもよい。という親もあります。
また、子供のためにとわざわざ子供に苦労をさせる親もあります。この親は自らも苦労をしながらも、喜び、子供の成長を見守り、その子供の成長に合わせて態度を変えて行きます。
簡単に書きましたが、事例は多岐にわたります。これ全て、親の心により差が出るのです。
こうした事を研究し、まとめる事が出来れば、世界中の人間が既存の宗教に頼ることから脱却して、人類が一つとして考えるための足掛かりになるかと思います。
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団参で雨に当たらずに参拝できた不思議を記録しようとして書き始めたのに、全く違った話に発展してしまいました。
どこかで、どうしたら世界が一つになれるか、と悩んでいるニュースを見たのが心にあったからなかぁと、今思いました。
親神様は「研究せよ」と言われています。
陽気ぐらし実現にはまだまだですが、一つずつを楽しみながら、一日一日を過ごしたいと思います。
そうそう。思い出しました。
Facebookに「記念建物」の配置図を載せたのですが、それについて書こうと思っていたのです。
これについては、またの機会にします。
今日は、支部例会の資料を作成します。
読みにくい文章に、最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
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親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。