3月26日 ご本部の月次祭は朝から雨。
東の山は雲の中。
このような月次祭は、私の記憶の中ではとても珍しい。
前日25日にお許し頂いたお運び教会の直会に同席させて頂いて、午前2時まで。。。
さすがに朝づとめは起きれず、朝食には間に合って支度を済ませて、ボーっとしながら9時前に歩いて詰所を出発した。
この調子では祭文には間に合わないだろうなぁと思いつつ、乗降場南の信号を渡ると雅楽の音が聞こえる。
間に合わなかったなと思って坂を上り、砂利を歩いていると、いつまでも雅楽が止まらない。
「???」
止まったと思ったら、「これの元のぢばに。。。」と聞こえてくる。
「あれま、間に合った」と思い、第三御用場の西側で、録画しながら拝聴する。
こんな雨も珍しいからと、西礼拝場を撮影して、中庭へ。
中庭には西礼拝場前までパイプ椅子が並べられているが、ほとんど座っている人がない。
参拝者がとても少なく感じた。
しかし、西の楼門から中庭へ入る人々が続いている。
かぐらづとめ、前半下り、後半下りと中庭の中央から周囲を撮影したら、人の増え具合が分かるのではないかと思い、撮影を始める。
かぐらづとめが終わり、よろづよが始まったので、撮影を開始したとたん「先生」と声が掛かる。
撮影を止めて、対応をする。
「いつも見ています。どこにいるか分かります。」「実は部内の会長から。。。」と相談を持ちかけられる。
中庭の中央で、傘を差しながら、前半下りを聞きながら、相談に乗る。
「話が出来て良かったです」と喜んでもらい、「これだけ相談に乗ったのは修養科以来だね」と話して分かれた。
後半下りになり、中庭を一周動画に納めた。
中庭で回廊の軒先で参拝される人々の数は変わらないが、西・北・東の回廊を歩く人々の数は、時間と共にとても増えている。
そんなところへ、妻から西礼拝場に座っていると連絡が入る。
合流しようと西礼拝場へ上がるも、人が一杯でどこにいるか分からない。
西北の回廊へ出ると、専修科を出たての親子に会う。
「専修科を終えて、こうして参拝すると、気分が違うだろう」と話しかけてその横で後半下りは参拝した。
知った顔が次々と前を通る。
みんなマスクを付けているが、「コロナ以前の様子に戻ったなぁ」と嬉しくなった。
後半下りが終わると、妻から「西礼拝場の○○にいる」と詳細が伝えられてきた。
西礼拝場内に入り、妻と長男の側で神殿講話を拝聴する。
講話が終わって、皆でおつとめをつとめる。
そして、教祖殿・祖霊殿と中庭を通って参拝に行った。
コロナ以前と全く同じ事をしている。
同じ事が出来る事が、どれだけありがたい事か。。。
おぢばの様子をFacebookで発信すると、なかなかおぢばへ帰れない人々からメッセージが届く。
雨のおぢば、雨だから各礼拝場はいっぱいの人だった。
マスクはつけていても、コロナ関係なく蜜の状態である。
すべては親神様の御守護のままに、それぞれの心通りに御守護を下さっている。
大難は小難に、小難は無難にと。。
そのお礼にと人々は足を運ぶ。
また、様々な身上の方の平癒を願い、おつとめをする。
私も、先日乳がんの手術を受けられた方の事を思っておつとめを勤めた。
帰りがけの車の中で妻から、「25日に乳がんの方へおさづけを取り次ぎに行って来た。」と報告を受ける。
言わずとも、自ら足を運んでくれたことを嬉しく思った。
月次祭の祭典総てが終わり、友人から連絡をもらった『生命(いのち)の進化ー科学の進歩で見えて来た「元の理」』を養徳社前まで買いに行く。
連絡をくれた友人が手伝いをしていた。
本当に久々にあったが、昔と変わらず、スマートにかっこよく、勇んで動いていると思った。
後でメールで話をしたところ、「この本に出合って「元の理」の素晴らしさを実感して、信仰をやり直した気分だ」との事だった。
先日、岐阜の勉強会に参加した同級生も「元の理」を探求して勇んでいた。
「元の理」パワーおそるべし!!
難解であるがゆえに、自ら求める姿勢が必要な教理でもあるが、自らそれを求めれば。。と思うばかりである。
これらを終えて、娘の引っ越しである。
寮から新たなアパートへ、ちょうど名古屋へ帰る途中の職場となったお陰で、雨の中であろうとも、スムーズに事が運んだ。
本当にありがたい3月26日でした。
色んな方の丹精をしてるんだね。
本物の教会長を久々に見た気分だ(^0^)
投稿に気が付きませんでした。
私も嬉しかったです。
皆それぞれに考え方が違い、それぞれに苦悩しています。
そして、一つずつ階段を登るように学びを得ていると思います。
すべては親神様のお導きのままに、と思います。
また会いましょう。