前回、悪いんねん・白いんねんについて書いたが、ある人が「いんねんは教祖が説いていない。よく勉強するように。」と発言された。
そこで、「元にする資料が違うのですね。」とだけ答えておいた。
そこで、
「おふでさき」と「おさしづ」から「いんねん」に関しての部分を、資料として掲載しておく。
「おふでさき」は教祖が直筆で書かれた親神様直接のお言葉であり、「おさしづ」は教祖・親神様のお言葉を本席様が伝えられたものである。
ここに「いんねん」という言葉がある事から、「教祖がいんねんを説いていない」とは言えないはずである。
また、「ほこりの説き分け」に於いて、「ほこりの心遣いが掃いても拭いても取れなくなったものがいんねんとなる」とのくだりがあり、かしものかりものの説き分けは、それぞれの心に全ての物は貸し与えているという話しからすれば、因縁として物事の因果を慮るだけではなく、根である心から思案するものが「いんねん」の話であると私は理解している。
そうした時に「いんねんは心の道」という言葉が心に治まる。
また、良い事も悪い事も、その心すらも親神様が天の帳面につけて、今世に於いて帳尻を合わせて下さっているという「天の帳面」の話も得心するのである。
さらには、親神様の「神人和楽の陽気ぐらし実現」をするための道具衆においては、善悪のいんねんというよりも、親神様の道具衆としての「いんねん」によって様々な事柄が起きる事も思案に入れる必要があると思われる。
我われが、考える上に起こる事は、身上であったり事情であるが、その起こる元は、それぞれの「心のほこり」が元である場合もあれば、「親神様の道具衆を仕込む」場合もあると考えられる。
そう思えたきっかけは、飯降伊蔵先生が櫟本におられた当時、教祖が「ほこりの事は伊蔵さんへ廻れ」と言われたとの文章を目にした時である。
私たちは自分自身の身上や事情の助かりばかりを願い尋ねるが、親神様としては、個人の事はとても小さな事で、この世の理を教え込むことが、これから先の人間の成人の上に重要な事であり、にんそく社の人々や取次ぎ人そしてつとめ人衆を育成する事が重要だったように、おさしづを読みながら感じるのである。
いかに資料を提示しておきます。
思うがままに。。
【おふでさき】(勉強のために註釈も添えておく)
1)きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん ( 1号006)
註釈 1号6
この根本のいわれを聞きたいと思うならば、尋ねて来るがよい。この世の成り立ちを初め総ての理を詳しく教えよう。
2)このよふハあくしまじりであるからに
いんねんつける事ハいかんで ( 1号062)
註釈 1号62
この世の中は、ややもすると悪い事に染まり易いから、注意して悪いんねんを積まぬようにしなければならぬ。
3)せんしよのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる ( 1号074)
註釈 1号74
前生からの深いいんねんある者を、この屋敷に引き寄せて夫婦として守護する。この前生いんねんの魂は永久にぢばに治まるのである。
註
前生のいんねんとは、秀司先生とまつゑ様のことを仰せられている。このお二人は前生のいんねんによって今生夫婦となられるべき方であり、又お二人ともぢばに深いいんねんのある方々である。
4)二二の二の五つにはなしかけ
よろついんねんみなときゝかす ( 3号147)
註釈 3号147
註
これは明治7年2月22日の夜の5つ刻(今の午後8時)の「おふでさき」で、当時辻忠作は昼間は家業に従事し、夜分教祖様の許に参って御用を勤めていたが、当日は歯が痛んで困るから、早くお参りをして救けてもらおうと内を出かけると、忘れたように歯痛が治った。それで、彼は有難く思い、早速お参りして教祖様にその由を申し上げると、教祖様は、辻忠作に『今これを書きました。よく見なされ』と、このお歌を示して親神様の話をじゅんじゅんとお説き下されたのである。
5)どのよふなところの人がでゝきても
みないんねんのものであるから ( 4号054)
註釈 4号54
何処の国からも多くの人がぢばを慕うて帰って来る事になるが、しかし、それ等は何れも親神の子供で、真実親子のいんねんから帰参するものであるから、決して偶然と思うてはならぬ。
6)にんけんをはじめだしたるやしきなり
そのいんねんであまくたりたで ( 4号055)
註釈 4号55
ぢばは人間宿し込みの親里である。その生まれ故郷のいんねんを以て、親神が天降ったのである。
註 これ即ち、本教にいうぢばのいんねんである。本教の発祥は、この、ぢばのいんねんと旬刻限の理及び、教祖魂のいんねんの3つが一致したところにある。
7)けふの日ハなにかめづらしはじめだし
よろづいんねんみなついてくる ( 4号060)
註釈 4号60
この度は、何も彼も珍しいたすけ一条の道を始めかけて、この世の元初まりの真実を説いて聞かせる。そうしたならば、人間は皆親神の子供であるという事が分かって、この道について来る。
8)いんねんもをふくの人であるからに
とこにへだてハあるとをもうな ( 4号061)
註釈 4号61
多種多様のいんねんにより、人種を異にし境遇を異にしているのではあるが、そのいんねんに応じて親神が守護を差別するものではない。又、人々国々によって分け隔てをするものでもない。公平無私は親神の心である。
9)月日より三十八ねんいぜんにて
あまくだりたる元のいんねん ( 7号001)
註釈 7号1
今から38年以前、ぢばのいんねん、教祖魂のいんねん、及び旬刻限の到来によって、真実の親神が天降ったのである。
註
当時から38年以前、即ち天保9年10月26日、親神様が教祖様を神のやしろとして、天降り給うた事を、仰せられているのである。
10)月日よりそのいんねんがあるゆへに
なにかいさいをはなしたいから ( 7号002)
註釈 7号2
そういういんねんがあるから、その元のいんねんについて、万事詳細に親神から直接に話を聞かせたいので、天降ったのである。
11)この月日もとなるぢばや元なるの
いんねんあるでちうよぢざいを ( 8号047)
註釈 8号47
親神が自由自在の守護をするというのは、元々世界一列を創め出した元のぢばであり、真実の親がいるという深いいんねんがあるからである。
12)月日よりひきうけするとゆうのもな
もとのいんねんあるからの事 (11号029)
註釈 11号29-30
註
もとのいんねんとは、こかん様のいんねんを指す。本号69-72註参照。
《以下、11号69-72註釈:
この世の初まり出しは大和であって、その中の山辺郡庄屋敷村である。その庄屋敷村の中山氏という屋敷に、人間創造の道具の理を体した者が見える。
この道具とは、いざなぎのみこと、いざなみのみこと、くにさづちのみこと、月よみのみことである。
親神はこれを見澄まし旬刻限と共に元なるぢばに天降り、教祖を月日のやしろとしてたすけ一条の真実を、何も彼も皆仕込む段取りに取り掛かって来た。
註
教祖様は、このお道をお創め下さるに就いて、言うに言えぬ産みの苦しみをおなめ下され、夫善兵衛様また一家を捧げて教祖様のたすけ一条の教の創始に協力するという、並々ならぬ御心労をお通り下された。又、秀司先生は、貧困の中に家計を支え、又、世間の迫害嘲笑に対しては、百方手段を尽くして道の立つように努力せられ、こかん様は、母を慰め兄を励まし、よく一家の和楽を保って、お道のため一方ならぬ辛酸をなめて下された。
これ実に、それぞれ人間創造の御守護の理の一つ一つを身に体しておられたからであって、ここに親神様の深い深い神慮の程を拝察することが出来る。第6号29-51註参照。》
13)いんねんもどふゆう事であるならば
にんけんはぢめもとのどふぐや (11号030)
註釈 11号29-30
【おさしづ】(「いんねん」で検索をすると50件余りが出てくる。その中で「悪いんねん・白いんねん」の言葉が出てくるものだけを掲載する)
No. :(4巻3098頁5行)
明治31年9月30日午前2時
『刻限御話』
さあ/\まあ/\やれ/\、ふん/\、やれ/\、話し掛け/\。さあ今夜はどういう事を話す。年限々々十年一寸余り、どうして行こうと、かいだるい/\刻限刻限、何ぼう刻限知らしても何のさしづ、とんとどんならん/\。十年この方、つとめせにゃならん。つとめで開かにゃ開けん/\。ならん/\で暮れて了うた。一日前二日前、いかなる事も一寸々々、理を聞き分けて居る中に順序も知らしてある。理も聞いて居る間と刻限と何でも彼でも分けて見せる。年限十年少し前どうでもならん、こうでもならん/\から暮れて了うた。世上あちらこちら、一寸々々にをい掛け、年限相応のもの、可哀そうなから、この学び道を付けた。その学びの道は知らん。これから先長い/\年限である。未だ/\一寸には運べん。一寸すっきりのもの、二分通り仕上げたら、覚束無い(おぼつかない)もの。十分のものに仕上げたら、どういうもの。どういう筆を取る、こういう筆を取る。筆に記してくれにゃならん。言葉で諭してもどうもならん。十分知らしたら、一つ/\治めてくれにゃならん。筆に記したとてどうもならん。皆勝手の理を拵える。何を思うても、この道神一条の道、どんな事も立てゝ見せる。これからどんな事も神は大目に見て居る。神というもの、そんな小さい心でない。世界中子供を寄せ合うて、これもいかんあれもいかん、ちょいと/\治め掛け、世界諭し掛け。あら/\の道、二三年前までは一寸も分からなんだ。あちら高い所/\声を掛け。容易でなかった。二分通り上ぼりたら、倒けて行く。二分通り辛抱ようせず、知らんとも言えようまい。今日の日見て居る。神一条の道で神一条の言葉で出来たもの。早うから仕込んである。どんな事もこんな事も分からん事情又替わる。代の替わるようなもの。代替わり、根がどうも難しいてならん。程良う付いて二分通り行て喰い止まりて三分、一分の処難しい。一寸弘め掛け、三分立ちたら七分は直ぐに治める。もう一分難しい。何ぼ諭した神のさしづ、皆んなあちらへ映るこちらへ映る。勝手の悪いさしづは埋もって、こんな事では一分の日難しいなる。迫って来る。この迫って来るはどういう順序の理。諭さりょうか。多くの中、楽しみ/\いう理が何から出来たものであろう。容易ならん道、欲を離れて出て来る。何と思うて居る。日々改めて居る。種という理を以て話し掛け。種は元である。口上手(くちじょうず)弁が達者(べんがたっしゃ)やと言うても何にもならん。日々取り扱い本部員本部員というは神が付けたものか。これ一つ改めてくれ。そういう理は人間心で付けた道、世界は人間の道。このやしき人間心で通る事出来ん。神の理それだけ難しい。何処へ行っても無理という理は無い。神が理を治め掛けたる。世上どういう理以て、何でも彼でも治めて掛かる。この順序聞き分けてくれにゃならん。何処で真似をしたとてならん。何処で店を張ったとてどうもならん。元が無いから。このやしき元なるぢばと言うたる。その元へ入り、神一条の理を持ってくれ。十本の背(せい)を揃え、十本の中からだん/\順序ある。双方の日を重ねにゃならん。日を重ね、恩を重ねてどうもならん。年限重ね、年限曇りなりに通れば、十本の杭(くい)を打ったも同じ事。長い短い分からねば、分からん処は何遍でも問い返やせ/\。一つも問い返やさず、長い短い問い返やせと/\言うに、もう宜しいと言うから、神が退(ひ)いて了(しも)うた。それから会議々々と言うたて、人間さしづを拵え、取次見苦しい。ごもくだらけ。一寸々々日々積もれば山となる。この、山となったらどうするか、この順序聞き分け出来ねば、人間心通るだけ通りてみればよい。
『暫くして』
さあ/\今夜々々は、十分説き聞かして、捨てゝみたり撫(な)でてみたり、をやが出てこの話、何と思うて聞いて居る。十分見えて一つの区域、何っからどういう事になるか、どういう事も諭して、知らず/\に居てはどうもならん。ほんに今のもの、年限も来たら日々の処治まり、代も替わり、二代三代治まるように成る。一代で詳しい事分かりゃせん。寄り合うた中、十人の中、言葉一度に出さりゃせん。大掃除や。この順序見難くい。この理に止どまる。ほんにそうであったか、ほんにそうと尋ねてくればよし。この順序の道定めてくれねば、尋ねるまで。これ一つ諭し置く。
『一二三の理を尋ねるに付伺』
さあ/\一寸話した/\。中にて、一、二、三、中に取り混ぜて話、一二三分からん。未だ分からんぐらいは大事無い。分けて一時順序運ぶ。心に日々曇り無く、道理からの理。その中に聞くに聞かれん、見るに見られん、高い低い理、長い短い理。よう聞き分け。神のさしづを聞いて、分からん事を聞き分け。どうもならん。何ぼ諭したとて、勝手ある。善いと悪いと、長い短い、ほんにこれでこそ神の話。さしづ通りよりならんものと定め。春以来順序一点の点を掛け。やっぱりどうもならん。どうやこうや知らず/\運び掛ける処、人間心残念。台というこれがだん/\に聞こえ/\て中にこうやと言う。そうやっしになって了うてはならん。一時一つの心、ならん処から、だん/\諭し掛けたる。さしづ通りすれば、大きの声で、どうやこうやと聞いて見苦しいから、そんなやしきであろうまい。めん/\心に一つ成程という日から連れて帰ってる。成程の理に、だん/\区別々々このやしきに無い程に。容易大抵の事でない。よう聞き分け。あの人めん/\頼り持ったなら、重々の理を楽しみ、理を積もり恐ろしや。たゞ一つ台である。前々本部員々々々と言うて居る。これもだん/\ある。本部員々々々何人ある。本部員というものは、神から言うたのか。人間が言うたのであろ。人衆始め掛けと寄せてある。これから一つ考えてみよ。表並び/\、高い低いも長い短いも分かるである/\。我が事した事は、皆人の事と思たらあきゃせん。我が事と思たら、我が事になる。人の事と思たら人の事になって了う。どれだけいんねんじゃ、いんねんと言うても、白いんねんもある、悪いんねんもある。よう聞き分け。何ぼ本部員第一の空に居た者である。下からならん/\。この理皆それ/\、散乱して心を計ってみよ。上に留まっても、足持って蹴って了(しも)たら、ころ/\と行って了(しも)うた。可哀そうなものや。それじゃから、本部員じゃという。あちらへ理を掛け、こちらへ理を掛け、掛けさがしの順序、道とは言わん程に。これをよう聞き分けてくれ/\。