昨日餅つきも無事に終わった。
例年ならば近所の子供たちを呼んで、賑わしくするのだが、今回はうちの子供たちだけでこじんまりと行った。
前日、準備をしていると、迎えの工事現場で交通整理をしていたガードマンさんが、「餅つきですか。いいですね。昔はやらされていたけれど。。」と声を掛けてくれた。
そして、信者さん一人と隣の方が搗きに来てくださり、楽しくつく事が出来た。
近所の人たちも来ないだろうと、3臼だけにしたところ、今朝「あれれうちののしもちが無い」という事に気がついて、やはり4臼は必要だと実感した。
うちののしもちは、冷凍のものがあるので、「それで丁度いい。」となりました。
信者さんの若い方が来て下さると、手返しなどをしてもらえてよかったのだが、今年はいないので、3臼とも手返しをした。
さすがにきつかった。終わると首が痛み、道具返しと買い出しは、例年の如く妻と子供たちで出かけた。
今日はまだまだ、信者さん数件へ餅を届けに行って、元旦祭の準備です。
いよいよ明日は、新しい年です。
といっても、早朝から妻は新聞配達、私は大教会の元旦祭。
それを終えてからうちの元旦祭です。
それを終えてから、妻と子供たちが大教会へ参拝に行きます。
こうした事を、29年間勤めて来たわけです。
元旦祭は誰も参拝には来ませんが、うちにいる子供たちと共に、がやがや言いながらつとめます。
一番最初の元旦祭は、夫婦二人だけでした。
それから段々と子供たちと共にするようになり、今日です。
いつの頃からか、元旦祭の後に、写真を撮るようになりました。
今年も撮りたいと思っています。
先日教理の資料として、「天理教教典」を投稿しましたが、それに付随して天理教事典の「教典」の部分を投稿したいと思っていました。
そこには、天理教と政府とのやり取りについての歴史が書かれているからです。
残念ながら今年には出来ませんでしたが、出来る時があればまた投稿したいと思います。
本年も一年、色々とありがとうございました。
まだまだ、世界は混迷の中(戦争中)にあります。
「神が心配」という「教祖のお言葉」これが常に私の心にあります。
「いんねんなら通らにゃならん。通って果たさにゃならん。」
これも常に聞くお言葉です。
通って果たす時の心が次への種となるのです。
この教えを聞いている方は、聞いていない方とは違うはずですが、聞いてもなるほどと思えない方、ウソだと思う方など様々ですので、一様には行かないのが現状です。
どうぞ、それぞれに教祖のお言葉・これまでの歴史を思案をして、それぞれのいんねんに応じた成人をさせて頂ければと思います。
皆様方のご多幸を念じております。
どうぞ、来年もまたよろしくお願いいたします。