おふでさきに関する「おさしづ」1
1)●1巻 明治20年6月24日(旧5月4日) 増野正兵衛身上伺 通巻45頁 8行目
No.1 :(1巻59頁6行)
明治20年6月24日 陰暦5月4日
『増野正兵衞身上伺』
さあ/\何かの処、皆それ/\、皆障り、さあ/\どういう事を知らす。尋ね事情、何かの処、さあしっかり聞き分け。何よの処、どういう処、踏み止まる。取次々々、だん/\取次、しっかり取次、道付け始まる。どういう大道々々、大道の掛かり。どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。ふでさき通り皆出る。今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。大きふしなら、大きな心据える。大きなふし、大きなふしが出る。忘る一寸、どういう事、こういう事、泥水流れるなら、どういう事、いかなる水の掛かり。取次、これをしっかり聞き分け。又延びるやら知れん。今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。
日々一日、取次だん/\出で来る。日々事で、どういう処の道を尋ね、いかなる十分の道を尋ね。一つ泥水、取次一つ心、どういう処から掛かる。一つどういう事。一つ何時分からん。成程の道、こうなる纒まり、談示々々水の席火が出る、火の席に水が出る。そこで水の席に水、火の席に火を以て、いかなる処、談じ置かねばならん。
・・・・・・・
【読み方】
取次;とりつぎ
大道;おおみち
泥水;どろみず
名立;なたて
心据える;こころすえる
纒まり;まとまり
談示;だんじ
・・・
【割書きの増野正兵衛について】
改訂天理教事典の「増野正兵衛」の項を見ると、明治17年2月に身上助けを頂いて入信をして、教祖にご対面した折に「いずれはこの屋敷に来ないかんで」と言葉を頂いている。その後明治20年5月14日(陰暦4月22日・おさしづ1巻55頁)におさづけの理を頂き(※1「改訂天理教事典」では明治20年5月4日となっている。)、明治22年12月31日に、教祖のお言葉通り、お屋敷に住込みとなる。
また、それ以前の明治21年に教会本部が設置されてから、本部会計兼派出係として、年祭活動の経理運営に尽力した。
さらに、おさしづの割書きを「増野正兵衞」で検索をすると300件以上あり、おさしづの内容を見て見ると、本人の心得違い、いんねんによる身上というよりも、刻限同様に、親神様が話しを聞かせたいがために、身上にして引き寄せたと思われるものが多くあるように思える。
これらの事を考えると、このおさしづも、刻限同様の仕込むためのお話であろうと思われる。
増野正兵衛(ますのしょうべい)。。おさしづの理解のために。。 - あつたかい ブログ 2 (goo.ne.jp)
【このおさしづから思う事】
まず、「おふでさきに関するおさしづ」という事から、「おふでさき(ふでさき)」という言葉の出てくるところから見て見ます。
「治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。ふでさき通り皆出る。今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。」
何が起こっているのかは、これだけでは分かりませんし、「名立」がどういう意味か分かりません。しかし、「おふでさき」に記されたとおりの事が起きていることは理解できると思います。これによって、「おふでさき」が予言の書と言われても良いかと思います。
そして、おふでさきの一番最後のお歌。
このはなしあいづたてやいてたならば
なにゝついてもみなこのとふり (17-74)
「このはなし合図立てあいでたならば、何についても皆この通り」とのお言葉と、重なります。
そして、この「合図立てあい出る」という事は、教祖のひながたが万人のひながたと言われ、人々が陽気ぐらし実現できるための手本という事と、そして、おふでさきはその道中での仕込みの書である事も考え合わせると、時旬はその時だけではなく、状況が重なれば繰り返し出現すると考える事も出来ると思います。
そうした時に、「取次々々、だん/\取次、しっかり取次、道付け始まる。」と言われる「取次ぎ」という役目の人々が重要になってくるとも思われるのです。
そして、この明治20年は、教祖が現身を隠されて、世界の人々は天理教はもう終わりだと思う中です。しかし、次々と不思議な身上事情の御守護が現れて、おたすけ人はご存命の教祖のお陰として、教祖の一年祭に向けて歩む時でもあります。
そして、身上事情を頂く人の中には、この増野先生のように、逐次おさしづを伺う方もあり、そうでない人もあった事でしょう。
そうした人々の中に「取次ぎ」になる方があり、その方々への注意を述べられているように思えます。
このおさしづの内容は、
「道付け始まる。どういう大道々々、大道の掛かり。どういう、何人々々、幾名、一人思案定め/\。泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。」
この「道付け始まる」の「道」とは?と考えた時、教祖が現身を隠される時に許された教会を芯として歩む道とも思えますが、従来からおふでさきにも述べられているかんろだいを建立する道、かぐらづとめを完成させる道などとも思えます。
ともかく、そのような道がはじまり、その道というのは一寸した道ではなく、大道になる道であり、その大道になるための始めだしであると言われていると思います。
次に、「何人々々、幾名、一人思案定め/\。」ですが、道についての話と、取次ぎについての話と考える時、取次ぎ人の人数が何名もあり、その中で一人ひとりの思案定め(心定め)が重要と言われているように感じます。
そして、「泥水だん/\迫り、泥水が澄まする。治める処々、名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。」の「泥水」をおふでさきに言われる水から思案すると、欲得にまみれた者と考える事が出来、それらの人々が起こす事情が現れて来る事を「泥水だん/\迫り」と予言されているように思えます。そしてそれらの泥水を澄ます事、治める事、これが「泥水が澄まする」で言われて、これを取次ぎに求められている。その様にも思えます。
次の、「名立しかり分かって分からん道、分からん道見て分かる。」は、「名立」は分からないものの、このように泥水を澄ます道は、分かるようで分からない道であるが、この分からない道を順序だてて見て行けば泥水を澄ます道理が分かる。と言われているように感じます。
そして、「ふでさき通り皆出る。今度道はいつどう、いつ見える、ふでさき皆知らせてある。大きなふし見える。」と、前に書いたように、おふでさきとの関係について述べて、その中で「大きな節が見える」とこれから先の事を予言されています。
さらに、「大きなふし見える。大きふしなら、大きな心据える。大きなふし、大きなふしが出る。」と、この大きな節に対しての心構えを、「大きな節に対しては、大きな心を据える事が必要」と述べられています。
次に「忘る一寸、どういう事、こういう事、泥水流れるなら、どういう事、いかなる水の掛かり。」
とありますが、ここの「忘る一寸、どういう事、こういう事・・・」これは、まったく意味が分かりません。
ただし、「泥水ながれるなら」とありますので、今話題にされている「泥水が迫る」ことに関しての事だと思われます。
おさしづはリストの頁で上げた、同じと思われる、おさしづ「m30.8.14」『永尾よしゑ身上願』(4巻2804頁12行)と「m31.8.14」『永尾よしゑ身上願』(4巻3067頁9行)を細かく比較すると、とても良く分かるのですが、聞き取れずに書き洩らしていると思われるところがあるのです。
他のおさしづに、早すぎて聞き取れない、書き取れないと申し上げるものもあり、重要だからゆっくりと話すといわれる物もある事からも、この点は理解できると思います。
そして、「取次、これをしっかり聞き分け。」とこれで、正しく増野先生個人に対するおさしづではなく、「取次ぎ人」に対する話であり、とても重要な話しであることがハッキリすると思います。
次に、「又延びるやら知れん。今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。」とありますが、この「又延びるやら知れん。」という言葉は、この話を刻限話とした時に、刻限話にはよく「遅れてある」などと、本来定めた時とはずれて物事が起きていたり、言いたいけれども遅れていて言えないなどという言葉が見受けられる事から、「この泥水が迫る事情が起きるが、それが遅れるかもしれない」と言われているように思えます。
そして、「今度の言わん道の処に、ちゃと掛かって居るで。」から、道には「言う道」と「言わない道」がある事が分かります。そして今回分かるであろう道は「言わない道」であることも分かります。しかし、「ちゃと掛かって居るで。」は全く理解できません。
これは、おさしづを研究する方法に関してになりますが、
今回話題になっているのは「取次ぎ」とその取り次ぎに教えたい「泥水の迫るふし」についてです。
そこで、この前後のおさしづを読む事で、この時に何が起きたのかという事が推測できると思います。
おさしづは個人的であったり、今回のように特定の人々、また外部には漏らさないようにというものがあります。
ですので、天理教事典で書かれている年表では分からない事柄もありますので、様々な教会史などを調べる必要があると思います。
そしてこの作業によって「泥水の迫るふし」を理解でき、泥水の意味もよく分かると思います。
そしてまた、「取次ぎ」でおさしづを検索して、こんかい「おふでさき」に関して書いているように、「取次ぎ」に関してどのように述べているかをまとめる事も一つでしょう。
私も時間があったら、これらについても調べてみたいと思いますが、こうした事を考えておくと、他のおさしづを読んだ時に、結びついて理解が深まる事が良くあります。
次の段落を変えての
「日々一日、取次だん/\出で来る。日々事で、どういう処の道を尋ね、いかなる十分の道を尋ね。一つ泥水、取次一つ心、どういう処から掛かる。一つどういう事。一つ何時分からん。成程の道、こうなる纒まり、談示々々水の席火が出る、火の席に水が出る。そこで水の席に水、火の席に火を以て、いかなる処、談じ置かねばならん。」
は、これまでの部分とは違い、ブツ切れの言葉のように感じて、まるでメモのように思えます。
先に書いたように、書き取り人が書ききれずにこのようになったとも考えられますが、他の話題による一連のおさしづを読んでみると、最初はおおざっぱで訳の分からない話しが、「押して願い」や「○○という事でありますか」などと尋ねたり、後日「以前に言った通り」などと言って、後に意味が分かる事があります。
ですので、ここについては、今回は触れずに置きます。
私は、おさしづを読んで気になると、次々と調べたくなります。すると、どんどん深くなって書く事が出来なくなってしまいます。
ですので、おさしづに親しみ、研究する一端をと思ってのこの投稿ですので、
今回は、私が読んで思うがままに、書きましたので、その点をご了承いただきたいと思います。
そして、最期に「取次ぎ人は、その内容を理解して、人々を導く事が重要」と思いました。(復元の研究グループにはこの感想だけを書いています。)
以上とします。
大変な世の中ですが、親神様の思いが世界へ広がりますように。。。