あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

4月18日ご誕生祭と19日婦人会総会。。

2023年04月20日 10時14分30秒 | 思った事

4月18日教祖ご誕生祭の日は、良い天気の下信者さんと共にゆっくりと参拝をさせて頂いた。

最初中庭に座っていたのだが、日差しが強かったので、前半下りで西礼拝場に入り参拝をした。

月次祭と同じくらいの人だった。

そして、神殿講話を聞いていて、違和感を覚えた。

教祖のひながたをたどる事から、ひながたを考える時、2代真柱様は「教祖のひながたは月日の社となられてから」と定められた。

そこから思案する時、一番最初のひながたと言えるのは、内蔵に籠られたという事柄である。

この内蔵に籠られた事に関して、講話では「自問自答して自分でこれからの筋道を決めて、貧のどん底へ落ちきる道を始められた」と話された。

教祖のひながたを勉強すると、この自問自答という表現に違和感を感じるのである。

この貧のどん底へ落ちきる道中には、宮池や井戸に身を投げようとされる事柄があり、その時には「短気をだすのやない」というお言葉が聞こえてという事が稿本教祖伝にも記されているからである。

先日このブログに、黒疱瘡の子を助けた話を書いたが、この時の心は教祖本人の心であり、それを見定めた親神様のお心が別席台本を作成する上に、明かされたわけである。

厳然として、教祖のお心と親神様のお心がある事をここから私は理解する。

「月日の社」という言葉もとても重要である。

教祖の身体に、親神様が入り込まれたから、「親神様の社」「月日の社」なのである。

身体は一つでも、心は二つと言える。

だから、宮池や井戸に身を投げるという事柄ができて来る。

周囲の人が、こうした事柄を理解しているかどうかで、教祖に対する見方は変わってくる。

さらには、常識と言われる世間の考え方、物の見方によっても変ってくるのである。

親神様を唯一神とするかという事も、こうした見方で様々な問題を提示する。

 

このコロナ禍、また世界の情勢の中、様々な情報を見聞きして、今の私が思うのは、

自分自身で資料を集め、経験をして、「自分自身で考える事が一番重要な事」だと思うのである。

 

私自身の経験からすれば、経験をして物事を知り、歴史の資料を読み解く中に、考え方見方は変化して行く。

だから、正解を求めるならば、その時その時で理解の度合いが異なり、正解は違うと現在は思う。

 

教祖が陽気ぐらし、たすけ一条の道をつけられたわけだが、この道を歩む事が、その時その時の正解を求めて行く事のようにも思える。

 

教祖ご誕生祭の後、中庭でお祝の式典が模様されて、歌が披露される。

この時の歌の中に、

「教祖お生まれ花四月」という歌詞がある。

私はこの花が咲き始める4月の時をそのままにイメージをしていた。

しかし、先日のブログに「寛政10年、西暦1798年、陰暦4月18日(陽暦6月2日)」と

書いたが、実際の季節を考える時には5月末から6月初めの陽気を考えなければならない。

と、歌を聞きながら気が付いたのである。

 

私たちが親の立場として、子供に物事を教える時には、とても簡単に教える。

その簡単に教えられたことを、鵜呑みにして、実際とは違う判断をする時がある。

 

上面の事だけで、根をほった思案をせずにいると、こうした事が起こるのである。

こうした事は、教える立場になって、不都合な事が起きて来て、初めて分かる事でもある。

 

身上事情は道の花と聞かせてもらうが、不都合な事が事情である。

小さな不都合で、気がつけば、小難は無難に治まる。

大きな不都合で気がつけは、大難は小難に治まる。

それでも気がつかねば、不都合でせっかく親親が築きあげたものも、無駄に無くすことにもなる。

心を見つめて、心を切り替えるための「ダメの教え」と私は思っている。

 

4月19日は婦人会総会。

前日帰り道で聞いていた予報では、晴れると聞いていた。

ところが、雨だった。

名古屋は夜に降り、朝方に止んだ。

西に向かえば向かうほど、雲が多くあり、時折雨が降って来た。

丁度10時前に到着した時には、雨は降っていなかった。

中庭に入ったところで、雨が降り始めた。

「婦人会は雨に降られるなぁ」と思いながら、一人で参拝を済ませて車に戻る。

総会を終えて、車で様子を聞くと、

雨が降ってきたために、礼拝場に変更されて、階下でお話を聞いていた。

との事だった。

信者さんを連れて参加できて良かったと思った。

 

信者さん方の用事を済ませて、改めて南礼拝場前に車をつけ、神殿に上がっておつとめをつとめて帰路に就いた。

18日に一緒に行って下さった信者さんは、布教所の3姉妹。

19日は部内の奥さんとその妹さん。

姉妹でゆっくり話す機会もなかなかない中、車の道中はとても賑やかで、兄弟で楽しんで頂けたのでは。と思って勝手に嬉しく思った。

 

そうそう。

19日には、車に乗った途端、信者さんから

「会長さん、団参でおさづけを取り次いでもらって、足が良く成った方から昨日電話がありました。

それが、おぢばからでした。

『もしかしたら、おぢばに来ているかと思って、電話をかけた』との事で、友達が天理教の方で、その方と共に、参拝に来て、すごく大勢の人だと言っていました。」

と話をして下さった。

あらためて、親神様・教祖の不思議なお導きを感じさせて頂いたのだった。

 

思うがままに。。。

 

今日は教会で溜まっている用事をします。

今日も一日よろしくお願いいたします。

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4月の月次祭を無事に終わり。。ひながたの前から。。

2023年04月13日 17時07分06秒 | 思った事

4月12日 曇り空の中、4月の月次祭を無事に終えました。

Facebookでは多くの方にお祝いのメッセージを頂き、誠にありがたい限りです。

八重桜はすべて散りましたが、お堀端のボタン桜は満開です。

車を外の有料駐車場へお気がてら撮影しました。

先月一斉巡教を受けて、うちの教会では「それぞれに出来る事を心定めて3年間通りましょう」と申し合せました。

先月受けた巡教の話の中で、信者さん方が教祖が赤着を着ておられた事も知らないという話しが出ておりました。

そこで、教祖がどのように通られたかという事を知る上に、会報に書く事にしました。

今回は、教祖が月日の社となられるまでを簡単に書きましたので、それをここに掲載しておきます。

 

・・・

 今月は教祖のご誕生の月でありますので、月日の社になられるまでの話を書きたいと思います。
 教祖(みき様)は寛政10年西暦1798年陰暦4月18日(陽暦6月2日)に、三昧田村で前川家の長女としてご誕生されました。前川家は庄屋であり、5,6才の頃から針を持ち、糸紡ぎをされて、父親から読み書きの手ほどきを受けられ、9歳頃より寺子屋へも通われました。そして12歳頃には自ら反物をおられて、裁縫も一人前に出来るようになられていました。
 そうしたみき様は、生まれた時から身体は丈夫な方ではありませんでした。、晩年おつとめの手を教えられる時には、ご自身の言葉で、「陰気なものやったがこうして陽気におどるようになりました。」と言われている事からもそうした事が分かるのです。そのようにご自分の体が弱い事などから、結婚は望まれず、尼になる事を望まれていました。
 そうした中に周囲の強い勧めで、13歳で中山家へ嫁入りする事になりました。その嫁入りする条件に、朝晩神仏にお祈りする事を希望されたのです。
 結婚されてからは、良く働き16歳で中山家の世帯を任されました。
 しかし、子供さんには恵まれず、19歳の頃に女中に毒を盛られて苦しまれました。その後、24歳で長男秀司様を出産され、30才までに長女次女を授かります。
 そして31才の頃、隣の家の子供が黒疱瘡という死の病となり、これを神仏に願ってたすかるという事があります。
 この不思議なお助けの後、次女さんは4歳で出直し、その後相次いで、3女4女が生まれますが、この4女も3歳で出直し、40歳の月日の社となられる前年に、5女のこかん様が生まれます。
 この不思議な助けの話は、教祖が現身を隠されて後、別席の台本を作成する時に、親神様から「みき様の真実を受け取って、二人の子供の命と引き換えに助けた。また二人の命は、同じ魂を生まれ変わらせて二人分で受け取った」と、後世に伝えねばならぬ重要な話として本席様から人々に伝えられます。
 そして41歳で月日の社となられるのです。
 簡単に教祖になられる前の事を書きましたが、これだけを見ても色々と学ぶ事があるかと思います。
 一つは、幼少は病弱であっても、晩年は元気で過ごすという方がありますが、そうした方はこの教祖と同様に、自分の身上から神仏への信仰心が篤く、結婚などを契機として変わって行かれるのかと思えます。
 また、結婚についてもその家の嫁となる事も、いんねんのあらわれであるという事です。自分の意思で結婚したと思っていても、両者の心が合わねば結婚には至らないのです。
 またおさしづの時代に、ご本席様の娘さんの縁談についてのおさしづがありますが、これによると、いくら自分が好きであっても、相手が嫌う場合があり、その場合は縁がなかったとしてあきらめる事の大切さを説かれています。世の中には、諦めきれずに苦しむ方が多いかと思いますが、その心は良くないという事であります。
 「思いきる理がいんねん切る理」と言われたりしますが、自分の性分にしがみつくのは、いんねんに捕らわれた証拠でありますので、自分の癖性分を取るためには、思いきることが重要かと思います。思い切って新しい道へと進むことも、陽気ぐらしへの道すじでもあります。


・・・・

(追記)

この黒疱瘡でたすかった方の名前については、おさしづでは「言う事はならない」と止められています。

この事から思える事は、助かったのは子供の真実ではなく、あくまでも教祖の真実であり、それは親神様が表に現れて「月日の社」であるからではなく、「中山みきという一個人の真実」によるものだという事を明示しているのではないかという事です。

そして、命の無いところを助けてもらうためには、それなりの代価が必要だという事も、この事から考えられます。

ご本席様はじめ、歴史に名を残されている先生方は、助けて頂いたご恩を忘れずに、親神様のため、教祖のため、道のためにと苦労をいとわず勤められた方々です。

この事からも、名前を出すことを止められたことも理解できるかとも思います。

 

お道でなくとも、様々な不思議の話があります。

これらが起こる事も、親神様の采配の中という事例であり、世界中すべての人々の心を親神様は見定めている証拠でもあると思っています。

つまり、親神様は世の中の事をすべて見ておられて、自分の周りに起こる事柄に対する一人ひとりの心を見定めているという事です。

 

この4月になってから特に、

世界では、どんどんとこれまで隠されていた悪事が表に出て来ています。

そしてようやく日本でも報道されるようになって来ました。

ワクチンに関しても、WHOがこれまでとは異なる意思表示をしたことについて、4月10日のヤフーニュースで取り上げていました。

こうした事に対して、それぞれが様々な心を動かす事でしょう。

それも親神様はしっかりと受け取り、それぞれに応じたかやしをされるということであると思います。

 

・・・・

ヤフーニュースは消えていきますので、リンクの後に、記事を記録しておきます。

「ワクチン打て!」から突然「打たなくていい」に…WHOがヤバすぎる方針転換を決めた驚愕の背景(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

「ワクチン打て!」から突然「打たなくていい」に…WHOがヤバすぎる方針転換を決めた驚愕の背景

配信

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現代ビジネス
 「ワクチンを打て!」とさんざん言われてきたのに、突然「打たなくていい」と方針が変わった。WHOの方向転換の裏には、いったい何があるのか。そして日本はいつまでワクチンを打ち続けるのか。

日本政府は「努力義務」として推進してきた

 「今さら『子どもや若者はワクチンを打たなくてもいい』と言われても、取り返しはつきません。必要ないと分かっていたら、子どもや孫には打たせなかったのに……」  深いため息をつきながら語るのは、神奈川県に住む主婦の安藤恵子さん(75歳・仮名)だ。  「全国旅行支援を使うのに必要だったから、19歳の孫に3回目の接種を受けさせたんです。ところが接種後、下半身に痺れが出るようになった。その後も孫は坐骨神経痛を患ったままで、日常生活を送るにも苦労しています」(安藤さん)  政府は3回目以降の追加接種を「努力義務」として推進してきた。結果、一人あたりの平均接種回数でみると、日本は約3.1回で、韓国(約2.5回)やドイツ(約2.3回)、イギリス(約2.2回)を引き離して世界一となった。  ところが3月28日、WHO(世界保健機関)は、追加接種について驚きの発表をした。  WHOはこれまで、全世代でのワクチン追加接種を「推奨」してきたのだが、今回、「健康な成人」と「すべての子ども」について、3回目以降の接種を「推奨しない」と真逆のことを言い出したのだ。WHOは「公衆衛生政策の優先度や費用対効果などに基づく各国の判断に委ねる」としている。

今になってWHOの「責任逃れ」?

 だがこれは、いささか奇妙ではないか。WHOは新方針の中で、念押しするかのように「ワクチンは安全かつ有効」と記載している。しかし「何回打っても大丈夫」なら、わざわざ「推奨しない」と表明する必要などないはずだ。北海道の、ほんべつ循環器内科クリニック理事長、藤沢明徳氏は首を傾げる。  「WHOは、経済的な側面を理由に接種の是非を各国に丸投げしています。しかしワクチンに何の問題もなく、高い効果があるなら、こうした発表をする必要はないはず。子どもや若者への接種のリスクを分かっていて、何か起きた時の『責任逃れ』としてこんなことを言い出したのではないかと疑わざるをえません」  ワクチンに危険性があることを、WHOは当然認識しているはずだ。  '21年9月、当時FDA(米食品医薬品局)のワクチン研究・審査局長だったマリオン・グルーバー氏は、WHOに所属する科学者とともに『3回目の追加接種は必要ない』という論文を発表している。現在はワクチンの研究をする非営利組織IAVIの副社長を務めているグルーバー氏が語る。  「治療方法も確立せず、感染が拡大し続ける状況での1~2回目接種は必要でした。しかし3回目接種は効果が不十分というデータが出ており、次々にワクチンの副反応も見つかっていた。だから私たちは追加接種に異を唱えたのです。  ところが我々の意見は完全に無視され、追加接種に猛反対した私はFDAを離れることになった。今回のWHOの発表は遅すぎるくらいです」

インフルエンザワクチンでは「ありえない」発表

 インフルエンザのワクチンでは、「追加接種を推奨しない」などといった発表がされることはない。安全性が確立されており、「打たなくていい」とわざわざ言う理由がないからだ。  しかし新型コロナのワクチンでは、異例の発表が行われた。その「意味」を、慎重に検討する必要があるだろう。  病院で診察をする医師は、ワクチン接種回数が増えるなかで異変を感じているという。前出の藤沢氏は語る。  「追加接種をした人ほど、副反応の症状が悪くなっていると感じています。特に2回目接種と3回目接種との間には大きなギャップがある。3回、4回と接種した人は接種後の予後が悪く、強い倦怠感に襲われたり、認知症のような状態になってしまう人も珍しくありません」  偶然、接種後に体調が変化しただけなのでは? そうした捉え方もある。しかし、実際に接種後に亡くなった人の遺族からは、「死因はワクチン以外考えられない」という声があがっている。  日本政府が3回目以降のワクチン接種を努力義務として推進してきた中、突如として行われたWHO(世界保健機関)による「追加接種不要」の発表。この発表が本当に意味するものとは、そして日本人はいつまでコロナワクチンを打たないといけないのか。 後編記事『「2000人以上が接種後に死亡…」WHO突然の「追加接種不要」発表で問われるワクチン接種のヤバすぎる実態 』で引き続き紹介する。 「週刊現代」2023年4月15・22日号より

・・・・

世界の人々の心が澄み渡りますように。

 

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4月は新しく始まる月。。

2023年04月04日 09時39分48秒 | 思った事

天理教では、春の大祭を1月にする。

これは教祖が現身を隠された事から1月に行う事になった。

その詳しい歴史は調べていないが、教会が設立された当初は、4月に春の大祭、10月に秋の大祭のお許しを頂いている。

神社でも多くは4月に春の大祭が行われるとの事。

この意味は、木々の芽が吹き、動物が行動をはじめ、新しい動きが出来るからだと思う。

今日は4月4日、地下鉄名古屋城駅の上では、黒のスーツを来た若者で込み合っていた。

大学の入学式が、県体育館である為との事。

昨日、アルバイトの帰り、名城公園駅で若い学生らしき人達が駅長室の前にならんでいた。定期券購入なのだと思った。

様々な事が、新しく動き出す時である。

 

4月1日は、大教会で、少年会のおつとめ総会が行われた。

3年ぶりに大教会へ集っての開催である。

大人も含めて200名以上の方が集った。

これまで、歴代の団長と共に、様々な事をして作り上げて来た事を思い出しながら、事務所で総会の様子を見ていた。

今の団長のカラーが出た総会だと思いながら。。。

 

4月2日、教区で「ようぼく一斉活動日」に関する説明会に出席。

事前に教区から質問事項が募集されていたので、数点疑問などが出されており、それに対する回答もあった。

その中で、「分からない。教えて欲しい」との本部からの回答があり、教区からどのようなアドバイスをするのかと思った。

今回の「一斉活動日」に関しては、文書での通達で、それも日にちなど詳細が決められており、その詳細を見ると、地域の実情を考えて発案されたものと思えず、結構質問が寄せられていたその中の回答である。

 

4月3日、アルバイト、早めに終わった。

この4月に入る直前に、プリンターが使えなくなった。壊れたわけではないのだが、インクの吸収体の交換を求められて、それをせずにおいたら、使えなくなったのである。

電気店で相談したら、新しいものに代えた方が割安だという話しだった。

これから支部の資料を作ったりしなければならないので、困った事になったを思っていた。

コロナの始まる直前に、当時アルバイトに行っていたところから、不要となったプリンタをもらってあった。

それを使えればと思っていたが、色々な用事でそれを持って来ることができず、2日に慌てて大教会から持って来た。

持ってきて使えるかとテストをしようとしたところ、インクのカートリッジが取り外されている。

「???ひょっとして」と嫌な予感がした。

そのカートリッジを取り付けて、試し印刷をしたところ、まったくインクが出て来ていない。

カートリッジが外されたままで、インクが乾ききっていると共に、それによってノズルが詰まっている可能性が高い。

わざわざ新しいインクを買って来て、インクヘッドの掃除をするまでもない。

残念ながら廃棄である。

妻と相談して、新しいプリンタを買うことにする。

そうしたところ、使えなくなったプリンタの保証書が出て来た。

2015年に購入していた。

8年以上使った事になる。

故障もなくよくここまで使わせてもらったと、お礼を申し上げる。

 

4月4日 一斉巡教へ出かける日である。

月次祭ではないので、午後2時から行うとの連絡が来ていた。

約2時間かかる所なのだが、午前中は時間がある。

朝妻を教区へ送り、所要をすませて、巡教へ行く途中で家電量販店へ。

ファックスの調子もすでに数年前から悪い事から、ファクス付きの複合機にする事にした。

8年前にプリンタを買った時とさほど変わらない値段である。

8年という月日はすごい。

 

巡教先へ向かうが、途中高速道路が渋滞。

遅れるかなぁと思ったが、これも親神様のお導き、焦らない。と心に思いながら走る。

月次祭ではないので、余裕を持って途中でゆっくり心をおちるけてから教会へと思っていたが、開催30分前の予定の時間に到着した。

信者さん方の様子を見て、親神様に凭れて、心に浮かぶままに話させて頂こう。と思って教会へ。

 

会長さんが出直し、後継者は家族の都合などで会長になれずにいる教会。

信者さんもほとんどおらず、後継者とその奥さん、そして後継者のいとこと、後継者の奥さんの友達の4人。

ご本部の指定通りの式次第で進行を進める。

話し終わって、「分かりやすい話で良かったです。」と後継者から一言貰う。

巡教は布教と同じ。

これはおさしづにある。

見送ってくださる奥さんと一言交わして、教会を後にした。

隆盛に人が集まる教会からすれば、大きな事情の真っただ中の教会である。

しかし、後継者一人だけとなりこの先どうなるかと落胆する中に、結婚が決まり、家族だけで教会を守っている。

教会家族のこれからの幸せを願いながら教会を後にした。

 

途中の道の駅で、山間の桜を撮影する。

帰りは高速を使わずに下道で、3時間かかった。

しかし、疲れもせずにありがたい。

無事に勤められたことをお礼申し上げる。

 

帰ってから購入したプリンタのセッティング。

今日5日、婦人会を終えて、溜まっている資料を作ろうと思う。

今日も一日よろしくお願いいたします。

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