昨日はテレビの報道についてから、新型コロナの事について書いたが、
今日は、YouTubeで新型コロナに対する医学的説明をしているものを見つけた。
「堀江貴文 ホリエモン」というチャンネルで、専門家とテレビ電話で対談しているものである。
とても分かりやすい。見ていただく事をおすすめする。
新型コロナウイルスについて専門家に質問しました(前編)2020/03/18配信
https://www.youtube.com/watch?v=xDBtQCQ6fWk
昨日はテレビの報道についてから、新型コロナの事について書いたが、
今日は、YouTubeで新型コロナに対する医学的説明をしているものを見つけた。
「堀江貴文 ホリエモン」というチャンネルで、専門家とテレビ電話で対談しているものである。
とても分かりやすい。見ていただく事をおすすめする。
https://www.youtube.com/watch?v=xDBtQCQ6fWk
朝のテレビ(3月30日)で、対策が遅い早いという話があった。
一斉休校の時に、首相の言葉に対してメディアが反対意見を言っていたことについても、辛坊治郎さんがメディアに対して批判をしていた。
政治家たるもの、批判を受けても実行するのがと、志らくさんが言っていた。
その中、二人とも、とはいうものの、その時点では世間の人々にも、我々にもコロナの脅威は分からなかった。とも言っていた。
結構、テレビ局の都合での報道が、多々あるように思ったが、この表や対談から、感染者が現れるのは、感染してから10日後という事を知った。
仕事などで色々な人に会う人は、この10日という事をしっかりと頭に入れておくことが大切だと思った。
おぢばでの会議を終えて、近鉄電車で帰宅した。
電車内は、日頃より少ない感じがした。
しかし
夕方6時半ごろ、名古屋駅に到着したのだが、若い人たちが結構出ていて、金の時計の広場では、普通の時と変わらないような感じだった。
混雑する中が一番緊張する。
感染拡大がしない事を祈るばかりである。
今、かぐらづとめ終わりました。
神苑には、音は流れません。殿内のみのようです。(10:00携帯より投稿)
12下りが終わった後は、祭典講話はなく、おつとめの先生方が祖霊殿を参拝された後に、殿内に入場可能になりました。
また、礼拝場に上がる階段の上にある幕は今回はありませんでした。
詰所ひのきしんで、今日、電車でおぢばについた。
電車は結構すいていた。マスクをしている人がほとんど。
ただ、していない人のほとんどは10代から20代はじめぐらいの人が多かった。
おぢばについて、神殿に参拝に行くと、参拝者は8日の時よりずっと少ない感じだった。
情報が徹底されているなぁと思った。
しかし、中には回廊拭きをする人、神殿、教祖殿で真剣にぬかずく人もある。
また、明日は参拝してはいけないから、と今日日帰りで参拝に来て、明日は自教会から参拝をするという会長夫妻もいた。
私の人生で、こんなことは初めてである。
けれども、先におふでさきやおさしづで示した通り、こうした状況はこれまで、何度も繰り返されている事を思うと、こうした体験はとても重要な体験のように思い、人がいない神苑を撮影した。
明日はどんな感じだろうか。
先に、コロナに関するとして、コレラとして示される「おふでさき」を示したが。
昨日の大教会月次祭で、「おさしづ」にも関するものがある事を知った。
それはペストであった。
No. :(4巻3381頁12行)
明治32年11月23日
『ペスト病予防のため秋季大祭延期の事を、警察より忠告により御許し願』
さあ/\尋ねる処/\、どうもこれもう世界中という。皆道理に攻められて居る。道理に絡まれて居る。今日の日というは、人々改めて、延期や/\と言う。この間は結構や/\。どんな事してもはい/\と言うは、結構や。どうでも通れん日がある。大祭々々延ばすよかろ/\。これは成程の理。延ばそうと言うても延ばさらせんが理。なれど、どうなりこうなり、不精々々理。世上一寸ほんの掛かり、何処からどんな流れ水出て来るとも分からん。そこで前々刻限に諭したるという。掃除に掛かりたら、道具が要る、要る。何か一寸始まりのようなもの/\。今の処、そんならそうやと軽く治めてやれ/\。寄り来る者もどうという。ほんにそうやなあと心映りたら分かる。心配は要らん。なれど、皆答という。踏み止める理無くばならん。踏み止めるというは、皆の精神という。一時そんならそうと世界理もある。皆こうと言うは、委せ置くによって、延びようが、縮めようが構わん。心に理あれば、よく真実の心受け取る。真実勤めた処が、あちら向きこちら向き、そも/\ではどうもならん。まあ/\、こうと言うやこうにして置くがよかろう。
『押して、部下へ電報にて通知する事願』
さあ/\、まあ延ばそうと言うて延ばせば、道理に適う/\。一寸、何でやろうという処もあろ。後々鮮やか分かる。ならんと言うて来たなら、ならんと言うは理、頼み言葉なら、頼み言葉に聞いてやるがよい。
とある。
ここに「前々刻限に諭したる」とあるので、この前にある刻限を示す。
No. :(4巻3368頁11行)
明治32年11月2日午前4時頃
『刻限』
さあ/\一寸一つ話、さあ/\どういう事知らす。どんな事を聞かすやら分からん。さああっちでも手が鳴る、こっちでも手が鳴る。鳴ってから、あら何でやいなぁと言うてはなろまい。さあ刻限知らす事は違わんで。あちらで声がする、こちらで声がする。何でやろう。行く先々前々より知らしたる事見えてない。道を知らする事、度重なると分かる。一時筆取りたらあら/\の事も悟るやろう。初めも知らす。身の直る事まで。これさあ刻限々々。刻限の話理によりて深く見にゃならん、聞かにゃならん。いかな事も、詰みて/\詰み切ってある。外から見たら、むさくろしいてならん。さあ掃き掃除拭き掃除、掃除に掛かれば箒も要る。どんな道具も要る。拭き掃除にも道具が要る。要らん道具は要らん。どんな働きもする。怖わいと思わにゃならん。嬉しいと思わにゃならん。勇まにゃならん。実々どんな道が付くとも計られん。何でも諭さにゃならん。うっとしいてならん。明らかなるめん/\心から、どうもならん。いかな事も聞き分け。重なりたら、間違いの理が重なれば、どんな事こんな事もある。一人残してある。皆の者も、皆手を打たねばならん/\という理を、一寸諭し置こう。
そして、
No. :(4巻3370頁1行)
明治32年11月3日
『昨夜の刻限のおさしづに付、本部員一同打ち揃いの上願』
さあ/\だん/\尋ねる処、刻限順序の理を尋ねる。刻限というものは、何時でも話するものやない。刻限は詰まり/\てどうもならんから、それ/\決まりた理を知らす。何の事でも違うという事は一つも無い。なれど、これまでというものは、刻限の理を聞きながら、どうもならん。何を聞いて居たのやら分からんようなもの。どうでも刻限は間違わん。刻限は積もり積もらにゃ話出けん。時々諭した処が分からん。そこで、何ぼ言うたて分からん。刻限は積もり/\ての刻限である。善き事は何ぼ遅れてもよいがなれど、成らん適わん声も無く、堪えるに堪えられん事察してみよ。誰の事とは言わん。紋型無き処からの道理を見れば、嘘はあろまい、間違いはあろまい。言い難くい事も言い、難しい事も解きほどきて一つ扱う。世上から眺めて聞くにも聞かれん、見るに見られん、心にあれど口には出せぬが理。よっく聞き分け。又集まりて刻限道理から一つ道あれば、疑う事出来ようまい。よう聞き分け。同じ多くの中に一つ、多くの中の中がある。どういう事に思うか。一つ入り込んで居る。皆々日々話伝えて居るは、中の中である。一つ諭の中、道理がある。元という中に一つ聞いて成程は理であろ。どういう事ぞいな。あんな事か。と、これで道として理に当たるか、理に当たらんか。日々働いて居る/\。よう聞き分け。人の事と思うなよ。我が事になってから、どうもならん。これ聞き分け。何ぼどういう事を言うたて、言うのが悪いなあ、言うてはいかんなあ。包んで居ては真実真の事とは言わん。我が身捨てゝも構わん。身を捨てゝもという精神持って働くなら、神が働く、という理を、精神一つの理に授けよう。
『暫くして』
さあ/\もう一言/\押して置こう。さあ/\もうこれ、どうでもこうでも、掃除という。刻限出した限りには、仕遂げにゃならん。掃除仕遂げる。隅から隅まで掃除に掛かる、掃除に掛かりたら、あちらこちら声が聞く/\。どんな事を聞いても、心を授けた限り、一名一人の心という。おめも恐れも無い。控え心は受け取る事出けん、と諭し置こう。
この3つのおさしづを見るとき、刻限で知らされてから、20日余りが経って、ペストの蔓延が起こっている事となる。
そしてペストは親神様の掃除という事であり、掃除が始まる前と掃除が始まってからの対応について示されていると思われる。
とするならば、現在は掃除の最中。とも思う。
また、おふでさきで残念と言われた事を思う時、親神様の思いを伝える人(こかん様はじめ、取次の人々)が作り上げれなかった事も、残念と思えるが、
この刻限の意味を「刻限というものは、何時でも話するものやない。刻限は詰まり/\てどうもならんから、それ/\決まりた理を知らす。何の事でも違うという事は一つも無い。」と述べられる後に、「なれど、これまでというものは、刻限の理を聞きながら、どうもならん。何を聞いて居たのやら分からんようなもの。どうでも刻限は間違わん。刻限は積もり積もらにゃ話出けん。時々諭した処が分からん。そこで、何ぼ言うたて分からん。刻限は積もり/\ての刻限である。善き事は何ぼ遅れてもよいがなれど、成らん適わん声も無く、堪えるに堪えられん事察してみよ。」とその話を聞いても理解しようとしない人々に対する残念の思いものべられている。と思う。
取り次ぐ役の人も、取り次がれる人もお互いが成人する事。これがとても大切なように思う。
昨日は春の霊祭を行った。
うちの教会は、信者さんもほとんどいない。
仕事に行っていない家族と、部内の親奥さんと一人の信者さんでつとめた。
多くの教会では、参拝者の制限をしている。
うちの大教会も、本部に準じて、制限をして、直属教会長夫妻のみでつとめる事にした。
霊祭の準備をしている最中に、支部内の教会の奥さんが突然出直されての訃報が届いた。
準備をしながら、教会への連絡の文書を作り、と大忙しだった。
けれども、無事に事が運べた。
このコロナの中なので、家族のみで行うとの事で、支部内の教会へはお断りの文章を作ったが、お願いをしてみたまうつしだけ参拝をさせて頂いた。
元気そうな遺影を見て、ほんとうに悲しかった。
これから、大教会の霊祭と月次祭へ出発。
数年前に、甘露台が倒壊されて、下に2段だけが残って、数カ月そのままに置かれていた。
この二段の甘露台を見ながら思ったことを書こうと思う。
2段までの石の甘露台を見て、この甘露台は没収された。
この没収を契機に、おつとめの地方は「いちれつすます」から「いちれつすまして」に変えられた。
これを当時の方々は、神様の模様替えと言っていた。
陽気ぐらしへ向けて算段されて、ここまで進めてきた方針を、甘露を授けて、不思議を見せて、それによって陽気ぐらしにしようとされたのを、人間の心を澄ましてから、と方針を変更されたのである。
この模様替えについて、長い間、話をすることはタブーのようにも感じていた。
それは、みな、親神様は絶対であると思っているはずで、その絶対である親神様が計画を変更したという事は、親神様は絶対ではないと言っているようなものだと思ったからである。
そのことを思ってから、30年以上たつ今日、
この事について、「自分は、親神様の思いを、人間の都合に合わせて思案していた」と思うようになった。
だから、話が出来ないと勝手に思う事自体が、高慢だったと、今回の新型コロナの騒動を見て、おふでさきを調べて反省をするばかりである。
親神様は教祖として、人を導く上に、試しを行って様子を見て、進められている。
その一つは、おびや許しである。自らに試しをかけてから、おびや許しを出されている。
甘露台も、ひながた甘露台を作ってから、石の甘露台をたてるように進められた。
他にも、人足やしろとして、寄せた人々を仕込もうとされたが、親神様の思い通りにはいかなかった。
その代表と言えるのは、「秀司様とこかん様」である。
親神様の思いと、人間の思案の仕方に隔たりがありすぎて、親神様の思いに人間が追い付かない。
そして、道を変えて、応法の道が始まった。
教祖が現身を隠されて、世界助けに出られて、日本中、次々と不思議が現れた。
おさづけのみならず、神名を唱えるだけでも、不思議が現れた。
そして、お道は広がった。
そして、広がると共に、おぢばに施設をはじめ、教理の体系が作られた。
それが、今日まで続いている。
ただし、今日までの間にも、教理が公に十分に解けず。
人づてに、伝わり、また、おぢばで教えられて、幾度とない節を進んでの今日である。
親神様の模様替えはあっても、陽気ぐらしへの心の成人を望まれている事には変わりはない。
私たちは、虫鳥畜類と生まれ変わりをして、この現在の人間の身体となって、知恵文字を仕込まれて、今日の文明を築き上げてきた。
それによって、今日は世界中の情報を瞬時に得ることが出来るまでになった。
また、地球を一目で見ることもできるようになった。
ただ、この心が、みな自由になって、混とんとしている。
何が本当に正しいのか、分からないのが現在だと思われる。
人間は、よくなりたいと知恵を絞って、こんにちの生活を手に入れた。
この知恵も、よくなりたいという人間の思いに親神様が授けてくれたものだと思う。
助かりたいという、真実の心に親神様は不思議を下さる。
同じように、みなの心が良くなるようにと念じて、歩みたいと思う。
もう20年程前の話だが、支部の学生担当をしていた時の事である。
学生たちに親神様のお話をさせてもらうのに、とても自信がない時があった。
そして、本部のある先生に専修科の先生を派遣してもらう事を尋ねて見た。
即答で「お前たちには、すべてを教えてきた。自分たちでやれ。」との返事だった。
当時、本部に対する批判を高らかに述べる団体の存在。また、数件の大教会の事情の話を聞くころで、何が本当だろうかという疑問にぶち当たっていた。
そうした中に、先の先生の言葉である。
それから、一から教理の本を求めて読むようにした。すると、不思議な事に、こんな本があるといううわさから読みたいなぁと思っていると、なぜか自分の手元に寄ってきた。
そして、それを暇ある事に読んだ。
その中で気が付いた一つは、「ほこりの教理」で、ほこりの説き分けの具体例が重要ではなく、最も重要なのは、ほこりを分ける事である。『信者の栞』を元にすると。。。
ほこりの説き分けの例に重点を置くと、例えば、「ほしい」と思う事すべてが悪い事だと思ってしまうという事である。
ところが、ほこりの説き分けの冒頭には「ほこりでなき事を、ほこりと思い違えたり、ほこりのことをほこりでないと考え違えてはなりませんから、そのかどめを申し上げます。」と書かれている。
これが一番重要で、そのあとの説き分けは、それを知るための「かどめ」例であるとの事だ。
ところが、この八つのほこりの文章はとても長い。そして気短なものには、「もっと簡単に話をしてくれ」と言いたくなるものである。(簡単にとか、簡潔にという言葉をよく聞くが、この事についても話をしたいが、話がそれるので、後日)
そこで、善悪を分ける説き分けを熟読せずに、ほこりの言葉のニュアンスのみで考えていたと、これは後日、気が付いた。
それに気が付いたのは、『正文遺韻(抄)』の「八つのほこりの理」を読みやすいようにと自分なりに書き換えて見た時だった。
ただ単に読むのと、書き換えるという事は違い。書き換えることで、言葉を理解していない自分を良く分かった。書き換える作業が、教えを自分の身につけてくれたように思う。
そして、先に述べたように、自分の性分で「簡単に」とか「こんなもんだろう」という推測で考えているのは、間違いもあるとも思った。
けれども、考えたならば、これも一つの考え方である。
若いころの自分は「かわいい」というほこりの説き分けから「我が身かわいいと思ってはならない。自分をすべて犠牲にして」と思い込んで、突き進んだ時期もあった。
今思えば、この心で行動したから、分かったことも多分にあったので、こうした考えも必要と思う。
ただし、この「かわいい」という事から一つしてはならないと思う事がある。
それは、先の如く私は、「自分を犠牲にしても」と思って通っていたので、「この道は、身体を苦しめて通るのやないで。」という言葉から、「苦しい事は避けて通るのがよい。好きな事をしていればよい。」と、説く人を見かけることがあり、どういう事だろうか?とずっと疑問に思っていた。
そして、年限が経ち、今日では、次のように思う。
この言葉の出典はどこかというと、教祖伝逸話編の64「やんわりのばしたら」の後半部分に次のように出てくる。
ある日、泉田籐吉(註、通称熊吉)が、おぢば恋しくなって、帰らせて頂いたところ、教祖は、膝の上で小さな皺紙を伸ばしておられた。そして、お聞かせ下されたのには、
「こんな皺紙でも、やんわり伸ばしたら、綺麗になって、又使えるのや。何一つ要らんというものはない。」
と。お諭し頂いた泉田は、喜び勇んで大阪へかえり、又一層熱心におたすけに廻わった。しかし、道は容易につかない。心が倒れかかると、泉田は、我と我が心を励ますために水ごりを取った。厳寒の深夜、淀川に出て一っ刻程も水に浸かり、堤に上がって身体を乾かすのに、手拭を使っては効能がないと、身体が自然に乾くまで風に吹かれていた。水に浸かっている間は左程でもないが、水から出て寒い北風に吹かれて身体を乾かす時は、身を切られるように痛かった。が、我慢して三十日間程これを続けた。
又、なんでも、苦しまねばならん、ということを聞いていたので、天神橋の橋杭につかまって、一晩川の水に浸かってから、おたすけに廻わらせて頂いた。
こういう頃のある日、おぢばへ帰って、教祖にお目にかからせて頂くと、教祖は、
「熊吉さん、この道は、身体を苦しめて通るのやないで。」
と、お言葉を下された。親心溢れるお言葉に、泉田は、かりものの身上の貴さを、身に沁みて納得させて頂いた。
30日も水につかって、おたすけに回った末のお言葉である。30日も水につかって人助けに歩くのは、並々ならぬ誠の心がなければできない事であろう。それを受け取った上で、「身体を苦しめて通るのやないで。」と言われたわけで、この心がないものが、「身体を苦しめて通るのやないで。」の言葉を盾にして、自分の好き勝手をするようであれば、それこそ「かわいい」ほこりの、自分だけが可愛いという偏愛心という心遣いになり、道を通りながらもほこりを積む歩みをしていることになると思う。
この逸話編については、もっといろいろな思案があると思うが、この事についてはこのように思う。
さて、話を戻したい。
今回、話題としたいのは、物の見方は一通りでないという事である。
それも、段階段階で物の見方は変わってくる。そうした事を心においておけば、また違った喜びが湧く。
「けっこう源さん」のように、何でも結構だと喜んで通れるのではないかと思う。
教祖のひながたの、見方についての具体的な事は、時間がないので、また後日にしたいと思う。
何だか、とても、思う事を書きたくなっている。
そこで、昨日、設定を変更してみた。
そこで、携帯から投稿できることを知って、テストしてみた。
ただし、携帯から編集画面が出せないので、直接の投稿か、下書きの投稿しかできないことが分かった。
また、PCの投稿と、携帯からの投稿では行間に違いがある事が分かった。
HTMLで表示をさせてみると、
PCからの行間には、〈p〉〈/p〉が使われており、携帯の行間には〈p〉〈/p〉の間に〈br/〉で改行されていることが分かった。
★この文の最初の2行は、PCで入力した2行に、〈br/〉を入れて見たもの。
(〈p〉〈/p〉と〈br/〉を置き替えた。)
=以下は携帯からの入力。「追記するとどうなるか?」からは追記。「これは苗代です。」からは再追記。追記の画像は追記分の後に入る。ただし、★##★(半角)を入れるとその場所に画像が入る。=====
携帯からブログが書けるようにした。
画像などがどのようになるのか?
追記するとどうなるか?
w
これは、苗代です。
このあと田植えがおわり、苗代は田んぼに戻ります。この時の言葉を何かで見つけました。
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さて、新型コロナのお陰で、バイトもないので、こんなことが出来る。
が、
もっとやらなければない事がある。
それは会計事務である。(^^;)