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ブラジルで大統領に対するデモが行われているようだ。。
写真で見る限りすごい人である。
(1) かんろさんはTwitterを使っています: 「ブラジルの大統領選挙の不正に対するデモ、半端ない!」 / Twitter
ブラジルにいる友人も、こんな国は嫌だと、常々つぶやいていた。
日本を振り返ると、
江戸の末期、明治になる時には、
全国で百姓一揆が起こり、民衆が暴れたのである。
そうした中に、大政奉還が行われて、明治時代となる。
大政奉還が起こるについて、様々な史実があるが、この百姓一揆、打ちこわしという民衆の騒動を忘れてはならないと思う。
日本は昔から法治国家だという話しもあるが、それは君主となる人が民衆を守り、民衆のための政治をしたからである。
民衆は、日々働く。
働く中に、広くものを見たり、考えたりする時間はない。
このコロナの2年間、様々な情報に触れて、世界の事について考えた。
これまで、天理教の教義・おたすけにしかほぼ興味がなかった自分が、政治・世界の動向・スピリチュアル宗教・医療などなど、ユーチューブやSNSの発信から考えた。
その都度、天理教の教義をひも解きながら。。。
世界の動きを推察しながら。。。
中国などのウソ追従から始まって、世界中のウソ追従が見えて来た。
そして日本の中のウソ追従も。
そして、そうしたウソ追従に対して、立ち向かう人々がある事も知った。
知恵者や学者は、様々な意見を言う。
その意見の違いの原因もわかった。
どんなに素晴らしいと言われた人々でも、その当時の栄光だけ、知識だけで先を見ていると。。
知識や見識は次々と変化している。
それに追いつかない人々、そしてその追い付かない人々の意見を鵜呑みにしている人々。
この差が出てきているともいえる。
常に天理教の教義に照らすという事は、親神様の思いを考えるという事である。
この作業によって、天理教の教義自体も、同じ事だと思えるようになった。
当時の解釈そのままで、様々な資料を読み解かないと、世間の学者と同じだとも思えた。
2代真柱様が、現時点ではと、解釈などを書かれているが、そこで止まっている人々が多いのではないかと思えたのである。
世界は鏡と言われるが、まさしく道を世界はリンクしている。
貸しもの借りものの話は、心と体の関係である。
魂は生まれ変わりする。
同じ親に生まれながらも、子供はそれぞれ違った行動、心を使う。
その心が違う原因が親には理解できず、親は悩み、そして成人をする。
魂に刻まれたいんねんが、そのようにさせる。
これがなかなか理解、得心行かないで、悩んでいる。
こうした目に見えない事を、スピリチュアル系はそれぞれの言い方で、自分にいんねんのある人々に説いている。
先日、トランプ大統領が、全世界に向けて発信をした。
2年前には、出来なかったことが、今回は堂々と行った。
表向きの事と裏の事が良く分かるように、解説する人々が増えて来た。
そして、世界で様々な事変化が現れ始めた。
人間には表と裏の顔がある。
社会で使う顔と家庭で使う顔は違うのと同じである。
この使い分けが重要だと、今回の演説と世界の動きを見ながら思えている。
お道の話では、「二つ一つが天の理」と言われる。
裏があって表がある。裏が表になれば、表が裏となる。
これで一つなのである。
「かとうやわらこう、やわらこうかとう(固とう柔らこう、柔らこう固とう)」ともいう言葉もある。
成人の道のりは、まだまだこれからである。
「事情無ければ治まらん」との言葉もある。
心を成人させるために、これからまだまだ事情は起きる。
ネット上で次々と、不思議な御守護の話を聞く。
親神様・教祖は忙しく働かれている。
教えを求めて、自分の徳分にあった事を、精一杯につとめたい。
思うがままに。。
親神様・教祖ありがとうございます。
「この先は寄せた道具を見分けして 仕込む模様を急ぐばかりや」
とおふでさきにある。
親神様は、子数の年限を待ちわびて、月日の社の教祖に入り込まれた。
そして、魂のいんねんある人々を、庄屋敷へ引き寄せて、仕込みをされた。
それまでは、人間を育てる上に、医者薬、拝み祈祷や易判断などなどを教えて、難儀苦しむのを助けて来た。
これは「修理や肥に医者薬を」と言われるところである。
また、世界にほこりが立つ時には、とその難病を和らげる上に、薬草を教えて風呂に入るようにと教えられたことも正文遺韻に記されていることから、その場しのぎのものとして教えられて来たと言える。
親神様がこの世の表に現れてから、今日までまだ、医者も薬も要らない陽気づくめの世の中にはなっていない。
反対に「おさづけでたすからから、医者はいらない」と言った人々に、「医者の手余り神が助ける」と、「まずは医者に掛かって、それでも治らないという場合に、治ったならばそれが神の不思議だ」と、政府からの弾圧があった時に示された。
この事で、医者薬とおさづけなどによる助けの併用が一般的に言われるようになった。
これを今思案すると、本来は何といっても、「心の切り替えが重要なのだが、その心の切り替えを考えずに、身上を助かる事だけに思いが行き、傲慢になっている人々への警鐘」と思える。
現在では、その切り替えるべき心自体がままならないのである。
そして現在は、そのままならない事を承知で、薬の世話になり、薬の助けを借りて辛さをしのいで、心を変える道があると私は思っている。
また「いんねんならば通らにゃならん」と言われるごとく、前生の通り返しで見せられる身上や事情があり、それは「ただただ詫びて、親神様の導きに感謝して、その返しが済む」ことを願う「たんのう」しかないのである。
親神様は、身上や事情を大難は小難にと親心でして下さっている。
また、それが現れる事を、先延ばしにして下さっている。
しかし、心澄ます上にも、前生の借りは必ず返さねばならない。
人間はみな平等なので、悲しませたらそのかやしは、必ず悲しませた者にしなければ平等にはならないのである。これが天の帳面の話の根本であると思う。
そして、こと道具衆として見定めた人々には、その身上事情が次々と現れてくる。
一般の人々ならば、前生へと持ち越すはずの物さえも、早く良い道具としたいがために。。。
この事を理解した時、なるほどと思った。
先日「赤きもの・白きもの・黒きもの」について、ある方のコメントに思うところを少しだけ書いた。
赤き者は、教祖の如く、心澄み切り親神様のお心が映り、先の見える人。
黒き者は、自分の思いばかりでほこりを積み重ねて、先が全く見えない人。
白き者はその間にあり、心を澄ます努力をすれば、赤き者にもなれ、我が身思案に陥れば黒き者にもなるものである。
この「赤き者・白き者・黒きもの」はおさしづに出てくる。
生まれ出たら、すべての人は前生の記憶はなく、白紙なのである。
それが周囲の環境、自分の持ちこした性分から、様々な事を思い、赤へも黒へも行くのである。
この赤き者になり、先がわかる事で、他の人々を陽気ぐらしへと導いて行く事が出来るのである。
その様にしたいと思ったのが、お屋敷に寄せられた道具衆、人足やしろと言われた人々だと思うのだが、そうした人々も、親神様の思い通りにはならなかった。
その代表が、秀司様であろう。
そしてこれらの道具衆は、元はじまりの時の道具衆の神様の魂である。
つまり、親神様が神様を仕込んでいるともいえるだろう。
神様の魂ならば教祖や本席様のように、親神様のお言葉が聞こえても良いだろうに。。と思った時に、
神様の魂を、人間世界に生まれさせて、教祖とは違い、神の言葉が聞こえない普通の人間にして見たらどうなるのかという試しをしたとも思えるのである。
また、教祖の同様に、親神様のお言葉が聞こえた「こかん」様は、親神様の思召し通りにされずに、出直されている。
そうした中に、先日かんろについて書いたように、甘露台を建ててカンロを授けて不思議を現し、人々の心を変えるという計画から、人間の心を澄ますことを先にするというように計画を変えられたのは、そうした試しからであろうとも思うのである。
では、立教以来、人間の心は澄んで来た、成人して来たのだろうか?と考える。
そしてまた、「働くという事は、ハタハタを楽にさせるから働くという」との教祖のお言葉が、一般で使われるようになってきているのである。
神殿奉仕を終えて、仮眠をしたところです。
それをして、しばらくして、以下の文章が思い浮かんだ。

11月になりました。
今日は、11月3日です。
昨日は、布教所の方たちとおぢばがえりしました。
久々に教会にいますので、掲示してある諭達を張り替えたり、トイレの壊れかけたスイッチを取り替えたりと、雑用をしました。
そして、三年千日とコロナになって三年が経ったことが重なり、思う事を書きたくなりました。
2019年の年末から、新型コロナの話題が出て、ちょうど3年が経ったことになります。
そして、このブログも2020年の2月から再開して、コロナ禍の事から思う事を書いてきました。
当初は自然災害と思ってきましたが、トランプ大統領の発言や、WHOの対応、そしてワクチンの開発、治療薬に関する情報の隠蔽などなど不審な点が次々と現れて、自然災害ではないと思うに至りました。
さらには、アメリカ大統領選挙の投票が急に跳ね上がったバイデンジャンプから、不正投票が組織的に行われていると思うようになりました。
また、そうした情報が一切日本のマスメディアには発信されないことから、日本の情報が管理されている事を知りました。
また、こうした目に見える情報のほかに、スピリチュアル関係の動画を見比べることから、世界が変わる転換期である事も、霊的な発信により事前に多くの人々に知らされている事も知りました。
そうした様々な現象を見ながら、「おふでさき」や「おさしづ」を読み返し、親神様は一体どのようにしたいのだろうかと思案してきました。
その中に思いいたったのは、天の理として、親神様の残念の現れる旬が必ずあるという事でした。
その旬が現れる事について、親神様はとても心配して、それを避ける方法を事前に人々に知らせて、それを悟れる人々とそうでない人々、言い換えれば善と悪の人々を見分ける時旬だという事でした。
この善と悪というのは、単純に人間の思いからの善悪ではなく、親神様の思いからの善悪であるという事です。
そして、何とか親神様のざんねんを晴らす方法はないかと思案した時、「元の理」を多くの人々に知ってもらう事だと思いました。
そこで、「元の理」を自分なりに解釈したり、小説にして見たりしました。
また「復元」を研究するグループを作り、「復元」や「ひとことはなし」などを共有して、教理を勉強してきました。
こうした中に、世界の人々の考えが様々であり、その考えによって物事の解釈が全く異なる事などを知る事にもなりました。
この事は、天理教として教えを知る人々についても同じで、ただ単に身上や事情の御守護を求める人、教えを求める人によって考え方が違う事も感じました。
そして、先日、真柱様が教祖140年祭に向けての「諭達」を出されましたが、その少し前から世界の様子が変わる感じを受け、もう教理の事を発信するのも、世界の事情を発信するのも良いかなぁと思う中、色々な用事が増えて来て、教会で教理の事を発信する時間が取れなくなり、日々の様子を発信するだけとなって来ました。
その中今日、教会の用事を済ませたところ、逸話編170についての投稿を見かけて、久々に調べました。
170
『天が台』
梅谷四郎兵衞が、教祖にお聞かせ頂いた話に、
「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」
と。又、
「人詣るにより、威光増すのである。人詣るにより、守りしている人は、立ち行くのである。産土神は、人間を一に生み下ろし給いし場所である。産土の神に詣るは、恩に報ずるのである。」
「社にても寺にても、詣る所、手に譬えば、指一本ずつの如きものなり。本の地は、両手両指の揃いたる如きものなり。」
「この世の台は、天が台。天のしんは、月日なり。人の身上のしんは目。身の内のしん、我が心の清水、清眼という。」
と。
この逸話を見て、意味が分かりずらいので、これについて、詳しく書かれたものは無いかと、「正文遺韻」と「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」を探しましたが、見当たりませんでした。
ところが、これを探す間に、
「先人の遺した教話1 静かなる炎の人 梅谷四郎兵衛」47頁に
次のものを見つけました。
『神の話、人間の話』
神の話と人間のする話とには区域がある、なれど神の話と人間の話とごっちゃにするから訳がわからん。
※ごっちゃ=混ぜてしまう事。
という話しでありました。
これを見つけて、なるほどと思いました。
親神様の話は、人間が作られた時から現在、そして未来についての話でありますが、人間の話は今世一代の話しなのです。
いんねんの話などは、前生・前々生と生まれ変わり出変わりを信じていなければ分からない話です。
かしもの・かりものも、目に見えない神様と人間との貸し借りの話で、目に見えるものしか信じない人間では理解できない事なのです。
そして、人間の心が変わって成人する話も、神様の目から見た話で、歴史を跨いで感じる話でありますので、今現在しか見ていない人間では理解できない事なのです。
そして、親神様が教祖として残されたひながたは、親神様の思いを人間に伝えるための苦労の話ともいえます。
そして今起きている様々な事情も、神様という存在・霊なり宇宙人なりと目に見えない存在と人間との関係で考える事と、世界で起きている戦争や経済の話しとは、直接的には結びつかないのです。
だから、分りずらいのだとこの言葉を見て思ったのでした。
いんねんならば通らねばなりません。
これは、親神様を知り、いんねんという教えを知った人が言える事で、そうした人は冷静に物事を見て、人々の心の動きも見てそれなりの対処ができるのだろうと思えました。
そうでない人には、どの様にしたら良いか。
これが、これからの課題だと思った次第です。
その他にも、この本から様々な事を思いましたが、少しだけ書きました。
今日も一日ありがとうございました。
そうした時、現在世界で起きている混とんとした状況も、私たち人間が成人するための一つの節であり、この事と親神様のお話を見比べて、それぞれの心の成人を計り、新たな知恵を身につける事が重要ではないかと思えます。