10年前の今日。
飼っていたわんこと斉田浜を散歩をしていました。

日記に当時のことが書いてあったので
起こしてみます。
..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*
2011年3月12日の日記より
しばらく海岸をお散歩しているうちに、
地面が揺れ始めました。
瞬間、何ごとが起きたのか、わかりませんでした。
海=津波・・・と奥尻島の地震以来
テレビでよく聞いていたものの
反射的には思い出せませんでした。
海岸の反対端にいた方が走り始めたのを見て
初めてそのことを思い出し
野生を忘れて匂いかぎに夢中なわんこを説得し
車を停めてあったところに戻りました。
そこで年配の方が
「こんな地震は初めてだー」
と言われていました。
500M走り、一般道路に出てびっくり・・・。
信号がついていません。
でも、みなさんしっかり譲り合っています。
マナーのすばらしさに感激しました。
そんな状態ですから、家に帰っても停電です。
テレビもつかなかったので、情報はわからず。
夜勤日でしたので
急いで家族の食事を作りました。
夫は仕事で遅くなるとのこと。
職場も停電しているだろう。
入居されている皆さんは
どんな様子だろう。
不穏になってはいないだろうか。
激しい渋滞のため
車では間に合いそうもないので
原付バイクで職場に向かいました。
すると、職場の隣町は停電しているにもかかわらず
職場は電気がついていて
みなさんテレビを見ていました。
夕方5時にそのテレビで
初めて大変な地震であったことがわかりました。
停電は起こらなかったものの
まもなくテレビが受信できなくなり
携帯も通じず、情報が入らなくなりました。
職員の方々は
「すごい揺れだったよー」
と言っていたのですが
入居されている方々は、
「地震?そんなのなかったよ。」
と言っています・・・。
チーフがみなさんに尋ねたら
3時間前の地震を覚えている方は2人。
当時とっても怖がったらしいのに
忘れていた方が7人。
現在のことより
過去や未来にばかり思い
頭を使っていることが多いわたしたち。
今に生きている方々だと
あらためて思いました。
そんな状態でしたので
恐れていたような混乱はなく
いつも通りに眠っていただくことができました。
午後7時過ぎに
日勤の方々がみなお帰りになり
一人でみなさんの安全を見守ることとなりました。
緊急メール受信のために
携帯電話を頼りにしていましたが
午後9時過ぎにテレビが一時復旧。
そして、また切れて
深夜、テレビが復旧していることに気がつき
音量を落としてテレビをつけておきました。
明け方、緊急地震速報を受信。
急いで、みなさんのお部屋の
入り口を開けさせていただき
避難口を確保しました。
何人かの方々が
テレビの前に集まり
情報に耳を傾けました。
大丈夫だとわかり
みなさんまた寝に入ったものの
再度、緊急地震速報が入りました。
明け方でしたが
こんなに頻繁に速報が入るようでは・・・と
入居者の皆さんには着替えていただき
できるだけ暖かい格好をしていただきました。
そして、テレビをつけて
早めの朝食を取っていただきました。
被災された方々には
心よりお見舞い申し上げます。
..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*
夫はその後
塩釜市に派遣されて
災害復興のお手伝いをしました。
地元の方はたいへんなのに
気遣ってくださったことが
とても心に残っているようです。
その後何度か
わんこを連れて東北に行きました。
( ↓ 2014年の写真から)




以前テレビのドキュメントで
ホームで暮らす認知症の方は
夜は夜勤者の精神状態に
左右される
と話していたことが
すごく心に残っていて
グループホームで働いているときは
自分の心の状態も
穏やかに保つよう心掛けていたことを
思い出しました。
お子さんたちとふれあう
今もそれは大切なことだと
タイプしながら今しみじみ感じています。
自分の心に
しっかり責任を持って
できるかぎり心地よい状態に
していたいです。
当たり前の日常が
そんなに素晴らしいことなのか。
つい忘れてしまいます。
・心の状態を心地よく保つこと
・日常に感謝すること
を心に留めていきます。

被災者の方々にも
早くに日常が戻りますように。

ランキング参加
再開してみることにしました。
もう少しで50代が
終わっちゃいますが。。。
ぜひ、ポチッと
一押し
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ありがとうございます
飼っていたわんこと斉田浜を散歩をしていました。

日記に当時のことが書いてあったので
起こしてみます。
..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*
2011年3月12日の日記より
しばらく海岸をお散歩しているうちに、
地面が揺れ始めました。
瞬間、何ごとが起きたのか、わかりませんでした。
海=津波・・・と奥尻島の地震以来
テレビでよく聞いていたものの
反射的には思い出せませんでした。
海岸の反対端にいた方が走り始めたのを見て
初めてそのことを思い出し
野生を忘れて匂いかぎに夢中なわんこを説得し
車を停めてあったところに戻りました。
そこで年配の方が
「こんな地震は初めてだー」
と言われていました。
500M走り、一般道路に出てびっくり・・・。
信号がついていません。
でも、みなさんしっかり譲り合っています。
マナーのすばらしさに感激しました。
そんな状態ですから、家に帰っても停電です。
テレビもつかなかったので、情報はわからず。
夜勤日でしたので
急いで家族の食事を作りました。
夫は仕事で遅くなるとのこと。
職場も停電しているだろう。
入居されている皆さんは
どんな様子だろう。
不穏になってはいないだろうか。
激しい渋滞のため
車では間に合いそうもないので
原付バイクで職場に向かいました。
すると、職場の隣町は停電しているにもかかわらず
職場は電気がついていて
みなさんテレビを見ていました。
夕方5時にそのテレビで
初めて大変な地震であったことがわかりました。
停電は起こらなかったものの
まもなくテレビが受信できなくなり
携帯も通じず、情報が入らなくなりました。
職員の方々は
「すごい揺れだったよー」
と言っていたのですが
入居されている方々は、
「地震?そんなのなかったよ。」
と言っています・・・。
チーフがみなさんに尋ねたら
3時間前の地震を覚えている方は2人。
当時とっても怖がったらしいのに
忘れていた方が7人。
現在のことより
過去や未来にばかり思い
頭を使っていることが多いわたしたち。
今に生きている方々だと
あらためて思いました。
そんな状態でしたので
恐れていたような混乱はなく
いつも通りに眠っていただくことができました。
午後7時過ぎに
日勤の方々がみなお帰りになり
一人でみなさんの安全を見守ることとなりました。
緊急メール受信のために
携帯電話を頼りにしていましたが
午後9時過ぎにテレビが一時復旧。
そして、また切れて
深夜、テレビが復旧していることに気がつき
音量を落としてテレビをつけておきました。
明け方、緊急地震速報を受信。
急いで、みなさんのお部屋の
入り口を開けさせていただき
避難口を確保しました。
何人かの方々が
テレビの前に集まり
情報に耳を傾けました。
大丈夫だとわかり
みなさんまた寝に入ったものの
再度、緊急地震速報が入りました。
明け方でしたが
こんなに頻繁に速報が入るようでは・・・と
入居者の皆さんには着替えていただき
できるだけ暖かい格好をしていただきました。
そして、テレビをつけて
早めの朝食を取っていただきました。
被災された方々には
心よりお見舞い申し上げます。
..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*..。:*
夫はその後
塩釜市に派遣されて
災害復興のお手伝いをしました。
地元の方はたいへんなのに
気遣ってくださったことが
とても心に残っているようです。
その後何度か
わんこを連れて東北に行きました。
( ↓ 2014年の写真から)




以前テレビのドキュメントで
ホームで暮らす認知症の方は
夜は夜勤者の精神状態に
左右される
と話していたことが
すごく心に残っていて
グループホームで働いているときは
自分の心の状態も
穏やかに保つよう心掛けていたことを
思い出しました。
お子さんたちとふれあう
今もそれは大切なことだと
タイプしながら今しみじみ感じています。
自分の心に
しっかり責任を持って
できるかぎり心地よい状態に
していたいです。
当たり前の日常が
そんなに素晴らしいことなのか。
つい忘れてしまいます。
・心の状態を心地よく保つこと
・日常に感謝すること
を心に留めていきます。

被災者の方々にも
早くに日常が戻りますように。


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再開してみることにしました。
もう少しで50代が
終わっちゃいますが。。。

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