今日は、ある探し物を朝から必死になって探していました。
が・・・見つからず。
そんな中、メールを開くと編集長から確認のメールが入っていました。
1213年5月2日の和暦の確認です。
市からの出版物を見て書いたのですが、他の情報では違うようだ、と。
調べてみますと鎌倉時代の1213年(グレゴリオ暦)は、建暦3年と建保元年にまたがっています。
休みの長女が、
「天皇調べればいいんじゃない?」
た・たしかにそうだ。。。
天皇を調べてみると
順徳天皇になっています。
でも、順徳天皇は、承元4年11月25日(1210年12月12日) - 承久3年4月20日(1221年5月13日)。
承元・建暦・建保・承久と4つの和暦にまたがっています。
「どうも、今のように天皇の交代と元号はどうやら違うみたい」
と言うと、
「飢饉かなんかがあって、変わったんじゃない? 昔はそうだったみたいだから、飢饉を調べてみれば?」
と再アドバイス。
高校でけっこうまじめに勉強していたんだ~
(←長女)と今知る母。
そこで感心したものの飢饉を調べるのは面倒なので、建暦と建保の境目の日にちを調べました。
いくつかの情報をあたり、建保元年は、1214年1月25日からだとわかりました。
それも建保元年は、25日間だけ。
ということで、わたしの記事の和暦は、建暦3年で間違いなさそうでした。
こんなことを調べて楽しめるのも、記者活動のおかげです。
そんなことがなければ、鎌倉時代のことなど調べないでしょうから。
ただ、学生時代の勉強は娘に負けたな・・・と思いました。
ちょうど昨日、高校の話をしていたのです。
娘の高校には、仏教とか常識力とかの授業がありました。
「ヤバかったんだよ。常識力の授業の時に、私もびっくりの『おいおい、そんなの選ぶか?』レベルの生徒がいっぱいだったから」
授業で習った常識力は、就職してからもずいぶん助かっているようです。
また、看護師の娘の部署は重い病の方が多く、旅立たれる方も少なくないようです。
そこで生きたのが、仏教的なものの観方だったよう。
いろいろあった高校時代とはいえ、それなりの生きた勉強ができたということで、やはり何事も必然かも~と思えました。
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