横須賀市立横須賀高等学校(1972~2003年)は、森崎団地内にありました。
県立横須賀高校の「横高」に対し、「市横」(しよこ)と呼ばれていました。
2003年に「市商」「市工」と統合され、現在の横須賀総合高等学校になったのですが、
売却が決まるまで10年以上がかかり、広い敷地がやっと町として生まれ変わろうとしています。
校門付近には、校歌と校訓の碑が移されました。
大志 希望 意志 個性
こんな感じで並んでいます。
夫と末の妹の母校です。
末の妹は、森崎小学校、大矢部中学校、市横、と、
小学校から高校まで、山の上で済ませてしまいました。
高校は、予鈴が鳴って家を出ても、間に合う近さでした。
市営団地前には、3丁目のようにコンビニができそうです。
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わがやのちびた(20才)は、今週、茅ケ崎の病院で実習中。
「近いのが一番だよ」
とぼやいております。
横浜の専門学校に通っているため、
学校に定期券の報告をしている駅は、逗子駅。
茅ケ崎なら近いだろうというご配慮が、
泣けたようです。
我が家の隣町の太田和のホームに実習に行っている人もいるというのに。。。
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例の
一騎塚の二輪車用押しボタンの後日談です。
今日、設置されている場所の隣の信用金庫に用事があり、
行ってきました。
すると。。。ですよ。
もうこれは、自分でこのシチュエーションを仕組んだとしか思えないほどの展開が。
先頭の停止線に、ご年配の女性の方が、原付で停まっていました。
その後ろに、車が5台並んでいました。
わたしが信用金庫を出たときに、この信号が変わる前の場所の
三浦海岸方面からの車たちが動いていました。
そして、ここの信号が変わるはずが・・・。
変わりませんでした。
女性は頭をひねっていますし、後ろのワゴン車の運転手さんも怪訝な顔をしていました。
わたしが徒歩で押しボタンのところに行くと、
「おしてください」
の表示が出ていました。
原付がやはり、感知されていなかったのでした。
すぐに押して、原付の運転手さんにその旨を伝えました。
「全然変わらなくて、おかしいと思っていたの」
「今度は変わりますよ」
無事に信号は変わりました。
やっぱり、表示がなくてはわからないですよね。
そんな光景を、目の当たりにしたのでした。