あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「病の時に読む言葉」③ 痛みがあるということは、生きているということである。

2025-01-17 09:28:38 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」③ 痛みがあるということは、生きているということである。

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 痛みに苦しんでいる人への言葉は、ただただ「我慢しなさい」の言葉より、少しは慰めや励ましの言葉になりますでしょうね。
実際には、肉体の神経が痛みを脳に伝えているだけです。その信号に耐えかねているのが、心です。その信号を止めるのは、神経を殺せばなくなりますが、回復に向かう喜びは伝わってこなくなります。必ず良くなると言い聞かせて頑張るのが健康的な考えですね。
 でも、死んだらこの痛みはなくなると思い自殺する人もいるでしょうが、真実は、肉体は死んでも魂は生きていますから、「はて?まだ死んでいないか?」と痛みの思いは続くのです。
痛みは、肉体の痛みであって、心の痛みではない!と考えるのが正しいのです。
仏法真理を知らない人は、苦しみは永遠に続くのですね。

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「病の時に読む言葉」② 置き去りにしてきた記憶を想起しよう。

2025-01-16 08:36:46 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」② 置き去りにしてきた記憶を想起しよう。

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 現役でバリバリ働いている時は、現在ただ今が問題であり、優先すべきことが多いですね。そして、小さな問題は後回しになり、その内に忘れてしまうのが凡人の証明です。
 一旦、病になり入院でもすると、治療に専念することで現在の問題から離れることになり、後回しにしてきた諸問題を思い出す絶好の機会になります。不義理をしてきた自分の発見であり、仕事優先で家族を後回しにしてきたことが、思い出されれば、良い病気のタイミングとなりますね。
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「病の時に読む言葉」①病気とは、魂の休息日である。

2025-01-15 09:49:08 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」①病気とは、魂の休息日である。

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 普通は体や精神を酷使したから、無理をしたから、ストレスがたまったから、などの理由で病気になったと思われている。だから、それ以上の無理をさせないように病気になるのであろう。
 仕事の現場から離れた焦りもあるが、やっとで休めたという安堵感もあるのです。病気になった人を責めるのは難しいからです。
 病になったら、自分をしっかり見つめ直す機会、つまり仕事や、人間関係などの問題を考え直す機会でもあります。
この見つめ直すことが、「自分の人生とは?」との、もっと基本的な問題を改めて考え直す機会であり、それは貴重な反省となって、魂に問いかける関係に入ることが出来ます。
 このように、貴重な時間をいただけた!と感謝することも、病気の得点です。

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「地獄に堕ちないための言葉」100 信仰は三世を貫くものである。たとえ、宇宙時代が到来しても、エル・カンターレの法は、全宇宙を網羅していることを信ぜよ。

2025-01-14 09:31:23 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」100 信仰は三世を貫くものである。たとえ、宇宙時代が到来しても、エル・カンターレの法は、全宇宙を網羅していることを信ぜよ。

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 この世のだけの信仰は、ご利益信仰そのものである。本当の自分=心を見つけ、日々磨くことが、この世に生まれてきた目的である。
科学が進歩して、宇宙人の存在を知り、交流できるまでに発達しても、エル・カンターレの法がなければ、発展しないのである。なぜなら、自分の魂も、宇宙人であり、地球以外の星から移住してきた歴史があるからである。
地球だけの思考から宇宙的な観点の思考を可能にするのは、エル・カンターレの法のみである。
そもそも、大宇宙を創られた神様の念がエル・カンターレの法なのであるから、全ての魂の進むべき方法を指示しておられるのである。
エル・カンターレの法を学べる弟子は、最高の幸せな魂なのである。

 主 エル・カンターレよ こんな環境や機会を与えていただき、誠にありがとうございました。
また、毎回コメントをつけ足していただけたこと、自分自身の学びにもなりましたことを感謝申し上げます。このコメント集が皆様の少しでも役に立ったならば喜びであります。
いままで、目を通していただいた皆様に、感謝申し上げます。
ありがとうございました。

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「地獄に堕ちないための言葉」99 エル・カンターレの法を広めることが、地獄を解消し、この世に仏国土ユートピアを建設することなのだ。

2025-01-13 09:30:55 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」99 エル・カンターレの法を広めることが、地獄を解消し、この世に仏国土ユートピアを建設することなのだ。

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 エル・カンターレは愛の念でもって、大宇宙を創られ、宇宙人類を創られ、地球の全生命を創られたのですから、その愛の念は法則となっています。しかし、人類には念の自由をも与えられたのです。この自由がなければ、地獄はなくなりますが、仏国土ユートピアの実現は不可能です。そこで、魂の喜びを体験してもらうために、自由が与えられたのです。しかし、この自由をはき違えて、自分の欲のままに使ったら、互いの欲のぶつかり合いで自由のない地獄の出現になったのです。
 従って、欲のコントロールつまり心のコントロールをしなさいとの教えが、エル・カンターレの教えなのです。
人間から自由を奪えば、すぐさま地獄はなくなりますが、魂の喜びはなくなります。
魂の自由を満喫しつつ、互いに心のコントロールをし、エル・カンターレの愛の教えである(愛、知、反省、発展)の四正道を実践すれば、地獄は解消してゆきます。ただし、この教えが広がってこそ、実現するものです。
 神様がユートピアを与えてくださるのではなく、自分自身で作って行くことが大切であり、そこに愛の本当の喜びが体現するのです。
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「地獄に堕ちないための言葉」98 たとへ、天変地異や大戦争に巻き込まれようとも、主への信仰を護れ。この世は仮の世である。信仰している自分を守りぬくことが、全てを守り抜くことになるのだ。

2025-01-12 13:50:06 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」98 たとへ、天変地異や大戦争に巻き込まれようとも、主への信仰を護れ。この世は仮の世である。信仰している自分を守りぬくことが、全てを守り抜くことになるのだ。

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 すべてが創造神エル・カンターレの念のままに動いていると信ずれば、何にも恐れることはない。天変地異や大災害大戦争が起きても、その中で信仰を貫く姿を見せることが、使命であると信ずれば、全てが幸福へとつながるのである。すなわち魂の進化をしていることになりますね。
大災害を経験している自分の姿や存在も、神の世界を映す存在の役目を果たしているのだ!と思えば、役に立った!と幸福感に浸ることができるであろう。
なにしろ、仮の世での役目であるから。一人の演者にしか過ぎないのだ。
天変地異の真っ最中に、皆が恐怖におののいている時に、神の意のままに行われているという、そのゆるぎない考えを、姿を演じる事が、エル・カンターレへの信仰の姿を演じることになっているのだから。

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「地獄に堕ちないための言葉」97 九十九%の信仰では足りない。仏法真理、霊的事実のために、百%の信仰を目指せ。

2025-01-11 10:43:21 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」97 九十九%の信仰では足りない。仏法真理、霊的事実のために、百%の信仰を目指せ。

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 凡人は、ご利益信仰に頼るものであり、病気が治り、願った事(ほとんど肉欲)が叶えば、良い神様であり、叶わなかったら力のない神様として扱う。これは真の信仰ではない。都合がよければ信仰し、悪ければ信仰しない場合である。
少なくとも自分の欲のための願いはするべきではない。他人の幸せを願うことを優先し、あの世で立てた人生計画に合うかどうかの視点がないと、理不尽であるとしか思えないのは、霊的事実を知ろうしない信仰である。この世の生き方が楽になるような神への願いは、百%の信仰ではないし、間違った信仰になるのである。何のための神様か?と思う人の心が「自分が神様である」と信じている自分信仰をしているのである。
 あくまでも、この世は仮の世界であり、魂の磨き修行であるのであると実感してこそ、真の信仰に近づいてゆくのであろう。
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「地獄に堕ちないための言葉」96 エル・カンターレのために、自己犠牲を払って、この世的に不幸に生きたように思われた者も、来世では、天使や菩薩の救済は確実に来る。

2025-01-10 08:31:40 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」96 エル・カンターレのために、自己犠牲を払って、この世的に不幸に生きたように思われた者も、来世では、天使や菩薩の救済は確実に来る。

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 悪がはびこっている地上を、仏国土ユートピアにせんと企画され、地上に魂を下ろされた神様が、エル・カンターレなのです。歴史上3度ほど地上に肉体を持って降臨されたが、エル・カンターレの分身である仏陀として名前が残っているのですが、一つの世界宗教になっただけで、他の宗教までを統一しまとめる教えが説かれませんでした。その統一をされるために、本体のエル・カンターレが直接降臨されたのですから、名前になじみがないために、伝道は難しいものがあります。しかし、ご本体の魂ですから、その信者が命を懸けて真理を伝えようとした者は、まるで、独裁者が君臨している国で、神様を信じよと言えば、不幸な人生が約束されてしまうのと同じです。
従って、不幸な人生で終わっても、よくやったとの判断がされて、魂の救済に天使や菩薩が助けに来ることは間違いありません。
 異教徒は殺しても構わないと教えられている民族は、民族心からは褒められますが、逆らえば、火あぶりになったり、強制収容所に送り込まれたり、不幸な人生になります。ことなかれの生き方では、この世的には、なんとか生き延びることはできますが、
地球神エル・カンターレからは、罪人になりますね。
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「地獄に堕ちないための言葉」95 自己保存欲、この世的自己実現欲、この世的名誉欲のために主を利用し、自己責任をのがれようとした者は(以下本文)

2025-01-09 11:13:48 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」95 自己保存欲、この世的自己実現欲、この世的名誉欲のために主を利用し、自己責任をのがれようとした者は、神や仏、天使や菩薩を名乗っても、永遠の業火からのがれることはできない。

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 これは幸福の科学の信者に当てはまることですね。仏法真理を学ぶほどに、その素晴らしさに感動するが、伝道する時に、「知らないだろう!教えてやろう」との上から目線でものを伝えようする心では、決して菩薩や天使の心ではないのですね。初期の頃の職員は、ついつい「自分は偉いのだ」と思いがちで、出世しない人達は、肩書を外されたり、異動を不服として組織から離れていった人たちがいるとのことです。
現在でも、僧団を一般の会社組織と勘違いしている職員もいるそうです。やはり、神理を学んで高得点を取ったから偉いのだ!ではないのです。
やはり、根底に「愛」がなければだめなのですね。
自己保存欲、この世的自己実現欲、この世的名誉欲は、全て自分の利益ですね。与える愛ではないのです。与える愛を実践するには、自分の利益を全く考えないことなのです。与えているようで「奪う愛」になっていないかの点検が常に必要なのです。

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「地獄に堕ちないための言葉」94 主なる神を愛し、主なる神に尽くし、主なる神を護るために、命を捨てた者は、地獄の業火で焼くことも、地獄の刀剣で斬ることも、あらゆる災害で滅ぼすこともできない。

2025-01-08 08:54:49 | 日記
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著

「地獄に堕ちないための言葉」94 主なる神を愛し、主なる神に尽くし、主なる神を護るために、生命を捨てた者は、地獄の業火で焼くことも、地獄の刀剣で斬ることも、あらゆる災害で滅ぼすこともできない。

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 この世は仮の世界との教えがある。仮ならば、生命も仮のはずである。しかし、仮であっても、傷つくし、痛みはあるし、死への恐怖がある間は、とても仮の世界とは思えないのである。
このハードルを越えた信者は、魂のみが本命であると信じ、この世の肉体生命を犠牲にしても、主なる神を愛し、敵対する者に命知らずで向かっていける強さが出てきます。
 地獄の責め苦にあえぐものは、肉体をかわいいと考えて行動した罪なのです。主なる神を愛する事に躊躇し、主なる神に尽くすことをためらい、主なる神にを護るよりも、わが身を護る凡人は、地獄での勉強が必須となるのです。
 また、主なる神ではない神(民族神、邪教の教祖など)を愛しても、尽くしても、護っても、それは、主なる神様の弟子ではないのである。間違った信仰を持った罪(邪教を広める罪、異教徒は殺しても良いとする罪)が発生するだけです。
 人類の神様であるからには、地球神でなければならないのです。民族を超え、地域を超え、人種を超え、肌の色を超えた愛でなければならないのです。さらには、宇宙人をも愛するようになれば、宇宙神に仕える信者となるわけです。ま、無敵ですね。

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