理想国家日本の条件 さんより転載です。
【今週の大人センテンス】警察への悲しみを手記で訴えた小金井刺傷事件の被害女性
巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。
そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。
第38回 浮かび上がる「まずは保身」という姿勢
「警察がこの事件のことを本当に反省してくれていないと、また同じことが繰り返されるのではないかと心配です。」by冨田真由さん
【センテンスの生い立ち】
今年5月に東京都小金井市で、男から刃物で顔や首を刺されて一時は重体だった冨田真由さん(21)。9月初旬に退院したが、現在も療養を続けている。12月16日、代理人を務める柴田崇弁護士が記者会見を開いて、冨田さんの手記を発表。そこには、事件前に警察に相談してもきちんと対応してくれなかった様子や、事件後の警察の不誠実な対応に「怒りを通り越して、悲しみを感じて」いることなどが、しっかりした字と文章で綴られている。
【3つの大人ポイント】
・助けてくれた人、支えてくれている人への感謝を述べている
・冷静にわかりやすく警察が抱える問題点をあぶりだしている
・非難を覚悟でこれ以上の被害者を出さないために声を上げた
音楽活動をしていた冨田真由さんが、東京都小金井市のライブハウスの入り口前で、ファンの男にナイフで刺されたのは今年5月21日のことでした。首など20ヵ所以上を刺されて、一時は意識不明の重体に。刺した岩埼(いわざき)友宏被告は傷害容疑で現行犯逮捕され、殺人未遂と銃刀法違反の罪で起訴されています。
冨田さんは9月に退院しましたが、身体にも心にも深い傷が残りました。顔や首に負った傷は完治していないし、指をうまく動かすことができず、音楽活動を再開する目処はたっていません。事件のショックでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症。「逃げられない空間が怖い」と話していて、ひとりでは電車に乗ることもできないとか。
仮定の話をしても仕方ないかもしれませんが、もし警察が冨田さんの話をしっかり受け止めて、被告にしかるべきアプローチをしていたら、事件は防げたかもしれません。しかし、相談を受けた警視庁武蔵野署は「ストーカー相談」として扱わず、本部の専門部署にも報告していませんでした。また、被告は3年前にも別の女性のブログに嫌がらせの書き込みをして、被害女性が警察に相談していましたが、当時相談を受けた警察署員は警視庁内部のシステムに被告の名前を登録していなかったことも明らかになっています。
などなど、相談を受けた武蔵野署の対応は、ひじょうに杜撰なものでした。16日に警視庁は、冨田さんへの聞き取りや相談内容を精査した結果、対応に不備があったとする検証結果を発表。事件前に相談を受けた段階で身の安全を早急に確保する必要があったと結論づけました。しかし、冨田さんも手記に書いているように「傷だらけになった身体が元に戻る訳でもないし、時間を巻き戻せる訳でもありません」。
16日に代理人を通じて発表された冨田真由さんの手記の全文は、こちら。
一命をとりとめて手記を書けるまでに回復したことは、こういう言い方が適切かどうかはわかりませんが、不幸中の幸いです。そして冨田さんは、このまま世間が事件を忘れてくれるのを静かに待つのではなく、また同じことが繰り返されないように、「同じ不安や恐怖を抱えて苦しんでいる人が、安心できるような社会に変わっていってくれたら」という願いを込めて、これまでの経緯や率直な思いを綴った手記を発表しました。
手記は、けっして警察や犯人への怒りや恨みを表明するために書かれたわけではありません。まず最初に述べられているのは、被害に遭ったときに現場で犯人に立ち向かってくれた人たちや、お世話になっている警視庁の犯罪被害者支援室への感謝の言葉。その上で、冨田さんがもっとも強く訴えたくて切実に願っているのが、警察が変わってくれることです。
本事案発生後の取り組みを拝見しましたが、警察がこの事件のことを本当に反省してくれていないと、また同じことが繰り返されるのではないかと心配です。この事件をきっかけに、同じ不安や恐怖を抱えて苦しんでいる人が、安心できるような社会に変わっていってくれたら嬉しいです。
藁をもつかむ思いで相談に行った冨田さんに対して、警察がいかにおざなりな対応をしたかが、手記から浮かび上がってきます。その後の対応も、危機感や誠実さはまったく感じられないものでした。冷静にわかりやすく、警察が抱えている問題点をあぶり出しています。もっとも衝撃的なのが、事件後に警察から事情聴取を受けたときのやり取り。
警察からの聴取の際、挨拶が終わった後の最初の言葉が「本当に殺されるかもしれないと言ったんですか」でした。その後も、私が「殺されるかもしれないという言葉を言っていないのではないか」と何度も聞かれました。
でも、「殺されるかもしれない」という言葉を、私は絶対に伝えました。母も、警察に何度も訴えてくれました。これだけは間違いありません。この事実を警察が認めないことに、怒りを通り越して、悲しみを感じています。
警察がなぜ、冨田さんが「殺されるかもしれない」という言葉を言ったかどうかにこだわるのか。それは、自分たちが不十分な対応しかしなかった責任を逃れたいからにほかなりません。「殺されるかもしれない」とは聞いていなかったから積極的に手を打たなかったんだと主張して、保身をはかりたいからにほかなりません。警察にとっては、被害に遭ってしまった冨田さんの心情や真摯に原因を究明するよりも、組織や身内を守ることのほうがよっぽど大事なのでしょう。それが本能であり体質なんでしょうね、きっと。
「怒りを通り越して、悲しみを感じています」という一文に、冨田さんの深い絶望感と、このままではまた同じことが繰り返されるに違いないという危機感がにじみ出ています。手記を発表すれば、的外れな批判を受けたり醜い悪意をぶつけられたりするかもしれません。にもかかわらず、警察に反省を促したい、同じような被害者を出したくない、そんな思いを込めて手記を発表した彼女の勇気と覚悟に、心からの敬意を表します。
実際、ネット上では冨田さんに対する情けなくて悲しい誹謗中傷をたくさん見つけることができます。「タチの悪いストーカーがいるのにライブなんてやるほうが悪い」「危険だと思うなら、自分でボディガードを雇えばいいのに」「警察だって忙しいんだ」――。なぜ被害者が声を上げると、イチャモンをつけて「自業自得だ」と言いたがる人が湧いて出てくるんでしょうか。なぜ「お上にタテ突く生意気なヤツ」扱いされなければいけないんでしょうか。その弱い者いじめ体質や無意識の“奴隷根性”はどこから生まれるのでしょうか。
もちろん、もっとも責められるべきは、冨田さんに刃を向けた被告です。おざなりな対応しかしなかった警察にも、大きな責任があるでしょう。さらに、こうしたストーカーにまつわる事件や、あるいは性犯罪に関しては、無理解で無責任な視線を向ける「世間」も、極めて広い意味では加害者です。少なくとも二次被害を及ぼす当事者であることは間違いありません。冨田さんの勇気ある行動は、そんなことも考えさせてくれました。「この文章で、少しでも私の気持ちが伝わりますように」という結びの言葉を重く受け止めましょう。
【今週の大人の教訓】
責める相手を見誤らせるなど、感情は平気で嘘をつく