あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「私にも仏の光が宿っている」

2011-03-30 17:16:12 | 日記
愛の起源ブログより転載します。
鬱を克服してつかんだ仏の子としての自信を持つ事が出来ました。という女性をご紹介します
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「楽になりたい」
 (このまま、すーっと飛び込んじゃったら、楽になるんだろうな……)
二年半ほど前、だるい身体を引きずりながら会社に向かう途中、
駅のホームに入ってくる電車に、吸い込まれそうになることが何度もありました。
(だめだめ。そんなことしちゃ!)
はっと我に返り、踏みとどまるのですが、しばらくするとまた「楽になりたい」と思ってしまいます。
苦しみから逃れたくて心療内科を訪ねると、「鬱病」と診断されました。
「やる気がしないときは、何もしなくていいんですよ」と医師に言われ、軽い安定剤を処方されました。
薬を飲み始めると、いくらか楽になったような気がするのですが、
身体はいつも重く、ふさぎこむ気持ちは変わりませんでした。
「鬱病になるまで」
 夫の転勤で生まれ育った大阪を離れ、東京に移ったのが十三年前。
子供がいなかった私は、派遣社員として、都内の大手企業に勤め始めました。
周囲は有名大学を卒業した高学歴の社員ばかり。
高卒の私は引け目を感じましたが、「周りの足を引っ張らないように」と、毎日真剣に仕事に打ち込みました。
やがて、真面目な仕事ぶりが上司に認められ、私は派遣社員から正社員に登用されました。
しかし「社員にしてもらったからには頑張らなければ……」と、毎日のように無理を重ねてしまったのです。
ちょうどその頃、以前から借金癖があった夫に、信じられない額の借金があることが発覚し、
「もう一緒にいられない」と離婚。初めての一人暮らしが始まりました。
大阪の実家に帰ることも考えたのですが、「今の職場に迷惑をかけられない」という思いが強かったのです。
しかし、東京には頼りにできる身内もなく、家に帰って話す相手もいません。
やがて激しい疲労と孤独感に悩まされるようになりました。
仕事はますますはかどらなくなり、「みんなに迷惑をかけているのではないか」という不安にかられるようになりました。
誰よりも早く出勤するのですが、それでも仕事が片付かず、自分の能力のなさを責めました。
自分が「ダメ人間」のように思え、
とうとう「電車に飛び込んで楽になりたい」という衝動に駆られるところまで、追い詰められてしまったのです。
「心の支えを求めて」
 病院で鬱病と診断されたのを機に、私は療養のために休暇をとり、大阪の実家にしばらく戻ることにしました。
大阪に帰ると、私が一人暮らしを始めた頃から心配してくれていた知人が、
「気持ちが休まると思うから」と、幸福の科学の支部に誘ってくれました。
支部を訪ねると信者の皆さんが温かく迎えてくださり、親身に私の話を聞いてくれました。
そして、職員の方から、三帰誓願を勧めてもらったのです。
「Oさんも、三帰誓願して仏とつながり、この経文を毎日読んでみませんか。
この『正心法語』と『祈願文』を毎日読むことで、心を正しい方向に向けていくことができるんですよ」
心の支えを求めていた私は、その言葉を信じて三帰誓願式に臨みました。二〇〇四年十月のことです。
不思議なことに、その日から、私の心に小さな光が灯ったような感じがしました。
何をするのも面倒で、ふさぎ込んでいたのに、それから毎日、授かった経文を読誦しました。
「大宇宙に 光あり 光は 仏の 生命なり 生命に よりて 人は生き 生命に よりて 歴史あり」――。
経文の一言一言が心に染みわたるようで、心が温かくなっていくのを感じました。
「不思議な光景」
 その後、療養に専念するために会社を正式に辞め、東京の住まいも引き上げました。
実家への引越しも片付いた昨年の一月、私は支部の法友に誘われて、幸福の科学の琵琶湖正心館を訪れました。
初めて見る精舎は、とても美しいところでした。
(うわぁ、きれいなところだな)
玄関を入った途端、なぜだか胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、涙が止まらなくなりました。
(私、なんで泣いているんだろう?)
自分でも理由が分からないまま、私は、ただただ泣いていました。
しばらくして、ようやく涙が止まると、今まで感じたことのないような、さっぱりとした気持ちになりました。
窓の外を眺めると、琵琶湖の湖面がとても穏やかに広がっています。
見渡せば、目に映るすべてのものが優しさに満ちて見えました。
〈もう、大丈夫。もう、自分を責めなくていいんだよ〉
仏にそう言われているような気がして、心がすーっと楽になりました。
笑顔を与える
 それから私は、幸福の科学の支部に通い、行事や学習会に参加するようになりました。
明るく優しい支部の皆さんと過ごしていると、「こんな自分でも受け入れられている」と感じられ、安心できるのです。
やがて、職員の方に勧められ、私は支部のボランティアをするようになり、
礼拝室のお掃除をしたり、お客さんにお茶を出したり……。
ボランティアを始めてから、支部に通うのがとても楽しみになりました。
「Oさん、笑顔が増えましたね」
ボランティアを始めてしばらくしたころ、法友にそう言われ、私は自然に笑顔が出ている自分に気がつきました。
朗らかな支部の皆さんに囲まれているうちに、いつしか私の心も和んでいったのです。
そんなとき、『成功の法』のある一節に目が止まりました。
『一日を閉じるときに、振り返ってみてください。今日は、どれだけ笑顔をつくることができましたか。
どれだけ多くの笑顔を他の人に与えることができましたか。
笑顔は、やはり、つくっていけるものです』
(同書P. 87)
(今までの私は、自分の苦しみで頭のなかがいっぱいで、どれだけ笑顔を与えたかなんて考えたこともなかった。
そんな私を、支部の皆さんはいつも笑顔で温かく見守ってくれた。
皆さんの笑顔があったから、私も笑顔になることができたんだ。
もう自分のことばかり考えるのはやめよう。
周囲の人たちに積極的に笑顔で接する自分になっていこう)
心のなかで、何かがふっきれたような気がしました。
それから毎朝、「今日も一日、多くの方に笑顔で接することができますように」と祈って一日を始めるようにしました。
笑顔は心まで明るくしてくれます。
やがて私は薬に頼らなくても心の安定を保てるようになり、通院からも解放されたのです。
「仏の子の自覚」
 気持ちが前向きになってきた私は、以前から興味のあった医療に関わる仕事に就きたいと思い、
専門の職業訓練校に三カ月ほど通いました。
その後、地元の病院で看護助手として働くことが決まり、無事、社会に復帰することになったのです。
しかし、仕事を始める日が近づくにつれて、だんだん不安な気持ちが募ってきました。
(もし、また同じことを繰り返して、周囲に迷惑をかけることになったらどうしよう……)
平静な心を取り戻してきたつもりでしたが、それは療養中の落ち着いた環境でのこと。
「仕事を始めても大丈夫」という自信はなかったのです。
私は、北陸正心館の『自らを愛するための基本』研修を受けることにしました。
自分を責めがちな人や、自信をなくしている人にとって大切な気付きが得られる研修だと聞いていたからです。
研修のなかで、他人に認められたことや努力してきたことなどをノートに書き出していくと、
ずっと見失っていた自分の「いいところ」が見えてきました。
いつも誠実な仕事を心がけてきた自分。
主婦業と仕事を両立させてきた自分。
朝早くから出勤し、真面目に仕事してきた自分――。
(私は、だめなところばかりの人間じゃなかった……)
研修のなかで紹介された小冊子『反省の手引き』のなかに、このような言葉がありました。
『いちばん大切な考え方というのは、仏の子としての自分を愛することなのです。
これは、いくら愛しても限りがありません。
つまり、自分の本来の性質、本性に立ち返り、そのあるべき姿としての自分がのびのびと手足を伸ばせるような、
そういった自己愛であってほしいのです』
(同書P. 12)
(私は「自分なんて価値がない人間だ」と、大切な自分のことをずっといじめてきたんだ。
でも、私の中にも仏と同じ尊い光が宿っている。私も素晴らしい仏の子なんだ)
心の奥底から、深い安堵と喜びがあふれてきて、あとからあとから涙が頬を伝います。
私は、仏の子としての確かな自信を持って、新たな人生を歩み出そうと決意したのです。
こうして私は、昨年の十月から、看護助手の仕事をスタートすることができました。
環境を整えたり、患者さんの付き添いをしたり、毎日、人のお役に立てる喜びを感じています。
こんな日がくるなんて、二年前にはとても想像できませんでした。
苦しい経験でしたが、鬱を乗り越えるなかで、
私は、仏の子としての自信を身につけ、以前よりも強い自分になることができました。
この幸福を胸に、これからも仏法真理の学びを深め、多くの人を幸福にできる自分になっていきたいと思っています。
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2 コメント

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参考になりました! (もんちゃん)
2011-09-15 10:56:03
自らを愛するための基本研修を受けようかどうか、迷っていました。だけど、最近自分の悩みの傾向性として、絶対必要なのは気付きかけていました・・・が、この記事に背中を押されました!17日から、精舎へ行ってきます(^-^)ありがとうございます★
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Unknown (越前の守)
2011-09-16 00:01:14
(もんちゃん)おめでとうございます。
研修を受けようと思った時点で解決です。
鬱になる人は、自分に厳しすぎると思います。
妥協するのは卑怯だとの思いが強いのだと思います。

完璧な人はいないからこそ、この世に生まれて、向上を目指したものの、夢破れて落ち込むことは多々あるのです。
だから許すという言葉が見に染みるのですね。

光を与えるのは、がんばれの言葉ではなく、許しましょうと声掛けることです。
仏の子と自覚できる瞬間が幸福なのですね。

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