行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

改めて思う。

2012年04月06日 15時58分05秒 | 日記

やっぱり子供の喜ぶ顔が見たいから。

 

私の父もそうだったんだなぁ・・と思います。
私がここで、庭いじりが唯一の楽しみと知った父は、私の誕生日に間に合うようにと、木材を買ってきて、プランターを作ってくれました。

それは白い扇形のフェンス付きのもの。
その頃は、そこに寄せ植えをして、フェンスには、クレマチス・ドクターラッペルを絡ませて。

その時も、父は私の喜ぶ顔をみて、喜んでいました。
それは、両者が幸せの瞬間でした。

知らず知らずに私も、その感覚が身に付いているのでしょう。
長男が、フトアゴヒゲトカゲを飼いたいといったときも、次男が旧車のバイクが欲しいといったときも、自分のできる範囲ですることなら、友に楽しんであげようと思いました。
むやみに反対することより、何をどうすれば最良なのかを話し合いながら、喜べるように。
時には、私の手に負えない・・と思うことがあっても、なんとか、心寄り添っていきました。

今回は三男。
何も遊ぶことなく、残業に残業を重ね、夜勤もして、貯めた自分のお給料で、車をいじる。
誰に迷惑をかけることなく・・・やっていることと、私は思うんです。
しかし、主人は、一言、あんなものに、と冷ややかです。
自分は、形にならない麻雀・パチンコに明け暮れていたころを忘れたのでしょうか。

ふぅ・・・

ちょっと休憩しましょ。

 

内職をしていると、外の音は入ってきません。
無我夢中になっています。(*≧m≦*)

すると、考えることはそんなことばかり。

義父は、定年を迎えたとき、私にこういいました。
これからは、家のことは全部任せる。だけど、現金は自分で持っていたいから、自分の飲み食いは自分で買ってくる。
そういう取り交わしがありました。
その晩、主人と義父は当たり障りのない話を笑いながらしていました。
夕方、私に言った話は一言もなく。

それからずーーっと、そういう生活になっていきました。
光熱費・家のローンを抱え、不景気な時代に突入していっても、なんら変わらない義父と主人。

長男が中学3年だった頃から、父の様態が悪くなり、次男が高校進学する直前の春に亡くなりました。
そして、父を亡くした母は具合が悪くなるのに加速し、透析をする事態になっていきました。
私の仕事も、母に合わせるように休み・早退・遅刻ができるパート。
それでは、なんの贅沢のできるはずもない。
それでも、子供たちは、文句も言わず私に労いの声かけもしてくれました。

 

今。

主人は、いまだにその義父のやっていることとおんなじ生活を続けています。
自分の飲み食いは自分で買ってくる・・という。

しかし、私は思うんです。
貴方は、義父とは存在が違うんだって。
父親なんだって、私の夫なんでしょう・・? って。
まあ、私の夫ということは置いといても、子供を養う立場にいるんです。
自分の飲み食いだけをしていて良い訳がないです。

 

でも、それも、今では、3人息子がそれぞれに働き、私へ援助をしてくれます。
情けないですが、今はありがたく頂戴しています。
少しだけほんの少しだけ、してあげられるとしたら、子供たちが笑顔でいられるよう、子供を理解してあげること、だと思います。