行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

「家」

2012年04月27日 08時47分18秒 | 日記

昭和の香り・・・とか、懐かしい昭和・・と、聞こえてくる平成の時代。
それも、もう24年が経過。

真新しい家々。
その形やシステムは、昭和の香りなど全く感じられない。
求めるものは、安心・安全・快適・清潔・心地よい空間・・・・・・・・・・・・・・・

ある程度の大人になって、大きな買い物、「家」を手にする。
それなのに、その自分の家に居る時間の短いこと。
夫・妻、共に働き、子育てしながらも、働き続け。
出来立ての家に、あの木を、この花を、芝をと望む希望は、続かず。

くたくたになって家に戻るのは、回りの見えない時間。
せめて休日には、この我が家を満喫したい・と思い片手間にやってみるバーベキュー。
その道具も片付けるどころか、またやる、の願望とともに、放り出されたまま。

家と家の境目に雑草がはびこり、空き家かと思われても仕方ない。
軒先にではなく、いつも廊下に並び、暖かい日光を浴びて揺れることのない洗濯物。

子供もいつの間にか大きくなり、いつの間にか悩みも大きくなり。
それを解決するような夫婦の会話もなく、そこを実家と言うように、子供は巣立っていく。

会社に叩かれ、上司に文句を言われ、そのうち見返してやると涙を飲み込んだまま、定年。

目の前にあるのは、香りの無くなった畳の上のタバコの焼け焦げ。
網の敗れた網戸から、虫が入り、天井からはくもの巣が埃とともにたれている。

それでも、ここが我が家だと。
これが、ずっと維持しつづけた自分のプライドの証だと。

 

そんな家であっても残るものがある人はまだ良い。

 

 

 

昨日。
主人がせっせと作っているイチゴがごっそり無くなっていることが分って。

私は、カラスか野鳥が、ビニールハウスに入って食べたのだと信じているが、そうじゃないと言い張る主人。
こんなに綺麗に食べない、人間に決まっている。と。

私は、毎日成長を楽しみにしている主人に無断で自分がとって食べることはしない。
それでも、主人の主張は、私がどこかに持っていったと思い込み、何度もしていない、知らないと言っても、カラスの仕業と納得しない。

とうとう、ビニールハウスに施錠することに。
家に全く人が居ない時間なんてほんの僅か。夜・夜中まで電気が煌々とついている我が家に人が入ってイチゴを食べるわけがない。
たかだか30個ぐらいのイチゴを食べるために、そんな危険を冒すだろうか。
しかも、我が家の奥のビニールハウス。ハウスへの出入り口は1つしかない。
もし、その中にいるときに、主が来たら逃げることはできない。

ハウスの通風のために、捲り上げている箇所から、野鳥が飛び込み、真っ赤に熟したイチゴだけを食べたに違いない。

いつ、このことに、決着つくのかなぁ。

 

こんなくだらないことに、気分を害し、時間は過ぎて・・・
やがて、私たちも年をとって・・・・

 

何十年か経ったときに、確かに有った出来事の、見えない過去の泣き笑いになるんだろうなぁ。