行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

グレープ・フルーツ。

2012年04月21日 14時44分44秒 | 日記

緑の多い町にいると、雲雀や雉が啼く。
蛇が怖いくせに、こんなところも良いもんだと勘違いする。

夜景が光輝く街を眼下に見ると、天空に居る自分が窓ガラスに映る。
ちっぽけな人間なのに、この国を動かしていると勘違いする。

 

皆が見上げる塔を作った現実を持ってしても、人には存在価値をひけらかすことのない人生。
胸の中にその自負と誇りをもって生きている。

飛んで回って、着地する、その場所は、銀板。 床。 マット。
拍手を浴び、歓声を浴び、光を浴び、流した汗を忘れる。

正義の旗を掲げ、声を震わせて、付いてきている人は、ほんの僅か。
それでも、氷山の一角だと信じて疑わぬ人のストレス。

人と人の声が通りすぎる通路には、拡声器や、変声機がある。
発した真実は決してまともには、たどり着かないと、知っている人は決して少なくない。

なのに。

聞いた話を鵜呑みにするのは、目の前の人との信頼を嘘でも続けていたいから、か。
昨日の敵は、今日も敵。
でも、今日の敵は、明日、味方になると信じてみたり。
今日の敵をもっと増やしてしまうのも、人間の愚かさ。

立場変われば心変わる。
いつまでも、同じ場所にいられるはずもなく。
時は流れ、顔ぶれが代わっても、自分はなかなか変えられるものではない。

それでもいつの日か、人生の終焉を迎えるころ、心がわりなどがあるかもしれない。
あの話は墓場まで持っていく、そう決めた心にほつれが出て、懺悔したくなる。

 

ピーマンの種が飛び、タラコがフライパンから跳ねる。
そんなつまらないことに、胸がざわつく。

しあわせだ。

命に関わることじゃない。

この町のなかの一軒の家の中。
それは、日本という土地の上にあって、それは、地球という星の上。
地球は、宇宙の一角にあって、次から次へ生まれ来る星たちの中。



それは、目を瞑ったとき、瞼のなかにある、きらめく星と同じ数。
数え切れない、星の数。

その1つの星のなんと大きなこと。
その1人の命のなんと大きなこと。

 

 

そんなことを、グレープフルーツを剥きながら、考えていました。
4つ。さあ、食べるぞっと。。