このHPを頻繁に開くことはないのだが(それどころか数か月ぶりに開いた)
自分の過去の投稿を見ると、ああ、こんなにいろいろな猫がうちには出入りしていたのだなーと
なんというか懐かしくもあり切なくもある。
悲しさよりも、過ぎた日々をしみじみ思う。
家で猫を飼っている喜び、よその猫が入ってきた困惑。
迷い猫が居ついてみたり、けがした猫を保護してみたり。
大変ではあったのだ。
わたしは脆弱なのでよその猫に振り回され、しんどいなーと思うこともあった。
我ながら薄情だと思うのだが、もう過去のことだからもっと色々してやれたなーなどとのんきに思うのであって
その最中は必死で大変だった。
それでも、今よりはずっと体力もあり、何匹もの猫と関われたことはやっぱり幸せだった。
うちの猫を見送ったときは、もう自分をこの世に結び付けておくものはないとまで思ったし
色々なことが悔やまれて仕方なかったけど、今はもう自分がなにをしてやれたかより
うちの猫がわたしをどれだけ幸せにしてくれたかを、宝物のように思い出すのだ。
本当に、本当に可愛い声で鳴いていたことも。
自分の過去の投稿を見ると、ああ、こんなにいろいろな猫がうちには出入りしていたのだなーと
なんというか懐かしくもあり切なくもある。
悲しさよりも、過ぎた日々をしみじみ思う。
家で猫を飼っている喜び、よその猫が入ってきた困惑。
迷い猫が居ついてみたり、けがした猫を保護してみたり。
大変ではあったのだ。
わたしは脆弱なのでよその猫に振り回され、しんどいなーと思うこともあった。
我ながら薄情だと思うのだが、もう過去のことだからもっと色々してやれたなーなどとのんきに思うのであって
その最中は必死で大変だった。
それでも、今よりはずっと体力もあり、何匹もの猫と関われたことはやっぱり幸せだった。
うちの猫を見送ったときは、もう自分をこの世に結び付けておくものはないとまで思ったし
色々なことが悔やまれて仕方なかったけど、今はもう自分がなにをしてやれたかより
うちの猫がわたしをどれだけ幸せにしてくれたかを、宝物のように思い出すのだ。
本当に、本当に可愛い声で鳴いていたことも。