170118 住居と人と地域 ある建築家の所有者、地域の心・意識を変える取り組みから
今朝は、マイナス5度。凍てつく草木のけなげな佇まいが先月までなんとか花びらをたもっていた花たちの名残を感じさせます。田んぼの耕起された土も淡い凍結に菜食されていて、旭が光ります。
こういう凍てつく寒さの時は、どうしても良寛さんの著名な和歌をつい思い出し、心を和ませる?というか、奮い立たせるというか、清廉な生き方を貫いた強固な僧の姿を思い浮かべます。現在のエネルギー過剰労費で真の寒さを堪え忍ぶ強靱さをもちえない弱さを少しは感じてしまいます。
うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ
さて昨夜、録画したNHK番組「プロフェッショナル」で取り上げられた建築家大島芳彦氏の取り組みを見ました。「建物を変える、街が変わる」というタイトルに興味を持ち、彼のエネルギッシュな取り組みを見て、こういう建築家がもっと育ってこないものかと思ってしまいました。
彼は、元々は新しい自分だけのユニークな建物を新たに生み出すことに情熱を抱いていたようです。ところが父親から家業の不動産賃貸業で、空き家が増えて困っているという相談を受けて、若い頃、廃墟となった米軍居留地の施設を借り受けて利用していたとき地域の子どもたちが出入るすることによる楽しさを思い出し、リノベーションの新たな道を踏み出したのです。
大島氏に相談があるのは、古い建物が多く、空き家で利用者がいないため解体して新たに現代的な建築物を設計してもらうことが施主の意図である場合が少なくないようです。大島氏は、現在の施主の意図を推し量るため、その建物の施主だった人の気持ちや建物の歴史をしっかり丁寧に聞き取りします。建物が持つ歴史的文化的価値をオーラルヒストリーとして、またさまざまな過去の資料を踏まえながら、建築家として使われた建築材などの利用価値や歴史的意味をしっかり認定していきます。さらに土地利用と地域コミュニティの関係をも斟酌するのです。
いくつかの例が取り上げられていましたが、たとえば、従来の市営住宅の基本的設計である、中層4,5階建てで、十分なスペース間隔で何棟か配置されていますが、この中層建物の構造を維持しつつ、個別の部屋の内装を従来の2DKなどの狭い間取りを1LDKなどにして現代的な利用にマッチするように変更します。これは一般のリフォームでも定番なので驚く値しません。しかし、彼の真骨頂は、各棟間のスペースを公共空間として解放し、それも従来型の定型的な児童遊戯施設を用意するのではなく、小山や池を配置して自然に近い凹凸をつけ、子どもが自然の中で遊べるような雰囲気を作るとともに、地域の人が通れるように通りをも作るのです。居住する人は、必ずしも広くない居住空間ですが、キッチンなどから子どもがその野外広場で遊ぶ姿を楽しむことができる、大きなオープンスペースを享受できるわけです。
「パターン・ランゲージ」の著者C・アレグザンダー氏が提唱した人と地域の絆を高め心豊かな建築・街づくりを、大島氏は彼なりの思いで体現しているような感覚にさせてくれました。
ところで、ビフォー・アフターというテレビ番組が長く好評を得ています。古い使い勝手の悪い建物を、いろいろな建築家が創意工夫して、その家族の声を、また建物の歴史を生かしながら、見事に建物を生き生きと生まれ変わらせる内容で、それ自体は建物だけをとりあげれば評価されてもよいと思っています。しかし、周囲や地域の人とのつながりといった点での配慮はどうかとなると気がかりです。とくに狭小な土地を有効活用と言うことで見事に、その土地に適用される容積率・建ぺい率の限界に近い建物を作る点は、周囲の建物との関係で、景観上や住民意識との調和がうまくとれるような配慮があるのか懸念されます。
その点、大島氏の建物・土地リノベーションは、私も含め世界で多くの支持を得ているアレグザンダーの思想にかなり近いところまできているのではないかと期待する内容です。
その他興味深い事例がいくつも紹介されましたが、もう一つの取り組みとして評価したいのは、和歌山市でしたか、シャッター通り化した商店街の一角で空き家となっている古い建物のリノベーションについて、所有者から相談を受けて、地域の人とのつながりを大事する必要を訴え、地域の住民が参加して、リノベーション案をコンペするという内容だったと思います。そこでは地域住民がその家の中や周囲の状況を大勢でいろいろ見たり意見を言い合い、そしてコンペで所有者の前でプレゼンするのです。その建物は裏が掘り割りとなっていて、そこに突き出すような建て方となっていました。それで、プレゼンされたある内容は、その掘り割りを地域できれいにして(これはあの「柳川掘り割り物語」を彷彿させます)、建物もたしか一階はオープンデッキのようにして喫茶コーナーにするといった地域への開放や交流空間になっているものでした。いろいろな事例があったので十分個別に把握できていませんが、それぞれがパターン・ランゲージの一要素として魅力的なものでした。
もう一つ、とくに大きなプロジェクトしては、大東市北条地区の事例は、多くの自治体でも検討に値する内容ではないかと思うので、取り上げたいと思います。
大東市といっても私自身、どこにあるか思いつかなかったのですが、大東水害があった街ということで、水害訴訟の最高裁判決で、行政の河川管理責任を限定した、その意味で画期的な内容でした。首都圏や関西圏でも都市の無秩序なスプロール的拡大の中で、排水・治水対策が追いつかず、それをすべて河川管理の責任とすることの問題はたしかにあったと思われます。そして都市計画法体系が、都市のそのような無秩序開発を抑制する制度設計がされてない中で、横浜市、川崎市、関西では尼崎市など地域環境保全のため要綱行政を展開しましたが、結局は蟷螂の斧状態になったと思います。
ちょっと余談になってしまいましたが、大東市は、工場地帯で、居住環境としては決して望ましい状態にないこと、それは大東水害の結果洪水対策に行政施策を回してきたため、他の市長に比べ周回遅れの住環境整備の状態にあること、そのため若い人は子どもが学校に上がる頃になるまでに、近隣の住環境のよい都市にに転出し、高齢者ばかりが残ってしまっているとのことで、市担当者は苦悩の表情が一杯でした。そして、公営住宅が空き室ばかりになり、その立地が四条畷駅から数分の距離にあることから、若い人に住んでもらえるような建築計画を大島氏に相談したのです。
大島氏の取り組みは、建築家の心構えといったもの、あるいは建築の作法と言ったものを十分に感じさせてくれます。彼は公営住宅地の敷地内を十分にチェックするのは当然ですが、周囲の様子は、あのブラタモリ流に調べるのです。地域の歴史的成り立ちからです。その地形の起伏、川の本来の流れ、土地の来歴を江戸時代の絵図からずっとフォローするのです。
私自身、長い間景観訴訟を担当していく中で、何人もの専門家の知見をいろいろ参考にさせてもらってきました。たとえば片方信也日本福祉大学教授からは景観が地域住民にとっていかに重要な価値をもつかとか、地域の風土・地形の沿革を図面等で確認するとか、手法をいろいろ学ばさせていただきました。西村幸夫東大教授からは都市の保全や都市美、比較法的な意味で景観規制の手法など多くを学ばしていただきました。その他数え切れない多くの専門家からいろいろ知見をいただいてきました。
大島氏の取り組む姿勢は、そのような専門的な知見とも適合するようなやり方に見えます。彼は、古い地形図から、公営住宅地は元は、背後の生駒山から流れてくる川の合流点で、ため池があったところということを発見しました。そして生駒山から流れ込む川は、水質がよく、今は三面コンクリート張り、金網フェンスで通りからは排斥された状態となっていますが、この活用をも念頭に置いています。そして、公営住宅の配置を一箇所に集中し、その空いた空間に、小山と大きな池を用意し、その前には今人気の温浴施設を配置する、そして、生駒山に向かって点在する使われていない公園を自然な遊びの空間にして、その大きな池空間からの動線を一本の木に見立て、散在する公園への枝とする案を提示したのです。
そうすることにより、公営住宅地には若い夫婦や高齢者が居住する快適空間にするとともに、温浴施設で老若男女が集え交流できるとともに、子どもたちは手前の池に階段でアクセスできる安全で自然豊かな遊び場にするとう設定で、若い人たちに居心地よい生活空間を提供するとともに、周囲の地域の人が気軽に立ち寄れ、交流できる新たな活気ある空間を要しています。
むろん簡単にそのような仕掛けだけでうまくいくわけでなく、大島氏が言うように、それぞれのマインドが変わらない限り、魅力ある建物や街空間になるわけではないでしょう。その詳細は、これから地域の住民との話合いで形成されていくものだと思います。そこに彼の強いこだわりを感じています。従来の都市プランナーは、どうしても専門的な知見で、行政に対応するようなプランを提供し、なかなか住民の多様な意見をくみ取ることができなかったのではないかと思うのです。やはり地域の人々、それぞれの心、意識、マインドがどうかを時間をかけて調整して、具体化していく作法こそ重要ではないかと思うのです。
その場合に、割と忘れ去られてきた、あるいは軽視ないし看過されてきた、地域の歴史的な景観要素、価値を見いだしながら、地域のもつアイデンティティを生かすことも重要かと思います。
ところで、国交省は、平成26年成立の空家等対策の推進に関する特別措置法に基づき、基本方針やガイドラインを策定するなど、各種の施策を講じて、全国で約820万戸(2013年)の空き家が放置されている問題に対処しようとしています。また、各自治体もそれぞれ独自の対策を講じています。最近大東市も始めています。
このような法的措置や施策は、むろん必要だと思いますし、今後も実効ある対応を期待したと思っています。
しかし、わが国の都市計画・建築は、長年にわたって、法制度とは異なる地域のルールで形成されてきた側面が無視できないと思います。江戸時代に各種のお触れが建物等についても規制として出されています。このお触れは、多くは文書としても残されていて、まるで庶民はがんじがらめにされていたのではないかと感じてしまいますし、実際、近世史の専門家はそのような見解を主張するのが通説的だったようです。
しかし、実際は各地のルール、とりわけムラの狭い共同体の中でのルールが生活全体を自律的にコントロールしていたのではないかと思っています。それは都市計画法や建築規制が戦前東京市を中心に大都市圏の範囲での適用にとどまっていたことも関係すると思います。戦後の都市計画法でも用途地域制や容積率・建ぺい率が適切な土地利用規制基準として有効に働いていなかったと思います。とりわけ農村など地域では、大都市圏で一般に見られるように、容積率・建ぺい率の限度一杯を使い切ることを「有効利用」だとして使う例は一部の例外を除きほとんどなかったのではないかと思います。
まさにローカル・ルールが厳然として存在してきたのではないかと思うのです。それ自体が地域の歴史・文化・コミュニティを維持する重要なメカニズムだったのではないかと思うのです。空き家問題も、法的規制は背後に機能する形にして、大島氏のような能動的・積極的な空き家対策を提唱・実践する作業を支援することこそ、地域に適合する施策ではないかと考えています。
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