88グリーンビートル

活動内容や、案内

武家屋敷 野村家庭園

2018年08月31日 | 日記
【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見る

武家屋敷跡 野村家の庭園

金沢に来たら是非訪れたいと思っていた庭があります。

アメリカの庭園専門誌が、毎年日本の庭園をランク付けをしていますが、足立美術館の日本庭園(足立美術館)、桂離宮に次いで、13年連続で3位にランキングされてきたのが、この野村家の庭園なのだそうです。














兼六園をでてから、テクテクと長い道のりを歩いて、長町という、一帯が武家屋敷の保存地区とされている場所にたどり着きました。なかなかいい雰囲気の中に、野村家の庭園はありました。











入場料を払って、2階の茶室から、抹茶をよばれながら、庭を拝観しました。

旅館などにあるような、こじんまりとした典型的な美しい日本庭園でしたが、日本で三番目に入るほどの庭なのかどうか、正直私にはわかりませんでした。

数寄屋造りの建築や、地域一帯の雰囲気なども加味されて、アメリカ人に好感をもたれたのかもしれません。


【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見る


庭師のブログ(31) 縄文時代

2018年08月24日 | 日記
【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見る

(第31話) 縄文時代 東京国立博物館特別展に行く



遠い昔、中学で日本の歴史を習った。

木の実を採取したり、貝を拾ったり、動物を狩ったりしていた縄文時代が1万年ほど続いた後、稲作文化を携えて大陸から日本列島にやってきた、農耕騎馬民族が、縄文人にとって代わり、弥生時代を築いた。やがて村ができ、権力者が生まれ、日本の歴史が記録に残り始める。

授業としてはつまらなかったが、今思うと、たいへん面白い時代だったと思う。



縄文式土器というのは、粘土にそこら辺の余った縄を押し付けて模様らしきものをつくったと習ったが、どうしてどうして、模様つくり用のためのしっかり編んだものだったらしい。しかも、縄目はともかく、その土器にほどこされた装飾やデザインはすばらしく、縄文人はすべからく芸術的センスを持った人種だった。日本人が、どことなく秀でているのは、この縄文人の血を引いているからかもしれない。

土器の他に、埴輪と土偶がある。

土偶の中で有名なのが、特別展のシンボルに使われた「遮光器土偶」である。片足が欠けたまま出土したものだが、何体か出てきた中で、素人目にもこれが一番いい。

この遮光器土偶は、東急ハンズなどで、ミニレプリカとして売られているのを見たことがあるが、元々の寸法が40センチ足らずなので、ミニチュアと言ってもそれほど小さくしたわけではない。だから、机に飾るにはいいが、庭に据えるには小さい。

ところが2年前のある日、施主さんが昔手に入れたこの土偶をもってきて、これを庭の中に置いてほしいという依頼があった。足はないけど、大きなものだった(写真)。


その後、インターネットなどでいろいろ調べたが、この遮光器土偶より大きなものを製作、販売しているところがなかった。

【記事一覧】 記事一覧を見る/ 【庭師のブログ】 庭師のブログを見る