88グリーンビートル

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庭師のブログ(11) 彦根城石垣

2016年04月26日 | 日記
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(第11話) 彦根城石垣 (2)

彦根城の城下町には、ヒコニャンが、いっぱいいる。キティーちゃんに兜をつけたような彦根のキャラクターで、土産物屋で売られている小さいのもあれば、お城の中を歩いているヒコニャンもいる。ヒコニャンの歌まであって、あちこちから聞こえてくる。彦根を訪れた人も、知らず知らずに、口ずさんでいる。のどかないい町である。





さて、私たち庭師がつくる石垣は、せいぜい敷地と道路との高低差を、石を使って土留めする程度で、お城の石垣とは、規模が違う。

土留めの石垣は、崩れ積みが多い。日本独特の積み方だと聞いたことがある。石と石の間から、2段目の石を、重心を後ろに持っていくようにのぞかせる。石が噛みあっているので、名前とちがって崩れない。

崩れ積みはゴロンとした川石を使うことが多いので、いくら上手に積んでも、あちこちに隙間ができる。その隙間にサツキなどを植えておくと、感じよくまとまるのである。

しかし、お城となると、そうはいかない。堀をつくり、石垣を高く積むのは、敵が容易に侵入できないようにするためで、石垣を急勾配にし、壁面を平らにして、敵をよじ登りにくくするのである。このように石の平らな面をだして積むのが、野面(のずら)積みである。これが崩れ積みだと、階段を登るようなもので、敵は四方八方から群がって攻め上ってくる。上から矢を射かけても、敵は岩陰に隠れることができるので、なかなか防ぎきれない。

戦国時代から江戸時代初期に、もうこの野面積みの技術は完成していたみたいで、地震などで壊れた石垣は、近年修復された箇所だったという話もあるくらい、昔の技術はすごかったらしい。近江の国の石工集団、穴太衆(あのうしゅう)は、特に抜きんでていたそうで、以前造園組合の旅行でも、穴太衆が積んだとされる寺院の石垣を見に行ったことがある。

その穴太衆が手掛けた彦根城の石垣をみるのが、今回の目的であった。

自分なりに、いくつかの疑問点を用意し、丹念に見て歩いた。

コンクリートのない時代に、よくあれだけの高い石垣が積めたと、ふつうみなさんは考えられるのではないかと思うが、少なくても私は庭師の端くれなので、その辺りはだいたいわかる。セメントに頼る石垣はもろい。

今回の地震で、熊本城の石垣が崩落したが、崩れるはずのない石垣が壊れたということは、それだけの大きな地震がここ400年間なかったということなのだろうか。しかし、石垣の上に植栽した木が大きくなって、根が石垣を押している例はよくある話なので、それも遠因になっているかもしれない。

ともあれ、食事もとらず、精力的に石垣をみてまわった甲斐があり、彦根城の石垣の仕組みが見えてきた。野面積みの極意を伝授されたような気分になったところで、鐘楼の隣にある「聴鐘庵」で、お茶を一服いただいた。石垣の旅、唯一の贅沢である。

帰路の車中で一句。

彦根城 夕焼け空に こだまする ヒコニャン ヒコニャン ヒコニャンニャン ♪ (才能ナシ)






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庭師のブログ(10) 彦根城石垣

2016年04月17日 | 日記
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(第10話) 彦根城石垣(1)



お城といえば、小さいけれどわが尾張旭にもひとつある。私たちは旭城といっているが正式な名前は知らない。今から30年ほど前に森を切り開いて、建てられた。毎年桜祭りなどで、結構市民から親しまれており、私もお茶会などでなんどか利用させていただいた、私個人にとっては、ありがたいお城だった。

ただ、郷土史家の人たちには不評であったと聞いている。もともとお城などなかった土地に、城を建てたというのがその理由である。まあ、知らない人が見れば、確かにお城の形をしているので、戦後復元したと思うかもしれない。

時を同じくして、隣の日進市にもお城が建てられた。岩崎城である。

こちらは実際にあった城で、小牧、長久手の戦いで名を馳せた、「その時歴史は動いた」級の、小さいが由緒あるお城である。

そして、今日。

午前中は雨の予報だったので、仕事は休みにして、彦根城に行ってきた。ほんとうは、京都石垣の旅の続きをしたかったのだが、最近城の石垣に興味がでてきて、世界遺産の候補でもある彦根城の石垣に触れてみたいと思った。

たくさん歩くことになるので、途中でお腹がすかなくていいように、養老サービスエリアで、10時過ぎ早めの昼食を済ませた。




彦根城庭園 玄宮園



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庭師のブログ(9) 蚊

2016年04月10日 | 日記
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(第9話) 蚊

世の中になくてはならない生き物がいるとしたら、私は蚊を一番に推挙する。

もし、蚊がいなかったら、人間はとうの昔に滅んでいた、という説がある。人間が、森をどんどん侵食し、自然を破壊しつくした挙句、荒涼とした砂漠のようになって、地球は死んでいく。その人間の侵入を食い止めてきたのが、蚊であったと、その人は言っている。

グァム島から28年ぶりに生還した、横井庄一さんが、それまで住んでいた洞穴の近くを新聞記者と一緒に訪れた話が興味深い。全身の肌が黒くなるほどの蚊が身体に群がってきたそうである。

私の体験。

高校生の私は、ウラクロシジミという蝶をとりに比良山系の沢を登っていた。道に迷って、谷から崖をよじ登り、何とか木の生えている斜面にたどり着いたときは、陽も落ち薄暗くなっていた。谷に転がり落ちないよう、木に体をしばりつけて、一晩野宿をした。その時は、小さな遭難を楽しんでいた。

ところが想像してなかったことが起こったのである。どこにいたのか蚊が次から次へと襲ってくる。およそ人間などめったに来ないこんなところで、蚊はどうして繁殖してきたのかと、そんなことを考えて、眠れぬ夜を過ごした私は、明け方早々に山を下りた。期せずして、蚊は私を撃退し、ウラクロシジミを守ったのである。

私も蚊は好きでない。人間、痛いのは我慢できるが、かゆいのは我慢できない。そこで剪定作業中は、蚊取線香の渦の先端と、真ん中の芯の両方に火をつけ、腰にぶら下げて作業をする。モウモウと煙が出るので、さすがに蚊はやってこないが、作業着が燻製のようになる。

どうして蚊はやってこないのか。除虫菊の粉末だけでは効き目がないので、たぶん何かが混ぜてあるのだろうと思っている。問題は、その煙を吸っている人間の方であるが、蚊と人間の体積比は、何十万倍も違うのでそれほど心配しなくてもいいのかもしれない。


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庭師のブログ(8) 雑草

2016年04月04日 | 日記
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(第8話) 雑草






昭和天皇のお言葉の中で、雑草という草はない、草にはみんな名前がついていて、それぞれ好きなところを選んで生えている、と話されたとか。

万葉の植物を勉強しておられる方から聞いたのだけど、日本人は飛鳥、天平時代の昔より、目にするすべての植物に名前を付けて、親しみをこめて歌を詠んでいた、世界でも比類なき人種なのだそうだ。

そこで、庭の話に移るのだが、残念ながら、庭には勝手に生えてほしくない植物がある。それらを称して私たちは雑草と呼んでいる。限られたスペースの中で、好きな花や植物に囲まれて過ごしたい、言ってみればそのための庭で、雑草は招かざる草たちである。さあ、雑草君たちもここにきて、生えなさいという寛容な心にはなれないのである。

実際、雑草を放置すると、写真のような有様である。背の高くなった草は枯れ、見苦しく横たわっている。今はやりの、ビフォー アフター式でお見せすると写真のようになる。取り除いた草の陰から以前の花壇の縁取りが現れた。ちょっと手直しして、雑草の生えない土工事をしたのが下の写真である。

驚いたことに、この庭は、防草シートを敷いて、その上に砂利が撒かれていた。一応防草対策がされていたのであるが、それが風化したシートを突き破り、雑草の生え放題となってしまったのである。私たちの使うシートと違って安物が使われていたが、それでも耐久年数が少し違う程度で、同じ問題がこれから起こりうることが考えられる。新しいものは10年様子を見ないと、使わないというのは、真理である。


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庭師のブログ(7) 夢はこうして作られる

2016年04月04日 | 日記
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(第7話) 夢はこうして作られる

行きつけの床屋で、散髪をしてもらっているうちに、いつものことだけど、寝てしまった。そして、夢をみた。夢の中でも、散髪してもらっていた。

夢の中と、夢の外で、同時に声がした。はい、終わりました。 ???

一昨日、明け方に夢を見た。私は、高さ14mのゴヨウマツに上り、一人で剪定している。大きく張り出た枝が重なるようにいくつも伸びていた。このマツを一日半で仕上げなくてはならない。到底不可能とも思える仕事を、私は必死でがんばって、やり終えた。

肩と腕が痛い。とうとう腱鞘炎になってしまった。これで半年はハサミが持てないなと、がんばったことを悔やんだ。いつの間にか目がさめていたのだが、その境目がよくわからない。腕の痛みはずっと続いている。

しばらくして、これは夢だったと思った。そのときになって初めておかしいことに気が付いた。夢の中で無理をして腕を痛めたことはよく分かったけれど、夢からさめたのにまだ痛いのはどうしてなのか。

私が思うに、人間の脳には夢をつくるところがあるのではないか。

私の仮説。

私が右腕を下にして、たぶんねじったような格好で寝てたので、腕に重さがかかって、その痛みが脳に伝わった。脳は、腕からの痛み報告を受けて、さっそく夢つくり委員会のようなものを立ち上げる。何兆個あるか知らないけれど、腕の痛みに関する記憶を持つ細胞を探し出す作業に入る。

脳細胞A君の話。本人は、飛騨の禅昌寺の境内にある、高さ14mの美濃ゴヨウに上って作業をしたことがある。

脳細胞B君の話。本人の先輩庭師は、暮れの30日まで仕事をして、そのあと正月はゆっくり休むつもりだったが、どうしてもという知り合いに懇願されて大晦日に仕事をした。その余分の一日の無理がたたって、腱鞘炎になり、半年間ハサミが握れなかった。

委員会では、その二つの報告を中心に、ストーリーを瞬時につくりあげた。これが、私のみた夢である。

夢の中でも仕事をしている、働き者の庭師の話でした。


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