太った中年

日本男児たるもの

ネネ妻、その後

2011-05-02 | weblog

まったく気分はローリングストーン。

米屋閉店後、ネネ妻がどうなったか、についてエントリーする前に今一度、ネネ(我儘な幼い女の子の意)を復習すれば、それは家族のために働き、家族のボスとして君臨し、唯我独尊、傍若無人に振る舞うことである。

さて、米屋開業の後、妻は過剰仕入れのミスを犯して失敗、カラオケ店に勤めたが、そこでホステスとしてのピークを過ぎ、子持ちのオバサンであること実感する。そして再度、日本のフィリピンパブで働くことを画策するワケだが、この間、米屋は実家から母親を呼んで手伝わせる。このときからネネ妻として暴走したのだ。

わがまま勝手な振る舞いの例を上げればキリがないが、まず、ネネ妻は床屋の2階が気に入らず引っ越ししたいと申し出た。リビングとトイレは共有であるためそれが嫌だという。そんなことは相手にしなかった。そしてジャパゆきが決まり、米屋閉店した後、何処ぞの高層コンドミウムの一室を借りて床屋の2階を出て行った。

妻の家出とジャパゆきに夫プリンスは歓迎した。トチ狂ったネネを相手にしたくない、つーよりも相手にすればネネは増長するだけで、それは結局ネネ自身のためにならい。ネネは相手にせず、放って置く、無視することがネネにとってよいことなのである。ネネ妻の家出にホッとしたのは隣人のミコちゃん、ドームス、さらには叔母さんだってそうだ。それだけネネはフィリピン社会にとって訝しく、疎ましい存在なのである。

そうして妻は2月、日本へ旅立った。ところが3月末に突然帰国した。震災の影響かな、と思いきや妻曰く、ホステスではなくお店のマネージャーに昇格、タレントをスカウトする仕事で来たそうだ。凱旋帰国なのだ。

今更、タレントのスカウトもネーだろ、つーことはさておき、妻は実家から母親と娘を呼び寄せた。

でまあ、パサイにあるウェンシャ・スパつーサウナへ妻、母、娘の4人で行って来た。

母親が帰省したあとのホーリーウィークもほぼ毎日、妻と娘を連れてウェンシャへ行った。

それは家出した妻との関係改善を諮ったつーことではない。ネネはそんな生易しいものではない。

以前にも記したがネネ妻による最大の被害者は無抵抗な娘である。娘が何か気に入らないことをする、例えばあやしてもなつかない、そのときネネ妻は娘を怒鳴るのである。日本で一緒にいるときはまだ1歳数ヶ月の言葉もわからないわが子に対してである。恐怖に怯える娘は泣き叫ぶ。そんなことを時として繰り返すのだ。

母親は妻が娘をいじめることに対して何も注意できない。これは家族のボスであるネネの逆立した家族関係によるもので、傲慢不遜なネネを認める限り母親もネネの被害者であって加害者、共犯関係なのである。

ネネは精神的に病んでいる。娘へのいじめもそれが愛情だと思っているから注意しても自覚出来ない。

現在、別居している妻と娘とはほぼ毎日会っている。娘が会いたがる。それはネネによって傷ついた心がそうさせる、不憫でならない。娘へのいじめを幾度となく注意しているが、妻はいじめを認めようとはしない。しかしなつかない娘つー自覚があるから注意する都度、妻は泣いて後悔する。疲れますよ、ホント。

娘は2歳を過ぎて言葉を話し始め、とてもかわいいのだ。妻も普段は母子関係に注意を払い愛情を持って子育てをしているが、それでも時折ネネの顔を覘かせる。そのときはとにかく相手にしてはイケナイのだ。

それから今年になってブログの更新が途絶えたのは妻の家出によって久々の独身生活を堪能していたからだ。そのことについてはもちろんエントリーなんかしない。楽しみは心の中に閉まっておくものだ。

次回から少し食い物のエントリーをする。食う、寝る、ヤルは人生の基本なのだ。