私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

左柿常円の語る高松城水攻め

2010-09-04 15:58:32 | Weblog
 「清水宗治切腹す」
 これで、高松城を中心とする秀吉方と毛利方との戦いは終結します。
 堤は切り落とされ、六千人の命は救われたのでした。勿論、鼠や蛇たちもです。大団円の結末だったようです。そかし、ここに一つだけ疑問点が残っているのです。それはこの堤の何処の部分を切り放したかという点です。中央の部分であったのか、それとも一番低い位置する東の端の部分かと云う言う事です。未だに、それが分かる証拠となる書き物が出でこないのですから、分からないのが当たり前です。此の佐柿常円の物語にでもと思ってみたのですが、ここにもやはり何処を切り放したかは書かれてはおりません。
 ただ、それには
 「彼堤を切てはなさせ其儘引取成られ候へば、俄に毛利家の陣所との間大海の如くに成て、たとひ追討の心ありても何ともすべき様なき事にてありしなり」
 と、記しています。
 これからだと正確な切り落とし場所の判明は不可能ですが、推測すると、やはり門前の取り入れ口辺りの堤を切り放したのではないかと考えられます。もし、この堤の中央辺りや東の端だったと仮定すると、ここに書かれている毛利家の陣処との間には大海原は出来ないと思います。その大海原の出現を見越した堤切りが行われたのでしょう。
 「もし毛利家が約束を違えたら」と、そんなことは決してありえない事にまで、思いを巡らしながら、より確実に、作戦を展開させた秀吉と云う男の戦術の確かさには驚かされます。
 これは六月五日の午前中に為されたと思われます。