湯浅常山は曾呂利新左衛門の頓智を4つ紹介しています。その4番目ですが、此のお話は、これまで私は、読んだことも聞いたこともないものですから、ひつこいようですが、書いておきます。
かって太閤は沢山の金や銀で蟹を作らせて、庭の泉水やその周りに置いて楽しんでいたのだそうです。ところが、その内に此れに見飽きて、近習の者に、
「使途をはっきりさせた者には之を与える」
と、申されたのだそうです。
「紙押にいたします」
「私は金の茶釜の蓋も持ってはいません、せめてこれで持って其の蓋つかみにいたしまする」
等、てんでに、なにやかやと理屈をつけて言っては一つずつ貰って帰っていたのだそうです。
ところが、それを聞いて新左衛門は、早速、太閤に謁見して申上げたのだそうです。
「臣は、人が相撲を取るのはもう見飽きてしまいました。此の蟹を集めて相撲を取らせますゆえ、是非に頂けたらと思います」
と。
「相撲を取らすともなれば、一つや二つでは話にならんじゃろうから。全部持って行きなさい」
と、太閤。結局、新左衛門が残った金銀の蟹を全部貰ったのだそうです。
まだまだあったのではと、思いますが、常山はこの四つを紹介しています。
これら四つの、曾呂利新左衛門と太閤との間に交わされた、頓智話は、総て、金銭に関わる経済的なものばかりです。
曾呂利新左衛門と云う人は、現在では、実在の人物ではないといいのが通説のようです。そうすると、ひょっとして、此の物語を作った人??は、この世の中に有りもしない「曾呂利」と云う名前をひねくり出して、架空の人物として仕立て上げ、秀吉の集めたものすごい財貨や財宝に対して、第三者的におもしろおかしゅう、秀吉の金銭欲と云うか、それも含めて、豊臣政権の全経済政策を痛烈に批判した書き物ではないのでしょうか。
そうでなかったならば、此ません。また、そんなことぐらい、あの用意周到で賢明な秀吉が見抜けないはずもありません。全部「お前に遣わす」なんて言うはずがありません。
草履取りから成り上り、太閤にまでなった秀吉の我欲の強靭さを、新左衛門の姿を通して、示しているのではないでしょうか。
そんな風に、此の頓智話を、私は勝手に想像しているのですが。
そんな架空の人物であったことを知りながら、「紀談」に取り上げた常山の心はどこに有ったのでしょうか。
もしかして、歴史上の人物たるものは、総て、此れ実話ではなく、架空の人物も沢山含まれているのだ。だから、十分、気をつけて読むのが本当の歴史家なのだと言う事を、このお話から、教訓として取り扱ったかもしれないと、聊か、常山に味方した読み方もあってもいいのではと思ったたりもしています。
かって太閤は沢山の金や銀で蟹を作らせて、庭の泉水やその周りに置いて楽しんでいたのだそうです。ところが、その内に此れに見飽きて、近習の者に、
「使途をはっきりさせた者には之を与える」
と、申されたのだそうです。
「紙押にいたします」
「私は金の茶釜の蓋も持ってはいません、せめてこれで持って其の蓋つかみにいたしまする」
等、てんでに、なにやかやと理屈をつけて言っては一つずつ貰って帰っていたのだそうです。
ところが、それを聞いて新左衛門は、早速、太閤に謁見して申上げたのだそうです。
「臣は、人が相撲を取るのはもう見飽きてしまいました。此の蟹を集めて相撲を取らせますゆえ、是非に頂けたらと思います」
と。
「相撲を取らすともなれば、一つや二つでは話にならんじゃろうから。全部持って行きなさい」
と、太閤。結局、新左衛門が残った金銀の蟹を全部貰ったのだそうです。
まだまだあったのではと、思いますが、常山はこの四つを紹介しています。
これら四つの、曾呂利新左衛門と太閤との間に交わされた、頓智話は、総て、金銭に関わる経済的なものばかりです。
曾呂利新左衛門と云う人は、現在では、実在の人物ではないといいのが通説のようです。そうすると、ひょっとして、此の物語を作った人??は、この世の中に有りもしない「曾呂利」と云う名前をひねくり出して、架空の人物として仕立て上げ、秀吉の集めたものすごい財貨や財宝に対して、第三者的におもしろおかしゅう、秀吉の金銭欲と云うか、それも含めて、豊臣政権の全経済政策を痛烈に批判した書き物ではないのでしょうか。
そうでなかったならば、此ません。また、そんなことぐらい、あの用意周到で賢明な秀吉が見抜けないはずもありません。全部「お前に遣わす」なんて言うはずがありません。
草履取りから成り上り、太閤にまでなった秀吉の我欲の強靭さを、新左衛門の姿を通して、示しているのではないでしょうか。
そんな風に、此の頓智話を、私は勝手に想像しているのですが。
そんな架空の人物であったことを知りながら、「紀談」に取り上げた常山の心はどこに有ったのでしょうか。
もしかして、歴史上の人物たるものは、総て、此れ実話ではなく、架空の人物も沢山含まれているのだ。だから、十分、気をつけて読むのが本当の歴史家なのだと言う事を、このお話から、教訓として取り扱ったかもしれないと、聊か、常山に味方した読み方もあってもいいのではと思ったたりもしています。