常山紀談にある曾呂利新左衛門のお話、あんまり長いのもと思って、これで終わりと思っていたのですが、またもや、新しいニックネームを付けてさし上げたのが、気に入ったのかどうかは分かりませんが、次のようなメールが飛び込んでいました。
「おめえが言うように、新左衛門の名を借りて、秀吉の金銭欲を批判したんじゃねえかと云う話ぐれえ下らんもんはねえぞ。まあ、そんなことをくどくどと、おめえさんに言うてもしょうがねえけえど、ひねくれ男のひとり言ぐれに思うてこらえてやらあ。まあそれはそうとして、曾呂利新左衛門といやあ、おめえも、こげえな話は聞いたことがあろうがな。例の通り、秀吉が新左衛門に言うたそうな。
「何でも言え、褒美を取らす」
そこで新左衛門は
「では申します、一日目には畳一畳に1粒、次の日には2粒、その次の日には4粒というぐええに倍々にして、この大広間100畳の畳分だけ米を頂きたい」
と。
太閤は「たいしたこたあねえ。おめえは欲がねえ」と云うたんだそうな。
さて、おめえさんに尋ねるんじゃがな。100畳目の畳には、いってえどれだけの米粒がはいると思う。分からんじゃろうが。おせえてやらあ。
1267650600228229401496703295375粒になるんじゃと。読み方が分からんのじゃが、そんなことを物の本にけえてあったんじゃ。万、億、兆、京ときて、次が垓、杼、穣とつづくんじゃ。でえぐれえな数に成るんかわからんぐれえ、ぼっけえ、ぎょうさんなかずになるんじゃと。此の話、とどのつまり、太閤は謝って他の財宝でこれえてもろうたんじゃと。湯浅常山ともあろうもんが、どうじて此の話をとりあげなかったんじゃろうかな」
と云うのです。1267650・・・・それをどう読むのでしょうかね。そして、実際に、どれくらいの量になるのでしょうかね。
まあ、私も、この読み方さへ分からんような天文学的な数字を見て驚いています。そんな意味からも、筆景氏に敬意を示して、ご紹介しておきます。
なお明日からは又、常山紀談へ戻ります。
「おめえが言うように、新左衛門の名を借りて、秀吉の金銭欲を批判したんじゃねえかと云う話ぐれえ下らんもんはねえぞ。まあ、そんなことをくどくどと、おめえさんに言うてもしょうがねえけえど、ひねくれ男のひとり言ぐれに思うてこらえてやらあ。まあそれはそうとして、曾呂利新左衛門といやあ、おめえも、こげえな話は聞いたことがあろうがな。例の通り、秀吉が新左衛門に言うたそうな。
「何でも言え、褒美を取らす」
そこで新左衛門は
「では申します、一日目には畳一畳に1粒、次の日には2粒、その次の日には4粒というぐええに倍々にして、この大広間100畳の畳分だけ米を頂きたい」
と。
太閤は「たいしたこたあねえ。おめえは欲がねえ」と云うたんだそうな。
さて、おめえさんに尋ねるんじゃがな。100畳目の畳には、いってえどれだけの米粒がはいると思う。分からんじゃろうが。おせえてやらあ。
1267650600228229401496703295375粒になるんじゃと。読み方が分からんのじゃが、そんなことを物の本にけえてあったんじゃ。万、億、兆、京ときて、次が垓、杼、穣とつづくんじゃ。でえぐれえな数に成るんかわからんぐれえ、ぼっけえ、ぎょうさんなかずになるんじゃと。此の話、とどのつまり、太閤は謝って他の財宝でこれえてもろうたんじゃと。湯浅常山ともあろうもんが、どうじて此の話をとりあげなかったんじゃろうかな」
と云うのです。1267650・・・・それをどう読むのでしょうかね。そして、実際に、どれくらいの量になるのでしょうかね。
まあ、私も、この読み方さへ分からんような天文学的な数字を見て驚いています。そんな意味からも、筆景氏に敬意を示して、ご紹介しておきます。
なお明日からは又、常山紀談へ戻ります。