先日、「パウル・クレー展」に行きました。
静かで、あたたかい感じのするクレーの絵。
色彩にも、線にも、こどものころ遊んだときのような、
わくわくする気持ちが宿っているような気がする。
もともとクレーを知るきっかけになったのは、
ヴァルター・ベンヤミンという人の書いた
「歴史哲学テーゼ」という文章を、何年か前に読んだことでした。
その文章の中で、ベンヤミンがクレーの「新しい天使」という絵について書いているのです。
タイトルこそいかめしいですが、
いわゆる「学術的な文章」というものに
激しいアレルギー反応を持っていたわたしにも、
すぅっと胸の奥に入ってくる文章でした。
「なにかわからないけれど、ここにはなにかある」
と思えました。
そして、クレーの絵を見たときにも同じような感覚を持ちました。
ひとによって違うのだとは思いますが、
少なくとも自分は、
文章にしろ、絵にしろ、
「わかる/わからない」ではなく、
なにか響いてくるものがあるかどうかで
好きかどうかを決めている気がします。
この感覚は、大切にしたいなと思っています。
静かで、あたたかい感じのするクレーの絵。
色彩にも、線にも、こどものころ遊んだときのような、
わくわくする気持ちが宿っているような気がする。
もともとクレーを知るきっかけになったのは、
ヴァルター・ベンヤミンという人の書いた
「歴史哲学テーゼ」という文章を、何年か前に読んだことでした。
その文章の中で、ベンヤミンがクレーの「新しい天使」という絵について書いているのです。
タイトルこそいかめしいですが、
いわゆる「学術的な文章」というものに
激しいアレルギー反応を持っていたわたしにも、
すぅっと胸の奥に入ってくる文章でした。
「なにかわからないけれど、ここにはなにかある」
と思えました。
そして、クレーの絵を見たときにも同じような感覚を持ちました。
ひとによって違うのだとは思いますが、
少なくとも自分は、
文章にしろ、絵にしろ、
「わかる/わからない」ではなく、
なにか響いてくるものがあるかどうかで
好きかどうかを決めている気がします。
この感覚は、大切にしたいなと思っています。