ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

3ケ月点検

2012-01-11 08:43:18 | 釣り
退院後は、3ケ月ごとに腫瘍マーカーなど大腸がんの再発の有無を点検しながら日を送ることになります。もう一つは、脳梗塞再発予防ですので、しばらく気が許せない日々でしょう。ことに外は厳寒の季節ですので慎重にいこうと思っております。

研究者や医師は、専門にしている疾患にかかるとよく言われます。私は内科の中でも循環器系を、それも高血圧の診療と研究に重点を置きました。初代の循環器内科教授から、「高血圧自然発症ラット」の継代飼育を引き受けてくれと依頼され、北海道で初めてこのラットを導入しました。その後、大学院の出身講座に移り「脳卒中易発症高血圧ラット」の研究に取り組みました。

基礎の教室で研究を、循環器内科では週1で高血圧外来の診療を続けておりました。それが、かくれ脳梗塞になってしまいました。これも因果などと深刻になりすぎますと、却ってストレスとなり脳虚血発作の再発を招くことになります。暖かくなったなら釣り場で気をまぎらすことができるものと思っております。

写真は、まだ変色のあるポートですが、1年位は再発率が高いので、その時の為に月に1回の割合でヘパリン生理食塩水を通さねばなりません。これができる病院で通院し3ケ月点検に大学病院に通うということになりました。

保険は誠意

2012-01-10 07:45:18 | 釣り
火災保険や自動車保険は、同じ損保に50年近く続けて入っております。代理店の方とも50年の付き合いで誠意のある方なので任せております。産まれて初めて手術などで保険のお世話になりました。種類や会社によって、いろいろです。詳しいことは、自分の入っている会社の保険の種類をよく調べて下さい。以下は、私の経験ですが、担当者の誠意がキーポイントです。

生命保険は、いま入院している内科に勤めていた時、勧誘しに来た会社に40年以上続けて入っております。担当者は同じ方を長く続けさせない会社の方針でしょうか、医療保険は前には生命保険の特約事項でしたが、いまでは独立し3週間続けて入院という足かせも最近とけました。3日間の検査入院にも出るのを知らないのか、こんなのにもでるの?と対応の良くない担当者の誠意の無さが気になりました。

がんになって手術し入院してつくつく有り難かったのはがん保険です。がんの診断、検査、治療という制限がありますが、診断書を送って東京の係の方と話をしたあと、すぐに入金になりました。医療保険の担当者とは大違いで、慣れた安心感のある対応でした。がん保険は50歳の誕生日以来、全く保険の意味で掛けておりましたが、がんになったのは不本意なことでした。

40年ほど前、釣り会の仲間が大平川左の平盤で波にさらわれ亡くなりました。寿都に通よい、漁師の方、警察署や消防署の方にはお世話になりました。この時に、釣り保険の重要性を認識しました。それ以来、極力平盤での釣りは避けるようにしております。釣り具によりも遭難費用などにかけておりますが、最近は釣り保険を扱う会社が少なくなりました。なお事故後、この釣り会を抜けました。

臍ヘルニアに注意

2012-01-09 07:36:16 | 釣り
大腸がんの術後の合併症では、暴飲暴食などが原因の腸閉塞が術後1ないし2ケ月に多発するようです。K子先輩に見習って消化のよくない好きなそばやラーメンもしばらく口をつけないようにしております。きんぴらごぼうが夕食に出ましたが、ゴボウは一口だけにしてよけてニンジンを選んで食べていました。

病室から見える空は、「ほんとうの空はない」と、智恵子も嘆くような狭い空間です。退院に先立って、外科を受診し今後の相談をしました。大腸がんの術後の時期に相当してかくれ脳梗塞を発症した話をすると、合併というよりも、高齢だし高血圧もあるリスクファクターの持ち主なんだからたまたま起こったと解釈した方がいいよ、大腸がんも多いし、脳梗塞も多い。特殊な病気と考えない方がいい、と諭されました。術後に血便が出て落ち込んでいる私に「窓の外を見てごらん、虹が出ているよ。手術の時腸管内に残った血がでてきたの、いいことの前兆だよ」と言って慰めてくれました。患者の気持ちを察知して発想の転換の素早い外科医だと感心しています。脳梗塞は独立したものと私も思っていました。

腫瘍外来は、外科から内科に移ったので3ケ月点検などは内科で行うようにと指示されました。ただし、ガスが出ないとか、強い腹痛や嘔吐など急性腹症の場合は外科になるから、いつでも連絡してとも言われました。職場復帰は、自信がついたらいいでしょうとなり・・

次いで、除雪したり、除雪機を動かしたりはどうでしょうと伺いました。「前に話しましたように、ゴルフはパターだけ、大物釣るのは半年位経ってから、と言いました。臍を長く広げて3本の腹腔鏡を突っ込んだ手術をしていますので、腹圧をかけると臍から腸が飛び出す臍ヘルニアを起こす心配がありますので駄目です」と、あっさり言われました。「ヘルニア予防に、あなたの臍には5円硬貨では役に立たないね、500円硬貨を貼って雪かきをしたら」と馬鹿にしているカミさんや婿さん、ご近所さんに今年の雪かきは負担をかけることでしょう。


ワーファリン対応電動シェーバー

2012-01-08 07:46:02 | 釣り
婿さんが、私がワーファリンを服みだしたので、普通のカミソリでは危険だと自分が毎日使っている電動シエーバーと同じものを購入し届けてくれました。切ると血が止まらなくなるというのを読んだのでしょう。

船釣りの電動リールもそうですが、電動カミソリ、電動歯磨きなど、電動ものはすぐにいいものが出てくると手をつけなくタイプなのですが、一寸ひげをあたってみて過去に使ったものとは一味違うようで長続きしそうな感じがします。流水でさっさと洗ってその辺に放置しておくと乾きますので扱い易いのですが、充電したり、洗ったりしたあとの始末が面倒そうなので微妙な感じですね。

職場が小樽ですので6時台には整容と食事を済ませておかねばなりません。顔を洗い、ひげを剃り、アフターシェーブローションを塗って歯を磨く、少ない髪の毛を整髪する、薬をのむなど朝の忙しい合間に一連の作業をこなしていきます。使わなくなって、娘を悲しませないように、職場復帰の為の最初のリハビリは電動シエーバーと一連の流れ仕事の練習です。

起床は6時ですが検温して寝て血圧測定を待っていると無駄な時間が流れます。看護師によって廻って来る部屋の順番が違い速い遅いで45分間のタイムラグが生じています。待っていると腹が立って血圧が上がりますので、退院までは自分のペースで朝の整容の練習を進めています。

いとおしいもの

2012-01-07 07:35:43 | 釣り
退院の予定が11日に決まりました。週明けの10日をすすめられたのですが、仏滅ですので、いろいろなことが続き気持ちの弱くなっている私は、翌日の1並びの縁起の良い大安にして貰いました。思いは同じなんでしょう。私の退院を待って、次の患者さんが入院します。昨日採血した結果も間に合うとの読みもありました。

このような気持ちは病気になって心細い思いをしたもの同志では相通じるものです。同病のK子先輩が、外科で診察を受けた帰りに寄り、「私もそうするわ」と同調してくれました。先輩は、術後3ケ月を過ぎていますのに、まだ慎重にそばもラーメンも食べておりません。いつも腸の調子を心配して食事をしているようです。

ガスが奈辺に存在してどちらに向かって移動しているかも分かるという話からはじまって、回診にきた先生がガスが出ましたか、○○ちはどうですか?と心配してくれるのは外交辞令ではなく、真面目な問いかけだと二人の声が高くなるのを一緒に見えた旦那は苦笑し、奥様が私と○○ちの話で盛り上がっているのにはあきれておりました。

「○○ちは、本当にいとおしいですよね~」にも賛同してくれました。この思いは、腸をつなぐ手術を受けたものの共通の思いと存じます。お正月だから、釣り雑誌よりもと、思ってとK子さんが置いていってくれた週刊誌です。表紙がいいですね。



マイアミからの梅が芽を

2012-01-06 08:37:19 | 釣り
年末、自宅に届いた梅が芽を出したとカミさんがメールに添付してくれました。Emilyさんからのプレゼントです。以前、マイアミの釣り場の写真が送られてきました。向こうは雪が降らないので羨ましいかぎりです。

彼女は、いまマイアミの大学でがん治療のグループと大腸がんの共同研究に励んでおります。彼女は、私の元の職場で抗がん剤の副作用のひとつである嘔吐を抑える新薬の開発の仕事を助けてくれておりました。日本語は、カミさんがボランテイアで自宅で教えておりました。私の後任の教授の指導で学位を得た後、アメリカに渡りました。学位論文は、抗がん剤による嘔吐に対する制吐薬に関するものでした。

人の世は不思議な因縁でつながっております。私は、第一世代と呼ばれるセロトニン拮抗作用をもつ制吐薬の開発に携わりました。オックスフォード大学に、世界各国から25名の嘔吐研究者が招待され数日間発表と討論が続きました。日本からは、私とT大のM先生の二人でした。

私の発表が終わった時、ジィスウエー プリーズと別室に案内され、M先生から大腸がんで母が亡くなったというファックスを渡されました。抗がん剤による嘔吐には、投与後30分ほど経ってから現れる急性期の嘔気、嘔吐のほかに持続し遷延する遅延性嘔吐があります。先日私に使われたのは、私が開発した制吐薬が改良された遅延性嘔吐を修正するもので第二世代と呼ばれています。

2つの爆弾

2012-01-05 09:12:13 | 釣り
たまたま見つかった「かくれ脳梗塞」は「一過性脳虚血発作」を起こしたクリスマスイブからおよそ1ケ月位前に発症しているらしいので、大腸がんの手術後になるのではと思われます。また、一過性脳虚血発作が起こったのは抗がん剤治療1クール中にあたりますが、高齢で高血圧の持病持ちですので、たまたま独立して起こったものと思われます。

1度目の脳虚血発作の際、脳外科の先生からも言われましたが、大腸がんに脳梗塞の合併は非常に稀なもので、それよりも大腸がんの再発の方が頻度が高いから、落ち着いたなら抗がん剤治療を受けたらいいのでは、という話がありました。

はたして、大腸がんの手術後に脳梗塞の合併は、多いのか少ないのか?
平成12年から21年までの9年間、大腸がん患者223例についての福井総合病院の情報開示がありました(http://www.f-gh.jp/seiseki.pdf#search='脳卒中 大腸がん 合併率')。なんと術後の脳梗塞例は1例(0.4%)でした。術後に起こしやすいものではないということがわかりましたが、そのような稀な合併症を発症したわけです。ちなみに、おなじ病期(StageIII)の5年生存率は75.8%でした。非常に丁寧なフォローをされている病院のデーターと感じました。

3日のものは、前の発作の2週間以内ですから急性期にあたります。ワーファリンを服用中でしたので一過性脳虚血発作で済んだと思われます。娘の一声もありましたが、二度目の一過性脳虚血発作が落ち着くころには抗がん剤治療をしても効果が薄れますので止める決意をしたのでした。大腸がんと脳梗塞の二つの爆弾を抱えていますが、好きな釣りには行きますよ。


2度あることは

2012-01-04 08:51:57 | 釣り
2度あることは、で昨晩も同じ左足の違和感が10分ほど出現しました。12日前に一過性脳虚血発作を起こした時に、1ケ月前に起こしたと思われるかくれ脳梗塞が見つかりました。こののち、2度あることは3度目の発作が起こるのでは、といつも気にかけておりました。

それが、ほんの一寸したもので済みましたのは、ワーファリンのお蔭でしょう。手足の後遺症は残っていませんので、少しの間、安静にしていると元に戻っていくでしょう。そういうわけで、しばらくは脳梗塞予防に重点を移さざるを得ないでしょう。考え事をするときのコーヒー、釣り人の描かれたマグカップに替えてスタバーから1ケ購入してきました。

一過性脳虚血発作は収束していないと思います。安定化するまでの期間は長くなるでしょう。今日で術後50日です。術後2ケ月前後と言われる抗がん剤治療のゴールデンタイムを超えていくのは目に見えております。

山形に住んでいる息子の分まで、5分以内に住んでいる娘に、私たちは、いろいろの面倒をかけております。私の手術以来心配で食欲も落ちているようです。「もういいからやめて」の言葉がずっしりと響きました。検査結果がどうあれ、主治医と再発予防の化学療法をやめる相談をします。

思えば思う 思はねばこそ

2012-01-03 10:05:29 | 釣り
昨日1週間続けられたヘパリンの持続点滴が終了しました。ワーファリンの効果が目標レベルに達したからです。しばらくぶりに寝坊して6時半過ぎまで眠っていました。看護師さんも気を遣ってくれて寝かせておいてくれたのでした。血圧も127-73と随分落ち着いております。

「思えば思う 思わねばこそ」という気楽坊(じつは後水尾天皇)の「うた」が今朝のテレビにちらっと出ておりました。妹もアニキは考えすぎだから、どうせ考えるんだったら「大丈夫、大丈夫」でいったら、といいます。正月の売店の店頭に「釣り新」がひとり気をはいておりました。

貧血も正常レベルに近くなり、臍や脳に一寸した傷痕があるくらいで順調に回復しているのだから、次の採血の結果で免疫能が耐えうる状態とお墨付きを得たなら、もう一度は抗がん剤治療を受けてみようということにしました。ただし、入院を続けながらポートを使って十分に観察して貰ってと言う条件でとカミさんも強調しました。

脳虚血発作の後ですので慎重に化学療法の2クール目を受けてみようと存じます。化学療法は、術後1ケ月から2ケ月が最も反応の良い時期です。丁度この時期にあたっておりますので2クールでやめてもそれなりの効果があると解釈しました。私は、母を大腸がんで亡くしております。大腸には類似した素因があるのでは?とも思います。血のつながった者たちへ、役に立つ情報は残したいと願ってもおります。

病室で新年会

2012-01-02 10:11:41 | 釣り
外科を退院した時には、1月2日に家族が札幌に集まって快気祝いの新年会をする予定でした。ところが、内科に移ってポートを造設した次の日から時の勢いで抗がん剤治療が始まりました。自分の気持ちの中では、ポートの抜糸までに化学療法が行われるとは思っておりませんでした。

そのボタンのかけ違いが幸いとなり一過性脳虚血発作の際に後頭葉に術後に起こしたと思われる小さな脳梗塞がみつかり今日にいたっております。夕べ不自然な格好で、消灯後、夜遅くまでTVをみていた為にポートをかばっていた左肩が痛みます。

山形から息子、留萌や北広から妹たちと姪たち、東京から孫、札幌の娘一家と病室に集まってきます。がんも脳梗塞もと大変なんだから、これ以上抗がん剤との戦いまでしないで頂戴。という説得でしょう。今朝の採血の結果で、大体の見通しは出ると思います。先ず、ヘパリンの離脱にはワーファリンによって抗凝固能が至適範囲に達する必要があります。

次いで抗がん剤治療を続けるかどうかに考慮する血液学的データーなどの分析です。息子は仙台の大学で理学博士の学位取得後、ウイスコンシン大で免疫学を学んできておりますので私の免疫能が耐えうるか判断できると思います。カミさんと私は無理はしない、という線で決めていますが・・・