明治維新まで獣肉をあまり食卓に乗せなかった日本人の身体を
作ってきたのは、主として魚介類と大豆製品の中に含まれる
タンパク質であった。
日露戦争を戦った、日本の陸軍兵士の身長は平均で160センチに
充たなかった。戦中戦後の食料難の時代に成長期を迎えたボク等の
世代は、同様に身長が低い者が多い。対して栄養豊富な時期に成長
した若者たちの身長は、世界の人類学でも異常と見られている。
09年の術後、およそ3ヶ月にわたり、味覚も食欲も失ったボクの身体は、
新陳代謝を補う細胞の生成も難しく、およそ8キロばかりの体重を失った。
明らかに栄養失調であった。
偶然のように入った鮨屋。そこで試みにクチにしたヒラメの鮨。それがボクの
味覚と食欲を覚醒させて、
たっぷりと食べたから、肝臓が喜んで大いに仕事をしたのであろう。魚類の
タンパク質がアミノ酸に分解され、それを材料に身体が求めていた各部に、
新たな細胞の供給があったとボクは信じている。
その日を境にボクは食欲の回復で、大いに食べそれが身についたと思う。
言語障害が回復し、漸く主治医との会話が出来るようになった。
起立障害と歩行障害からの立ち直りには時間が掛かった。室内でも室外
でも転倒を繰りかえし、頭を強く打って硬膜下血腫の手術まで受けた。
気力の回復に至ったのは11年5月ごろだ。脊柱管狭窄の手術から丸二年が
経っていた。頭脳が生きていると確信を持ってからも一年間の予備時間が
要った。その間を読書とブログを書くことで過ごした。
気力も戻ったから、硬式テニスも転倒に気を付けながら初めている。
まだ階段の昇降には苦労している。
ここまで来るのに、どれ程の代謝酵素を要し、肝臓がどれだけの酵素を
作ってくれたのか。ともかくボクは活気に溢れた人間として復活した。
その間に、何千種類の酵素が働いてくれたのか、身体中の壊れた箇所を
ほぼ全部直してくれたのだから。
ドイツの友人が送ってくれたアレ。小麦胚芽を発酵させ、冬の保存野菜として
珍重するザワークラウト(発酵キャベツ)やトロピカルフルーツの中にある
タンパク分解酵素を加えた[グラノザイム]の威力をボクは自分の身体で確認した。
ドイツで人気があって不思議ではない。
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