前回の記事に関連して、気になるニュースがあったので書いておきたい。
朝日新聞電子版によれば、最近「イスラム国」に合流したタジキスタンの治安警察司令官が、米軍の対テロ訓練を受けていたということがあきらかになったという。すなわち、米国が“テロとの戦い”のために訓練を施した司令官が、ISのテロリストになってしまったのである。
ここであきらかにされているのは、まさに前回の記事で指摘した“武器を供与したり訓練を施したりする相手が正義の味方とはかぎらない”という問題である。この司令官のようにすぐにテロリストに転じてしまうというケースはかなり特殊なものだろうが、米国が訓練を施している相手が数年後にテロリストになっている可能性は決して小さくないということをあらためて思い知らせる事例ではある。
これもやはり以前の記事で書いたように、こうした問題はなにも今にはじまったことではない。たとえば、民間軍事会社(PMC)に関しても、似たような問題が起きている。
民間軍事会社とは、軍の兵站業務や危険地での要人警護、ときには戦闘行為も行う企業である。イラク戦争ではこのような企業が多く参加し、“戦争の民営化”とも呼ばれる状況があるわけだが、このPMC業界も多くの問題をはらんでいる。
ここでは、菅原出氏の『外注される戦争 民間軍事会社の正体』(草思社)という本に紹介されている「カスター・バトルズ社」の例を挙げよう。カスター・バトルズ社は、戦後イラクの混乱に乗じて急成長したPMCだが、過剰な水増し請求や架空請求、詐欺同然の契約などのさまざまな不正が問題となった。不正契約ぐらいならまだいいが、この会社の“不祥事”はそれにとどまらない。急激な事業の拡大でスタッフが不足し、頭数をそろえるために現地のクルド人を雇い入れ、彼らがイラク国民を無差別に虐殺するという事件を起こしたという。まともに訓練を受けていないクルド人に武器をもたせた結果、彼らがかねてから抱いているイラク人に対する憎悪を爆発させたという構図だろう。そしてそのことが、イラク人のクルド人に対する憎悪に油を注いだであろうことは想像に難くない(ここで一つ断っておくが、これはなにもクルド人の問題ではない。それまで一民間人として宗派対立・部族対立の渦中で暮らしていた人間に銃を持たせれば、そういうことになるのはある意味当然だ)。
上に挙げたカスター・バトルズは極端な例だろうが、そこまででないにせよ、現地で“警備員”を雇い入れるPMCは多かれ少なかれ似たような問題を抱えていて、武装勢力に内通するものがいてテロリストの待ち伏せ攻撃を手助けしたりしているともいわれる。
このような問題の背景には、アメリカの中東戦略が抱える根本的な欠陥がある。
治安維持のためには米軍がもっている軍事資源だけでは十分ではないために、現地の軍や民間軍事会社でそれを補おうとする。ところがそれでは、質を担保できない。そのことによって生じる構造的な問題なのである。
質を担保できないというのは、なにも敵に内通しているなどという極端なケースではなく、単なる力量不足ということも含まれる。
たとえば、前回の記事でふれたラマディ陥落の背景にもそれがあるようだ。ラマディ陥落後に、米国のカーター国防長官は「彼らには戦う気がなかった」とイラク軍の姿勢を批判している。その結果としてイラク軍は敵よりも数で圧倒的に勝っていたにもかかわらず、戦わずして撤退し、しかも米軍から供与された大量の武器を置き去りにしていったのである。6月2日付の読売新聞によれば、宗派間の対立や幹部の腐敗でイラク軍の士気は低下しており、ラマディ陥落以降、各地の部隊から姿を消す兵士が後を絶たないという。
すなわちイラクの現地軍は、訓練が十分でなかったり、汚職に手を染めていたり、あるいはその一部が反政府勢力の実質的なシンパであったりもする。そして、民間軍事会社も、そのあたりの事情はたいして変わらない――というのが実態なのだ。
米軍はたしかに地球上で最強の軍隊だろう。だが、その地上最強の軍事力をもってしても、イラクやアフガンを安定させることはできていない。米軍が十万人単位で駐留し続けていれば安定させることは可能なのかもしれないが、米軍が永続的に駐留するというのは、仮に軍事的に可能であるとしても、政治的、経済的に不可能である。そこで、現地軍やPMCで置き換えようとするところから、さまざまな問題が生じているわけだ。このことからも、軍事力で平和を作り出せるという考え方が根本から間違っているのは明らかである。
朝日新聞電子版によれば、最近「イスラム国」に合流したタジキスタンの治安警察司令官が、米軍の対テロ訓練を受けていたということがあきらかになったという。すなわち、米国が“テロとの戦い”のために訓練を施した司令官が、ISのテロリストになってしまったのである。
ここであきらかにされているのは、まさに前回の記事で指摘した“武器を供与したり訓練を施したりする相手が正義の味方とはかぎらない”という問題である。この司令官のようにすぐにテロリストに転じてしまうというケースはかなり特殊なものだろうが、米国が訓練を施している相手が数年後にテロリストになっている可能性は決して小さくないということをあらためて思い知らせる事例ではある。
これもやはり以前の記事で書いたように、こうした問題はなにも今にはじまったことではない。たとえば、民間軍事会社(PMC)に関しても、似たような問題が起きている。
民間軍事会社とは、軍の兵站業務や危険地での要人警護、ときには戦闘行為も行う企業である。イラク戦争ではこのような企業が多く参加し、“戦争の民営化”とも呼ばれる状況があるわけだが、このPMC業界も多くの問題をはらんでいる。
ここでは、菅原出氏の『外注される戦争 民間軍事会社の正体』(草思社)という本に紹介されている「カスター・バトルズ社」の例を挙げよう。カスター・バトルズ社は、戦後イラクの混乱に乗じて急成長したPMCだが、過剰な水増し請求や架空請求、詐欺同然の契約などのさまざまな不正が問題となった。不正契約ぐらいならまだいいが、この会社の“不祥事”はそれにとどまらない。急激な事業の拡大でスタッフが不足し、頭数をそろえるために現地のクルド人を雇い入れ、彼らがイラク国民を無差別に虐殺するという事件を起こしたという。まともに訓練を受けていないクルド人に武器をもたせた結果、彼らがかねてから抱いているイラク人に対する憎悪を爆発させたという構図だろう。そしてそのことが、イラク人のクルド人に対する憎悪に油を注いだであろうことは想像に難くない(ここで一つ断っておくが、これはなにもクルド人の問題ではない。それまで一民間人として宗派対立・部族対立の渦中で暮らしていた人間に銃を持たせれば、そういうことになるのはある意味当然だ)。
上に挙げたカスター・バトルズは極端な例だろうが、そこまででないにせよ、現地で“警備員”を雇い入れるPMCは多かれ少なかれ似たような問題を抱えていて、武装勢力に内通するものがいてテロリストの待ち伏せ攻撃を手助けしたりしているともいわれる。
このような問題の背景には、アメリカの中東戦略が抱える根本的な欠陥がある。
治安維持のためには米軍がもっている軍事資源だけでは十分ではないために、現地の軍や民間軍事会社でそれを補おうとする。ところがそれでは、質を担保できない。そのことによって生じる構造的な問題なのである。
質を担保できないというのは、なにも敵に内通しているなどという極端なケースではなく、単なる力量不足ということも含まれる。
たとえば、前回の記事でふれたラマディ陥落の背景にもそれがあるようだ。ラマディ陥落後に、米国のカーター国防長官は「彼らには戦う気がなかった」とイラク軍の姿勢を批判している。その結果としてイラク軍は敵よりも数で圧倒的に勝っていたにもかかわらず、戦わずして撤退し、しかも米軍から供与された大量の武器を置き去りにしていったのである。6月2日付の読売新聞によれば、宗派間の対立や幹部の腐敗でイラク軍の士気は低下しており、ラマディ陥落以降、各地の部隊から姿を消す兵士が後を絶たないという。
すなわちイラクの現地軍は、訓練が十分でなかったり、汚職に手を染めていたり、あるいはその一部が反政府勢力の実質的なシンパであったりもする。そして、民間軍事会社も、そのあたりの事情はたいして変わらない――というのが実態なのだ。
米軍はたしかに地球上で最強の軍隊だろう。だが、その地上最強の軍事力をもってしても、イラクやアフガンを安定させることはできていない。米軍が十万人単位で駐留し続けていれば安定させることは可能なのかもしれないが、米軍が永続的に駐留するというのは、仮に軍事的に可能であるとしても、政治的、経済的に不可能である。そこで、現地軍やPMCで置き換えようとするところから、さまざまな問題が生じているわけだ。このことからも、軍事力で平和を作り出せるという考え方が根本から間違っているのは明らかである。