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軍事力は戦争を抑止することもできない――“バランス・オブ・パワー”の嘘

2015-06-07 20:53:51 | 政治・経済
 前回、前々回と、軍事力によって平和をもたらすことはできないということを書いた。今回は、軍事力によって戦争がおきるのを防ぐ――すなわち「抑止力」という考え方も間違っているということを書きたい。安保法制推進派のなかには、手続きの問題や憲法との整合性がどうあれ、抑止力が必要だから賛成、というような人もいると思われるが、その考え方自体がきわめて疑わしいという話である。
 まず第一に、バランスがとれているかどうかを客観的に評価する方法がない。それぞれの国がもっている軍事力を数値化して評価するなどということがまず困難だし、仮にそれができるとしても、各国の軍備がすべて公表されているわけでもない。軍事機密として公表されていない部分も相当あり、そういったことも考えれば、仮に二つの国だけにかぎっても、双方の軍事力を客観的に評価してバランスがとれていると判断することなど不可能である。
 それでも仮に、そのような困難を克服してバランスをとることが可能だったとしよう。しかし、まだ問題がある。それは、そのバランスを維持できるかということだ。
 たとえば、19世紀後半のヨーロッパのことを考えてみよう。
 1870年代、普仏戦争後に勝利したドイツは、宰相ビスマルクのもとでフランス孤立化政策をとった。これによって、ロシア、オーストリア、英国などの主要国が結束してフランスに対抗する動きをみせ、一時的にパワーバランスが成立したかのようにみえた。だが、それも長くは続かなかった。やがてビスマルクが失脚すると、それを維持することは不可能になる。まず、バルカン半島進出をめぐってロシアとオーストリアの対立が表面化。ビスマルクがいなくなったドイツはそれを調整することができず、やがてロシアは包囲網から離脱し、逆にフランスに接近していく。また、はじめはドイツの側についていた英国も、ドイツの強大化に対する危機感から態度を変え、宿敵であったフランスと協調してドイツをけん制する方向に舵を切っていく。こうした対立構図の変化が、最終的に第1次世界大戦にまでつながっていくのである。
 ここで示されているのは、まさに、均衡を維持し続けるのは不可能ということである。元首の死や、宰相の失脚、政権交代といったことは、日常的に起きることだ。4、5カ国ぐらいの国で考えれば、二、三年に一回ぐらいのペースでそういうことはあるだろう。そうしたことがおきるたびに、バランスは変化する。それを調整し続けるというのは現実的に不可能で、ひとたび綻びが生じれば、そこから対立が噴き出すことになる。
 そして、ここでバランスオブパワーのもう一つの考え方についても触れておこう。
 それはすなわち、釣り合いをとるのではなく、圧倒的な力をもつことで敵の攻撃を抑止するという考え方である。すなわち、そんな細かい計算が成り立たずとも、相手を圧倒する軍事力を持っていたら攻撃されることはないのではないかという発想だ。だが、はっきりいってそれも間違いである。
 軍事的に劣っている側が、無謀な戦争に踏み切る例はいくらでも存在する。実際のところ、そういう例は、われわれのごく身近にもある。情報が統制され、元首に対する個人崇拝がいきわたっており、国家予算の相当な部分が軍事にあてられ、そのような軍事優先主義に反対すれば容赦なく拘束される国――いうまでもなく、戦前の日本のことだ。戦前の日本は、圧倒的な戦力をもつ米国に戦争をしかけた。一般国民はともかく軍事の関係者なら誰でも、アメリカとでは総合的な国力で圧倒的に劣っていることを知っていた。にもかかわらず、開戦に踏み切ったのである。
 理由はいろいろあるだろう。たとえば、軍部の暴走を止められるようなシステムが存在しなかったことや、政治家や軍人たちが「序盤で局地的な大勝をすれば有利な条件で講和にもちこめる可能性もある」というような楽観的な見通しにすがりついた……などだ。その理由がどうあれ、いずれによせ日本が圧倒的に不利だとわかりきっている戦争に踏み切ったというのは事実である。まともな統治機構をもたない国家があきらかな不利を知ったうえで無謀な戦争に踏み切るということは、実際に例があるわけだ。ひるがえって現代の東アジアをみたとき、たとえば北朝鮮の首領さまがまともな思考回路をもっていないことは、側近を次々に粛清していることなどをみればわかる。以上のことから、軍事力を強化していれば手出ししてこないというのは幻想である。
 最後に、バランスをとるという考え方はむしろ衝突のリスクを高める場合が多いということも考えておく必要がある。
 ごく普通に考えても、お互いに軍事力を増強していけば、安定するのではなく緊張が高まるということはわかるだろう。たとえば、南シナ海に米軍が偵察機を飛ばせば、ふつうテレビのニュースは「南シナ海で緊張が高まっています」と論評する。「米軍が出てきたおかげで情勢は安定しました」などとはいわない。
 そして、ここでもまた歴史上の例として戦前の日本をあげると、日独伊三国同盟というのがあった。これが抑止力として働かなかったことは、現実に戦争が起きていることからもわかる。現実には、抑止力として働くどころか、結果としてはむしろ逆に作用したとみたほうがいい。「国民安保法制懇」が先月行った会見では、こうした例をあげて、「自衛隊に多くの犠牲を強いるばかりでなく、国民に戦争のリスクを強いる」として、政府の進める安保法制を批判している。
 そして、もう一つここで日本の過去の事例として、日英同盟をあげておこう。日英同盟は、1902年に、日本とロシアの緊張状態が高まる中で締結されたが、この同盟が結ばれたとき当時のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は「これで戦争は回避された」といったという。日本が英国と同盟したために、力の釣り合いがとれて、ロシアとの戦争は避けられたというわけである。だが、現実はそうはいかなかった。実際には、日英同盟締結の2年後に、日露戦争が勃発している。後から振り返ってみれば、日英同盟は、戦争を避けるどころか日露開戦にいたる最後の決定的なステップだったと見るべきだが、ドイツ皇帝はそれで戦争が回避されたと論評したのである。このことは、いかに抑止力という考え方が誤っているか、そして、政治に携わる人間がいかにその誤った考えに支配されているかを如実にあらわしている。このヴィルヘルム2世のように“勢力均衡による抑止”という幻想を盲信する統治者ばかりだったために、第二次大戦以前のヨーロッパはしょっちゅう戦争をしていたのだ。
 結論として、軍事力のバランスで戦争を抑止するという発想は、まったくナンセンスである。バランスがとれているという評価もしようがないし、仮にできたとしてもバランスを維持し続けることはできない。そして、効果がないどころか、逆効果になるリスクもはらんでいる。政府が進めようとしている安保法制は、前世紀的にすでに否定された抑止力という幻想に基づくもので、この国に平和も安全ももたらさない。むしろ、戦争のリスクだけを高めるもので、まさに“戦争法案”の呼び名こそがふさわしい。憲法学者が違憲と断じたことも問題になっているが、憲法との整合性や手続きの問題などを抜きにしても、そもそも法案の中身自体が百害あって一利なしの代物なのである。