真夜中の2分前

時事評論ブログ
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“問答無用”の時代

2015-06-12 17:48:25 | 政治・経済
 憲法審査会で参考人として呼ばれた憲法学者3人がそろって安保法制を違憲と断じたことの波紋が広がっている。
 この思わぬ“失策”で自民党は動揺し、連日のように耳を疑うような暴言、失言が飛び出している。それでも彼らはあくまで安保法制は合憲であると主張し、その根拠としてまたぞろ砂川判決を持ち出してきているのだが、これも相当無茶なこじつけであることはつとに指摘されているとおりだ。与党推薦の参考人でありながら今回の安保法案を違憲と断じた長谷部恭男氏は、この砂川判決についても、集団的自衛権の行使を容認する根拠とはならないと指摘している。このブログで以前一度紹介したが、長谷部氏は、砂川判決をもって集団的自衛権が認められるとしている学者は、自分の知るかぎりいないといっているのだ。そういわれてもおそらく高村正彦氏などは「憲法学者がどういおうと俺たちが正しい」と言い張るのだろうが。
 また、憲法学者の違憲批判に対しては、「賛成だという著名な学者もいっぱいいる」と強弁した菅官房長官が、具体名を挙げろといわれて三人の名前しか挙げられず「数ではない」と開き直る一場面もあった。彼らは改憲のために国会議員の三分の二が必要であることについて「三分の一の反対で止められるのはおかしい」などと主張しているわけだが、そんなことをいっておきながら、200対3では「3」のほうが正しいとでもいうのだろうか。菅官房長官の居直りは、「合憲だという学者もいっぱいいる」という記者会見での発言が口からでまかせの嘘であったと認めたことにもなるわけだが、こうして公の場で平然と嘘をつくことといい、自分に都合が悪くなると多数意見を否定し始めることといい、とにかく、この問題をめぐっては政府与党のあまりにも幼稚な唯我独尊的態度が際立つ。
 さてここで、この記事のタイトルについて説明しておきたい。
 前の二回で歴史にからめた話を書いてきたので、今回もその延長である。こういえば近現代史に明るい人にはもうおわかりだろうが、本稿のタイトルは5.15事件のエピソードからとっている。
1932年、海軍青年将校らに犬養毅が暗殺された。いわゆる5.15事件である。このとき、「話せばわかる」といった犬養に対して、将校らは「問答無用」と銃の引き金を引いたといわれている。このエピソードは、大正デモクラシーの時代から抑圧的な時代への転換を象徴するものというふうによくいわれる。そして私には、現在の安倍政権の「問答無用」という姿勢が、それに重なって見えるのだ。
 200人以上の憲法学者が政府の進める安保法制を違憲だと指摘し、日弁連も憲法違反だと断じた。歴代の内閣法性局長なども批判している。またここにきて、かつて自民党の副総裁をつとめた山崎拓氏が、亀井静香、武村正義、藤井裕久の各氏らとともに反対を表明した。こうして反対の声が拡大しているにもかかわらず、安倍政権はまったく耳を貸そうとしない。ただ九官鳥のように「憲法違反ではない」と繰り返すばかりである。それが、戦前の軍部独裁につながった「問答無用」という姿勢に重なって見えるのだ。ついでにいえば、圧倒的多数が認めないといっているのにあくまでも自分の正当性を主張する姿勢は、リットン報告書採決に逆ギレして国際連盟の議場を出て行く松岡洋右のようだ。
 政府の“問答無用”は、こうした安保法制の問題ばかりでなく、普天間基地の移設問題や原発再稼動問題にもみられるものだ。いずれの問題でも世論は反対派のほうが多く、特に原発では再稼動反対が圧倒的多数であるにもかかわらず、安倍政権は反対の声にまったく耳を傾けようとしない。これは、非常に危険な状態ではないだろうか。
 いま一度戦前の話に戻ると、“問答無用”の先に待っていたのは自由にものもいえない暗黒の時代であり、壊滅的な敗戦であった。安倍政権の暴走を許せば、日本はふたたび暗黒時代に入っていくだろう。このブログで以前紹介した、自民党議員でありながら集団的自衛権の行使容認に反対している村上誠一郎氏は、現在の状況を「ファシズムの危機」とまでいっているが、事態はもはやそこまできているのだ。この状況を打破するべく、自民党内からもっと良識の声があがることを願うばかりである。