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安倍政権妄言録3

2015-06-29 17:35:37 | 政治・経済
安倍政権関係者の妄言暴言を紹介するシリーズの第三弾である。今回は、満を持して自民党のツートップである安倍総裁・高村副総裁に登場していただこう。高村氏は二度目のエントリーとなるが、相変わらずの強弁っぷりとなっている。

安倍晋三総理・自民党総裁「私的な勉強会で自由闊達(かったつ)な議論がある。言論の自由は民主主義の根幹をなすものだ」

 「マスコミをこらしめる」発言について国会で追及された安部総理が、謝罪を拒否して発言者への処分も否定するなかで出てきた言葉。言論の自由があるから、勉強会での発言を理由に処分することはできない、というわけだ。
 厚顔無恥とはこのことだろう。ネトウヨなどによくみられる、“自分に都合のいいときだけ言論の自由を持ち出す”攻撃で、ネトウヨ総理にはじつにふさわしい発言といえよう。「文化芸術懇話会」の面々はまさにその「民主主義の根幹をなす」言論の自由を破壊しようとわめいていたのだが。
 報道されるところによれば、問題の勉強会は安倍総理の応援団的な組織ということだが、彼らは言論の自由は自分たちだけに認められているとでも思っているのだろうか。彼らの態度には、思い上がりもはなはだしいといわざるをえない。


高村正彦自民党副総裁「デマを流すということは政治家にとってあるまじきことだ」

 もはや狂犬と化した高村副総裁が、NHKの番組での民主党・福山哲郎幹事長代理の発言にかみついた。「政府・自民党内で砂川判決の評価に関する評価がぶれており、そのこと自体が無理な解釈をしている証拠だ」という福山幹事長代理の指摘に対して、自民党本部での記者団の取材で次のように反論した(引用は朝日新聞電子版より)。

「当初から今日まで、そして未来永劫(みらいえいごう)、私が、砂川判決の法理を集団的自衛権の一部容認の根拠とすることはまったく変わらない。私を論破する人が現れれば別だが、(私が)困るような論を、あらゆる憲法学者からもまったく聞いたことがない。」

 そのうえで福山幹事長代理の発言を「デマ」だときめつけ、「デマを流すということは政治家にとってあるまじきことだと思うので、厳しく申しておきたい」というのだ。
 しかし、この発言は、例によって高村氏のただの強がりである。「当初」というのがどの時点を差すのかはっきりしないが、高村氏がかつて集団的自衛権は容認されないという立場をとっていたのは各種報道などですでに明らかにされているとおりだ。「砂川判決によって集団態自衛権が認められる」と昔から考えていたというのはおかしい。
 そうではなくて、「当初」というのがこの第二次安倍政権において集団的自衛権の行使容認の動きが出始めた頃を差すのだとしても、それでもやはり疑義が残る。というのも、去年の閣議決定の段階では、自民党は砂川判決を集団的自衛権の行使容認の論拠とはしていなかった。与党協議のなかで公明党側が難色を示したために、断念したのだ。それからずっと政府与党は砂川判決に言及してこなかったが、最近になって憲法学者たちの“違憲”発言が出てきて安保法制の合憲性が大きくクローズアップされたために、慌てて砂川判決を持ち出しはじめたのである。つまり、去年のいまごろの時点で一度は砂川判決を合憲性の根拠とすることをやめたにもかかわらず、違憲問題で追い詰められてやむなくそれをもちださざるをえなくなったというのが実態で、この経緯をみれば、高村氏の発言こそデマだということがわかる。与党がお蔵入りにしていた砂川判決を持ち出してきたことを、憲法学者の長谷部恭男氏は「わらにもすがる思いで持ち出したのかもしれないが、しょせんわらだ」と一蹴している。
 また、「私を論破する人が現れれば別だが……」というくだりも、笑止である。高村氏の矛盾だらけの屁理屈は、とうに完膚なきまでに論破されている。自分が「困るような論を、あらゆる憲法学者からもまったく聞いたことがない」というのは、都合の悪い言説には耳をふさいでひたすら俺が正しいと吠え立てているからというだけのことだ。 前回もそうだったが、この「僕、負けてないもん」という子どもじみた強がり・負け惜しみには、失笑を禁じえない。