#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【bozzo】あるクリエイターの死

2009-11-10 | Photo-diary
11月10日。火曜日。
11月の東京とは思えない陽気が続く。

昨日、沖縄の元同僚から訃報のメールが届いた。
ディレクター時代、TVCMのプランニングをお願いしたクリエイターだ。

ブレストを繰り返し、クライアントのわがままを呑み込み、
ひとつの表現プランとして昇華させ、撮影・編集へと至る作業を共にした仲。

回数は少なかったとはいえ、
ビジョンを共有した人間の死は悼い。
40代の若さであったから、その訃報には正直、ドキリとさせられた。

死はピリオドである。

それより先はない。

折り返し、振り返ることでしか、その人を想うことはできない。

その決して長くはない人生で、
彼は何を残すことが出来たのだろう。

人は他人の死しか、体感することができない。

だからこそ、大いに死について思いを巡らすべきだと、ボクは思う。

死を消化してはいけない。
ピリオドを打つとは、そういうことだ。
しっかりとした痕跡が、そこに在る事実。

思いを巡らし、自身に置き換え、だからこそ生きる意味を問う。

       ●

まずはカラダを動かしてみようと思い立ち、
朝から近くの区民プールへ行く。

水中で無心になって、ただ呼吸を繰り返す。
手足を動かし、70kgの肉体の重みを感じながら、
ひたすら水の中を往復する。

ふと自身を痛めつけるように、
残りの距離を全力で泳ぐことにする。

…700m。

決して楽ではない距離だ。
時計をにらみ15分で完泳させるべく、思い切り壁を蹴る。

右手左手と前へ前へ繰り出し、キックの推進力で肉塊が前進する。

そのあいだ、心臓が凹凸を繰り返し、血液が全身に送られる。
血中酸素がものすごいスピードで燃焼され、
CO2の返還と共に、肉塊から新たな酸素が要求される。

手足をばたつかせながら、大きく息を吸い込み、
全肺を最大限活用し、次のエネルギーを生み出す。

生産と消費の自転車操業。

蒸気機関車のように次から次へとエネルギーを生み出し消化しながら前へ進む。

心臓が悲鳴を上げ、肋骨の檻を蹴破る勢いで収縮を繰り返す。
上腕二頭筋と大腿筋の収縮と血流を生み出す血管の収縮も限界に達してきた。

頭頂部から熱エネルギーが湯気となって立ち上がり、
肉塊のクールダウンを促す。黄信号が点滅した。

目標タイムで700mを完泳させ、
肩を上下させながら、天井をあおぐ。

全身が安堵のため息を吐いた。
そして、思った。

「生きる」とは、こういうことだ。

おのれに属する全組織を活性させ、
生産と消費を交錯させながら、
授かった肉体を最大限活用することだ。

…彼の分まで、生きる。

そして、生きる喜びを次世代に伝える。
それが使命だと、合点した。





Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする