#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Dec_01】希望の国

2012-12-02 | Mement_Mori
12/01映画の日。やっとの思いで「希望の国」を観る。


「希望の国」

エンドロール手前で、園子温監督が書いた題字が画面に大きく出た。

映画の中で、希望は描かれていない。
描かれているのは、この現在進行形なニッポンの歪みそのままだ。

南相馬をロケ地に、被災のナマの状況をスクリーンに大写しにしたこの映画は、
日本では当然のように疎ましく扱われ、出資金も思うように集まらず、
結局は海外に援助を求めたカタチで成立をみた…という。

「映画は日本においてはアートではない、エンターテインメントの域を出ないんです」
…と園子温監督は語る。日本において映画は、どこまでも興行できるかどうかが問題なのだ。

それはなにも映画に限った話ではなく、
政事も含め、すべてのジャッジが近視眼的に行われている。

ひとつひとつをしかと解決させることなく、次のステージへとコマを進め、
未解決な事象を隠蔽してきた。その繰り返し。

いつから日本は、こんなにけじめの付けられない国に成り下がったのだろう。

今回の総選挙でも、福島の現実や、沖縄の基地問題は決して論点にはならない。
普天間の移設を初めとする沖縄の今後を、日米はどう考えていくのか、
原発で汚染され、森林はどうしようもない線量にまで蓄積された福島の未来を、どう描いていくか、
ニッポンがどのような道を進んでいくのかの明確な「物語」は誰も示し得ていない。

あるのは、尖閣諸島や竹島における陳腐なナショナリズムな話だけ。
憲法改正して戦力を増強することで、ニッポンがどんな国になるのか、
そういった中身の話は、誰もしようとしないのだ。

痛いところ、醜いところ、汚いところは、そのままおざなりに
キレイゴトばかりを並べ、薄っぺらなオプティミズム論ばかり。
その柱となるのが、経済問題というカテゴリー。

どこまでもカネで解決させようとしている、金満国家ニッポン。

「希望の国」は園監督なりの、問題提起である。

今のニッポンはどこまでも浮ついていて、
足下をシカと見ようともしない。

フクシマ・ミヤギ・イワテがいまどんな状況下でいるのか。
己の幸福ばかりに目を奪われているこの国の国民は、
自分たちの人生だけですべてを終わりにしようとしているのか。

その先をどうしていこうという強い意志はあるのか。

園監督は原発問題を軸に、その根幹を問い糾しているのだ。











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【Dec_01】まめ吉

2012-12-02 | Photo-diary
錦糸町「まめ吉」にて、姉の誕生会。
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【Dec_01】ジンギスカン

2012-12-02 | Photo-diary
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