アレクセイ・ゲルマン監督遺作「神々のたそがれ_Hard to be a God」
ロシア映画はタルコフスキー以来だったのだけど、やはりすべてが規定外の傑作であった。
地球史800年前の中世的粗暴と汚穢が支配する別の惑星に「観察者」として降り立った地球人が、
ロシア社会主義的ヒューマニズムよろしく理想を掲げてこの惑星の社会を【是正】しようと目論む…という、
およそロシア的射程距離な物語なのだけど、その背景やら設定は、もはやどうでもいい。
ゲルマン監督の美意識が100%行き届いた200分の映像を、
ひたすら五感を開いて浴びれば、それで十分。
これほどの振幅で世界を構築した映画をボクは知らないし、
他の芸術作品でも見当たらないと断言したい。
あらゆる常識的見解…知らずと規定している価値基準やら、
さじ加減、受け入れがたいと感じる醜悪度のボーダーラインなど、
すべてのものが軽く一蹴されている。
18歳に観た「エルトポ」の衝撃も、18歳的には凌駕していたのだが、
この映画体験は全方位的に極限を超えている。
「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。
そして君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」(ニーチェ「善悪の彼岸」より)
怪物そのものが恐ろしいというよりは、怪物と戦う者が自分もまた怪物となってしまうという事態こそが恐ろしい…とは、
反知性主義へと加速化する現代社会への「知識人」的警鐘だけれど、
なにより恐ろしいとボクが思うのは、ゲルマン監督によって可視化された「神々のたそがれ」的世界が、
カタチを伴った途端現実的になることで、
それが奇しくもこの2015年に映像化され公開されたという事態こそが恐ろしいのであって、
ロシアという欧米のモノサシでは測れない文化圏からの発信であるだけにいよいよ近視眼的なのである。
何はともあれ、クリエイターは必見。
ロシア映画はタルコフスキー以来だったのだけど、やはりすべてが規定外の傑作であった。
地球史800年前の中世的粗暴と汚穢が支配する別の惑星に「観察者」として降り立った地球人が、
ロシア社会主義的ヒューマニズムよろしく理想を掲げてこの惑星の社会を【是正】しようと目論む…という、
およそロシア的射程距離な物語なのだけど、その背景やら設定は、もはやどうでもいい。
ゲルマン監督の美意識が100%行き届いた200分の映像を、
ひたすら五感を開いて浴びれば、それで十分。
これほどの振幅で世界を構築した映画をボクは知らないし、
他の芸術作品でも見当たらないと断言したい。
あらゆる常識的見解…知らずと規定している価値基準やら、
さじ加減、受け入れがたいと感じる醜悪度のボーダーラインなど、
すべてのものが軽く一蹴されている。
18歳に観た「エルトポ」の衝撃も、18歳的には凌駕していたのだが、
この映画体験は全方位的に極限を超えている。
「怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。
そして君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む」(ニーチェ「善悪の彼岸」より)
怪物そのものが恐ろしいというよりは、怪物と戦う者が自分もまた怪物となってしまうという事態こそが恐ろしい…とは、
反知性主義へと加速化する現代社会への「知識人」的警鐘だけれど、
なにより恐ろしいとボクが思うのは、ゲルマン監督によって可視化された「神々のたそがれ」的世界が、
カタチを伴った途端現実的になることで、
それが奇しくもこの2015年に映像化され公開されたという事態こそが恐ろしいのであって、
ロシアという欧米のモノサシでは測れない文化圏からの発信であるだけにいよいよ近視眼的なのである。
何はともあれ、クリエイターは必見。