不登校50年
証言プロジェクト
半世紀にわたる「問題」を、いま問い直す。
北村 あのころは、軍国少女(少年)じゃない子はいなかったですよ。
日中戦争が始まって、軍国主義の強まる時代でしたからね。
たとえば、小学校の作文の時間では「今日は満州の兵隊さんにお手紙を書きましょう」と言われて、
兵隊さんの慰問袋に入れる慰問文を書いてました。学校に頼まなければ数を得られないから、
子どもに書かせていたんでしょう。
書き出しはかならず
「極寒のみぎり、さぞ匪賊討伐も困難のことと思います」でね。
もう覚えてしまっていました。
当時は、匪賊というものがいると思っていたわけです。正体は何だと思いますか?
山下 中国の人たちということでしょうか。
北村 そうです。中国の人たちからしたら、愛国の志士ですよね。
でも、中国には匪賊、悪い人がいるもんだと思っていた。だから討伐するんだって。
後に、日本人から匪賊と言われた人たちに実際に出会って、私は愕然としました。
山下 疑いがなかったわけですね。
北村 それが教育ということですよね。
いま、教科にしようとしている道徳もそうです。
大げさな言い方をすれば、真理の探求をさせない仕組みになっている。
いまだに、教育勅語はよいという人がいますが、あそこで言われているのは、
たんに親孝行だとか夫婦仲良くというものではない。肝心のところは絶対に見せないわけです。
国民ひとりひとりに考えさせないというのは、権力者が治めるうえでは有効な手段でしょうね。
山下 肝心のところというのは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というところでしょうか。
北村 その後に「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
「忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ
爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」となっているでしょう。
要するに天皇制国家を維持することが最終目的になっているわけです。
国民が死ぬのも生きるのも、すべてそのためになっている。
1930年には文部省(当時)が教育勅語の通釈を出してますが、
そこには「神勅」にもとづいて、と書かれています。
そこまでが一連のものなわけです。
山下 国民が主語ではなく、あくまで天皇が主語になっているわけですね。
北村 そうです。1948年に国会で教育勅語の排除を決議したとき、
参議院で羽仁五郎(1901―1983)は
「たとえ完全なる真理を述べていようとも、
それが君主の命令によって強制された
というところに大きなまちがいがあった」
と述べています。要点は、この一言に尽きると思います。
日本は、いまだに、そこを抜けられてないわけですね。
証言プロジェクト
半世紀にわたる「問題」を、いま問い直す。
北村 あのころは、軍国少女(少年)じゃない子はいなかったですよ。
日中戦争が始まって、軍国主義の強まる時代でしたからね。
たとえば、小学校の作文の時間では「今日は満州の兵隊さんにお手紙を書きましょう」と言われて、
兵隊さんの慰問袋に入れる慰問文を書いてました。学校に頼まなければ数を得られないから、
子どもに書かせていたんでしょう。
書き出しはかならず
「極寒のみぎり、さぞ匪賊討伐も困難のことと思います」でね。
もう覚えてしまっていました。
当時は、匪賊というものがいると思っていたわけです。正体は何だと思いますか?
山下 中国の人たちということでしょうか。
北村 そうです。中国の人たちからしたら、愛国の志士ですよね。
でも、中国には匪賊、悪い人がいるもんだと思っていた。だから討伐するんだって。
後に、日本人から匪賊と言われた人たちに実際に出会って、私は愕然としました。
山下 疑いがなかったわけですね。
北村 それが教育ということですよね。
いま、教科にしようとしている道徳もそうです。
大げさな言い方をすれば、真理の探求をさせない仕組みになっている。
いまだに、教育勅語はよいという人がいますが、あそこで言われているのは、
たんに親孝行だとか夫婦仲良くというものではない。肝心のところは絶対に見せないわけです。
国民ひとりひとりに考えさせないというのは、権力者が治めるうえでは有効な手段でしょうね。
山下 肝心のところというのは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というところでしょうか。
北村 その後に「以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」
「忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ
爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」となっているでしょう。
要するに天皇制国家を維持することが最終目的になっているわけです。
国民が死ぬのも生きるのも、すべてそのためになっている。
1930年には文部省(当時)が教育勅語の通釈を出してますが、
そこには「神勅」にもとづいて、と書かれています。
そこまでが一連のものなわけです。
山下 国民が主語ではなく、あくまで天皇が主語になっているわけですね。
北村 そうです。1948年に国会で教育勅語の排除を決議したとき、
参議院で羽仁五郎(1901―1983)は
「たとえ完全なる真理を述べていようとも、
それが君主の命令によって強制された
というところに大きなまちがいがあった」
と述べています。要点は、この一言に尽きると思います。
日本は、いまだに、そこを抜けられてないわけですね。