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1997年3月13日、一匹の子犬が生まれた。
のちにジュンと呼ばれるようになった。
今から9年前の話になる。
ジュンはゴールデンレドリバーだ。
だから、子犬の時から足だけは異常に太かった。
肉球がまんまるとして、プニュプニュいった。
念願の大型犬だった。
ガッシリと抱きかかえるようになるまで、半年もかからなかった。
ジュンはすくすく大きくなった。
初夏のさわやかな日に海岸へ出かけた。
抱きかかえると、30キロはあったと思う。
体ばかりがドデカい子犬だった。とても、とてもかわいかった。
9月、ボクはジュンを置いて沖縄へ移住した。
たくさんの写真を携えて、しばし離れ離れになった。
寂しさを壁いっぱいの写真で、ごまかした。
…ジュンはいつのまにか、ボクの守護神になっていた。
年に一回、ボクはジュンに会いに仙台へ帰った。
いつもいつも、ジュンは笑顔で迎えてくれた。
千切れそうになるまで、シッポを振った。
仙台に居る間は、毎朝毎夕欠かさずジュンの散歩へ出かけた。
どんどん様変わりするニュータウンの一角を、興味半分であちこち歩いた。
ショッピングモールができて、車の流れが変わっても、あちこち歩いた。
冬に帰った時は、夜のスキー場をかけまわった。
暗闇の中で、縦横無尽に走り回るジュン。
雪の中でいっしょに転げ回って、とてもうれしそうだった。
そんな素敵な相棒だったジュンが、いきなり病気になった。
母親が泣いて、電話してきた。
リンパ腫と呼ばれる体液のガンだった。…呆然とした。
信じられなかった。
1998年3月13日から6年しか経っていなかった。
まだまだこれから楽しく過ごせると思っていた矢先だった。
抗ガン剤の投与で、辛く長い日々が続いた。
ボクは遠くで祈るしかなかった。
父母の必死の看病むなしく、ジュンはどんどん弱っていった。
余命1ヶ月の宣言を受けた7月の「海の日」に、
ボクはジュンに会いにいった。素敵な思い出の一枚を撮るために。
終わりを意識しながら、シャッターを押すのは、酷だった。
だから、解放感あふれる牧場に出向いて
冬のスキー場をかけまわるように、夏の牧場をかけまわった。
とにかく、気持ちに素直になろうと、努めて撮った。
感情にまかせてカメラを操るのは、これが初めてだった。
いつも、かっこよく撮ろう、美しく撮ろう、と意識ばかりが先走っていた。
ボクはとにかく、ジュンの生き生きとした瞬間を収めたかった。
ジュンはその後3ヶ月、なんとか生き延びた。
2004年10月17日享年7歳。
たくさんの素敵な思い出と笑顔を残して、逝ってしまった。
今考えても、胸が張り裂ける。
こんなに、こんなに、優しい気持ちにさせてくれる犬は、そうはいない。
だから、この一枚は、ボクにとっての出発点だ。
いつもこれを見て、できるだけ気持ちに素直に撮るよう心掛ける。
ジュンがボクに残してくれた、…素敵な贈り物だ。
これから先も、こんな写真を撮れたらいいな、と思う。
…「デューク」という本を友だちにもらった。
犬との交流を描いた素敵な本だ。
読むたびに、胸の底から涙があふれてくる。
江国香織と山本容子の優しさが詰まっていると、思った。
…ジュンももしかしたら、沖縄にいるんじゃないかって。
言葉で紡ぎあえたら、ホントに素敵なのに…と考えてしまう。
未読の犬好きは、必見です。
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のちにジュンと呼ばれるようになった。
今から9年前の話になる。
ジュンはゴールデンレドリバーだ。
だから、子犬の時から足だけは異常に太かった。
肉球がまんまるとして、プニュプニュいった。
念願の大型犬だった。
ガッシリと抱きかかえるようになるまで、半年もかからなかった。
ジュンはすくすく大きくなった。
初夏のさわやかな日に海岸へ出かけた。
抱きかかえると、30キロはあったと思う。
体ばかりがドデカい子犬だった。とても、とてもかわいかった。
9月、ボクはジュンを置いて沖縄へ移住した。
たくさんの写真を携えて、しばし離れ離れになった。
寂しさを壁いっぱいの写真で、ごまかした。
…ジュンはいつのまにか、ボクの守護神になっていた。
年に一回、ボクはジュンに会いに仙台へ帰った。
いつもいつも、ジュンは笑顔で迎えてくれた。
千切れそうになるまで、シッポを振った。
仙台に居る間は、毎朝毎夕欠かさずジュンの散歩へ出かけた。
どんどん様変わりするニュータウンの一角を、興味半分であちこち歩いた。
ショッピングモールができて、車の流れが変わっても、あちこち歩いた。
冬に帰った時は、夜のスキー場をかけまわった。
暗闇の中で、縦横無尽に走り回るジュン。
雪の中でいっしょに転げ回って、とてもうれしそうだった。
そんな素敵な相棒だったジュンが、いきなり病気になった。
母親が泣いて、電話してきた。
リンパ腫と呼ばれる体液のガンだった。…呆然とした。
信じられなかった。
1998年3月13日から6年しか経っていなかった。
まだまだこれから楽しく過ごせると思っていた矢先だった。
抗ガン剤の投与で、辛く長い日々が続いた。
ボクは遠くで祈るしかなかった。
父母の必死の看病むなしく、ジュンはどんどん弱っていった。
余命1ヶ月の宣言を受けた7月の「海の日」に、
ボクはジュンに会いにいった。素敵な思い出の一枚を撮るために。
終わりを意識しながら、シャッターを押すのは、酷だった。
だから、解放感あふれる牧場に出向いて
冬のスキー場をかけまわるように、夏の牧場をかけまわった。
とにかく、気持ちに素直になろうと、努めて撮った。
感情にまかせてカメラを操るのは、これが初めてだった。
いつも、かっこよく撮ろう、美しく撮ろう、と意識ばかりが先走っていた。
ボクはとにかく、ジュンの生き生きとした瞬間を収めたかった。
ジュンはその後3ヶ月、なんとか生き延びた。
2004年10月17日享年7歳。
たくさんの素敵な思い出と笑顔を残して、逝ってしまった。
今考えても、胸が張り裂ける。
こんなに、こんなに、優しい気持ちにさせてくれる犬は、そうはいない。
だから、この一枚は、ボクにとっての出発点だ。
いつもこれを見て、できるだけ気持ちに素直に撮るよう心掛ける。
ジュンがボクに残してくれた、…素敵な贈り物だ。
これから先も、こんな写真を撮れたらいいな、と思う。
…「デューク」という本を友だちにもらった。
犬との交流を描いた素敵な本だ。
読むたびに、胸の底から涙があふれてくる。
江国香織と山本容子の優しさが詰まっていると、思った。
…ジュンももしかしたら、沖縄にいるんじゃないかって。
言葉で紡ぎあえたら、ホントに素敵なのに…と考えてしまう。
未読の犬好きは、必見です。
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うちも去年、実家に置いて来たビーグルが亡くなりました。彼女は長生きで16歳ぐらいでしたから、仕方なかったですけれど…。
デザインの仕事をしているのは前から知っていたけど、そんなに写真を撮っていたとは知らなかったです。『写真、機械を通すからある程度、みんな同じようになるんだろうと昔思っていたけれど、自分で一眼レフで撮影する様になった大学の頃、自分の『気持ち・心』が全部表れて、逆に隠せないんだとビックリした覚えがあります。
ブログにある他の写真も少し拝見しましたが、この写真、私は中でも素敵だと思います★メッセンジャーでもあったジュンとの出会い、大切な宝物ですね。