#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

Ground Zero 3

2006-12-15 | New York
滞在中、ブルックリンミュージアムでは「0911以前以後」といった内容の
ロウアーマンハッタンの歴史をふり返った展覧会が催されていて、
開拓時代から2001年に崩壊するまでの課程を見ることができた。

その展覧会を見て、また仰天したのだが、
WTCを建設するまでに、また相当な時間と労力が…当たり前だが…かかっていて、
0911の惨劇は、その時間をも剥奪してしまった…という怖ろしい事実があった…こと。

ぽっかり空いた墓穴は、アメリカ人のそんな「失われた開拓精神」そのものだと言えるのだ。



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Ground Zero 2

2006-12-13 | New York
往き来する観光客。
その誰もが、そのスケールに唖然としていた。
歓談し、声を上げて笑っているような人はどこにもいなかった。

少なくとも、ボクの気持ちは伏せっていた。

なんというスケール。
なんという喪失感。
まさに「根こそぎ奪われた」状態だった。

2001年の9月11日に起こってしまった惨事を、想像してみる。
ポッカリと空いた1ブロック分の空を見上げ、今はないツインタワーをイメージする。

降りかかるビルの瓦礫、火の粉、書類のたぐい、オフィス内の備品、肉片…。
消防車が行き交い、怒号や悲鳴や懇願の声とともに、絶望的な暗雲が徐々に立ち籠めてくる。

     行き交う人々、見上げる人々、自失する人々。

今は想像の域を出ないその惨状が、5年前のこの場所で、起こったことをあらためて考える。
グランドゼロを囲むフェンス上に飾られた写真パネルが、その想像を助ける。
しかし、どこまでいっても、あの報道されたイメージ以上のモノは頭に描くことができなかった。

    墓穴のようなグランドゼロが、目の前にあるだけだ。
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Ground Zero 1

2006-12-13 | New York
NYでの第2の目的地、グランドゼロへ。
ところが、なかなかその目的地に到達することができない。
素直にSubwayを乗り継いで堅実に行けばいいところを、
ブルックリンブリッジ方面から歩いて行こうとしたのだ。

Lower Manhattanは、ミッドタウンのように、
街がグリッド状にはなっておらず、東西南北に道が伸びていない。
ブリッジの対岸方面へ、西に向かって歩いていたのに、
いつのまにか東のはずれに出ていたりする。

何度も何度も、ブリッジ周辺を往き来したあと、海が現れた。
「また東側に戻ってきてしまった」と落胆しながらも、
気を取り直し北上を続けていたら、忽然と目の前に拡がるブランクスペース。

     それがグランドゼロだった。

ものすごいスペースで、グランドゼロはそこにあった。
これだけ広大なスペースが、陥落してしまったのだ。
その喪失感たるや、なんと表現したらいいのだ。

まずは、正面に回ろう…と、歩き出す。
たくさんの観光客が、ゼロを背にカメラを構えていた。



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夜明け前の備瀬

2006-12-11 | Photo-diary
8日の金曜日、沖縄の12月にはめずらしい、晴れ渡った空が見られた。
撮影をひとつ抱えていたボクは、さっそく名護の先、本部町の備瀬まで急行した。

基地局の撮影だ。

携帯電話が日頃、何の苦労もなく受信発信できるのは、
実は方々に点在するこの基地局のおかげ。

サービスエリアを蜘蛛の巣のように
見えない伝播網で覆っているから、
ボクたちはケータイで相手とつながることができる。

英語の「cellular phone」はまさに、cellular=蜂の巣状の電波網を表現している。

携帯電話会社にしてみれば、サービスの要である基地局。
その美しい姿を、沖縄的な原風景と共に1枚の写真に収めて欲しい…というのが、今回のオーダー。
金曜日は思い立った時間が遅かったため、到着時の現場は雲に覆われていた。

これでは仕事が成立しない。

腹を括ったボクは、土曜日の夜明け前、朝方5時に家を出た。

その思いが実ったのか、夜明け前の備瀬は、誠に美しかった。
東から黄金色の光の塊が突如顕れ、地平に沿って空が引き裂かれた…。
横殴りの光に、銀の鉄塔が妖しく応える。
ウルトラマリンのグラデーションに輝く鉄塔。

見事な写真が獲得できた。

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Isamu Noguchi Garden Museum 3

2006-12-08 | New York
ひととおりの観覧を終え、ミュージアムショップへと入る。
傾きかけた陽が、ソファに伸びていた。

四国の牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館も
陰陽を兼ね備えたステキな空間だった。

3.6mの「エナジーヴォイド」が暗闇の蔵の中で
ひっそりと、その艶めかしい石肌を光らせている。
蔵の引き戸を開けると、
陽の光が反射して、巨体の陰影が深まった。


    立体化する彫刻。


陽の光が彫刻を立ち上がらせ、空間に奥行きを与えることを、
Isamu Noguchiは完全に掌握していた。
だから、彼のミュージアムはここまで居心地が良い。

光の粒が、空間を隈なく飛び交っているのが…わかった。
…ボクも視界のラチチュードを野放しにして、
             陰影の移ろいに…心を解き放つ…。


   刻一刻と表情を変える石。


Isamuの彫刻は、光の賛歌だ…とその時、思った。

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Isamu Noguchi Garden Museum 2

2006-12-08 | New York
入り口で10ドルを支払い、中に入る。

ガーデンミュージアムと言われるだけあって、
広い空間に彫刻が点在していた。

なんとも面白い造りだ。

吹き抜け部分に15作品ほど、中庭にも15作品ほどが気持ちよい感覚で設置しており、
観覧者は思うがままに作品の周りを散策できた。

2階建ての館内の展示はさらに気持ちがよかった。

午後の光が差し込む大きな窓の展示室で、
Isamuの代表作が静かに鎮座している。

絶妙な間隔で、作品と作品が呼応する特異な空間。
日曜だというのに、観覧者はボク独り。
対話をするように作品を眺め、陽の光を浴びた。

光の中で、Isamuの作品は無言だった。

その無言ぷりが、観る者に平穏を与えた。
これは、とてつもないことだった。
寺院の仏像との対面が人々の心に安らぎを与えるのと、まさに同義だった。

何も語らず、何も諭さず、静かに対峙していた。

ゆるやかに移り変わる木洩れ陽に、その姿を変え陰影を伸ばす無言の石。
それが石だからか…時間の流れさえもが、ゆるやかに移る。

地球という球体の、沖縄とニューヨークを結んだ延長に、ここは位置する。
その遙かな距離を体現しようとして、眩暈がした。
ここまで導かれたプロセスは、あまりに長く、遠かった。

しかしそのプロセスが、この平穏をもたらしたと思うと、感慨もひとしおだった。




         至福の空間に、ボクは居た。




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Isamu Noguchi Garden Museum 1

2006-12-08 | New York
第一の目的地であるIsamu Noguchi Garden Museumは
クイーンズのギリシャ人居住区アストリアから10分ほどのところにある。

W-lineの「ブロードウェイ」と呼ばれる駅でおり、
イースト川方向へひたすら歩く。

きれいに整頓された住宅街を歩きながら、
自分が今ニューヨークにいることを把握できずにいる。

街路樹が輝く柔らかな陽の光、
さらさらと枯葉の舞う乾いた空気、
散歩をする黒犬に話しかける老人の声…。

どれひとつとっても
ここはニューヨークだ。

その場所で美術館を探し、さまよう自分がいる。
…どうもしっくりこない。

14時間におよぶフライトで眠れぬ夜を過ごしたあと、
到着した空港でも右往左往し、いやな汗を背中にかいた昨日までのような
苦痛が全く存在しない…ことが、返ってボクの居心地を悪くしたのかもしれない。


      空が広かった。


安らかな気持ちで、ボクはクイーンズを歩いた。
赴くまま歩いたせいで道に迷い、1時間ほどかかって美術館に到着。

まずは汗を乾かすべく、ジャケットを脱いだ。






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To Queens from Brooklyn

2006-12-07 | New York
翌日の日曜日、ボクは第一の目的地
「Isamu Noguchi Garden Museum」へ向かった。

そこはマンハッタンの東に位置するクイーンズにあるのだが、
そのままブルックリンを北上するコースはなかった。

「G-lineは最低のSubwayだから決して乗らない」

そんな助言もあって、ボクはL-lineでマンハッタンに入り、
ユニオンスクエアから北上してレキシントン駅を経由し、
W-lineでイースト川を渡る道筋を選んだ。

  
        ● 


しばらく、暗澹とした鉄箱の中で息を潜めていた。
初めてニューヨーカーに紛れ込んだ車内。

ツーリストとしての面持ちを隠そうと
気取ったサングラスをかけ、広告に目をやる。

駅構内のアナウンスを聞き取るべく、耳をそばだてる。

乗り継ぐべき駅を間違えないように、そわそわとしながら、
しかし決して悟られないように。

…今にして思えば、何を悟られないよう注意していたのかおかしな話だが、
おそらくニューヨークに溶け込むことが一番の安全だと思っていたのだろう。

レキシントン駅でクイーンズ行きと記されたプラットホームへ回り、
東へと進む。頭上にはイースト川が横たわっているのだ…と想像をめぐらす。

長い長い地下鉄独特のミニマリスムなサウンドにトランスしかけた時、
突然、太陽が光をもたらした。

晴れ渡った秋の、気持ちよく解き放たれた窓外の風景。
口を開け、完全に心を奪われ、頬も自然と弛んで、外を眺める。

…鉄の箱が左に旋回し、進路を北へ取ったその時に、
夢にまで見た摩天楼が、意外と大きな姿でボクの視界に入ってきた。

「おおおおおおおおおお」

         あああ~
               あれが、マンハッタンか。

先ほどまで地下を彷徨っていた島の全貌は、こんなに立体的にビルが林立していたのか。
いろんなドラマや映画に、映像として受け止めていたマンハッタン。
ブルックリンブリッジやマンハッタンブリッジの遠景として、スクリーンに納まっていた
あの立体的なビル群が、ボクの視界が捉える風景として、リアルに右から左へと流れていく。

いくら文明が発達して、ヴァーチャルの質がどれだけ上がっても、
この「あああああああ」という感嘆と、完膚鳥肌状態のリアルな感慨には、
決しておよぶことはないだろう…。
インターネットやライブカメラが光通信で「生」の映像を手元に届けたところで、
この肉体が五感で受け止める「本物」の感動には、決しておよぶことはないのだ。

ニューヨークに来て、よかった…と思えた瞬間だった。





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45 Maspeth Avenue Brooklyn NY

2006-12-05 | New York
45 Maspeth Avenue Brooklyn NY 11211-2511
ボクがお世話になったドミトリーの住所だ。

11月25日のコンチネンタル008便でニューアーク空港に降りたって、
寒空の夕暮れの中、当て処なく空港内をさまよい、なかなかニュージャージーを出ることができず。
NJトランジットと呼ばれる鉄道を使ってなんとかペンシルバニアStationへ。
やっとのことでマンハッタンに侵入したのは、到着から1時間半後。
そこからSubwayを行きつ戻りつし、どうにかして目的地のグラハム駅に辿り着いたのは夜の8時。
一人旅の初日は、やはり悪戦苦闘の幕開けとなった。

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