札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 小樽市の閉校② 

2023-01-10 11:24:34 | 木造校舎・廃校

小樽市の閉校(小学校) 赤字はレポート済 

  • 小樽市立富岡小学校(1969年小樽市立稲穂小学校と緑小へ分割統合)
  • 小樽市立桃内小学校(1990年小樽市立忍路中央小学校へ統合)
  • 小樽市立堺小学校(2006年稲穂小と小樽市立花園小学校へ分割統合)
  • 小樽市立量徳小学校(2012年花園小と小樽市立潮見台小学校へ分割統合)
  • 小樽市立祝津小学校(2013年小樽市立高島小学校へ統合)
  • 小樽市立若竹小学校(2013年潮見台小と小樽市立桜小学校へ分割統合)
  • 小樽市立色内小学校(2016年北手宮小、手宮西小、手宮小と統合し小樽市立手宮中央小学校、小樽市立長橋小学校、稲穂小へ分割統合)
  • 小樽市立北手宮小学校(2016年色内小の一部、手宮西小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮西小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮西小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立天神小学校(2018年小樽市立奥沢小学校へ統合)
  • 小樽市立最上小学校(2018年)
  • 小樽市立緑小学校(2018年入船小の一部、最上小と統合し山の手小へ)
  • 小樽市立入船小学校(2018年奥沢小、花園小、山の手小へ分割統合)
  • 小樽市立豊倉小学校(2020年小樽市立朝里小学校へ統合)


(中学校)

  • 小樽市立富岡中学校(1957年旭ヶ丘中と統合し小樽市立西陵中学校へ)
  • 小樽市立旭ヶ丘中学校(1957年富岡中と統合し西陵中へ)
  • 小樽市立石山中学校(2002年
  • 小樽市立東山中学校(2002年小樽市立菁園中学校へ統合)
  • 小樽市立住吉中学校(同上)
  • 小樽市立塩谷中学校(2016年小樽市立長橋中学校へ統合)
  • 小樽市立末広中学校(2017年北山中と統合し小樽市立北陵中学校へ)
  • 小樽市立北山中学校(2017年末広中と統合し北陵中へ)

※wikipediaより

 

 

「旧小樽市立色内小学校」

 

開校:1901(明治34)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:1988(昭和63~平成2)年   

小樽市稲穂5丁目17番1号

 

2022年12月に再訪しました

印象的な青い外壁はもとより、校舎はすっかり解体されたばかりでした
無くなったら広い敷地だったことが改めてわかります

昨年の9月下旬から解体工事が始まってこの12月にはほぼ終了していました。

これからここには道営住宅が新築されるようですね。

 


このような碑や像があるのは知らなかった
これらはどこに行くのだろう

 

 

 

 

 


2022年12月撮影

 

 


色内小学校がある敷地は坂の町小樽でも勾配のキツイ坂道に建っており
正門はその坂道に面している。

坂の上と下に道路があり3方向から校舎を見ることが出来る
思ったより大きな校舎は何年の竣工かは現在不明
坂の下から見る青い壁が印象的だ。

この校舎は小樽駅前の国道5号線からも、青い壁面が目印で見える。

 

昨年12月の新聞にて道営住宅を建設することに決まったそうだ
予想では今年の解体、来年に建設予定です。

歴史のある学校が閉校したのは寂しいが、まだ校舎が現存している間は
地元住民も卒業生も眺めることが出来た
だが、これで本当に無くなるんだよねぇ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

 

「旧小樽市立石山中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2002(平成14)年
校舎:1957(昭和32)年竣工

小樽市石山町4-1

 

2022年12月に再訪しました

色内小学校の解体跡を見に行ったのですぐ上にある
石山中学校も見に行きました。

 

ここは変わらず入れないなぁ

 

石山中学校は小山の頂点にあるが、そこから石山町側に下る途中に何か見えた

 

徒歩で下ってみると校門があるではないか!
そうか、ここからも通学路になるんだ

 

うーん 行けば行けるけど住宅街の中の閉校内に立ち入り禁止のロープを超えていくと
往復中で住民から何を言われるかわからない 校舎まではあきらめる。

 

 

 


2022年12月撮影

 


石山中学校の場所は前記の色内小学校のさらに坂を上り切ったところにある
この校舎が有名なのは何といっても円形校舎だからであろう。

もう道内に数えるほどしか現存していない珍しい校舎
冬は入れるかなと思ったら厳重注意プラス積雪で断念!

せっかく来たのでどこかから覗けないかと近くの住宅街に入ると
ほんの一部だが円形校舎がチラ見えた

また色内小学校同様に国道5号線からも見えるが
現在は住宅が前に建ち全景は見えない。

いつか見学会とかあればぜひとも参加したいね
最近の小樽市なら解体の可能性もあるので情報を仕入れていよう。

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

「旧小樽市立桃内小学校」

開校:明治16(1883)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:昭和32(1957)年竣工

小樽市桃内1丁目167

 

桃内小学校の歴史は古く、元は個人の所有していた土地を寄贈し校舎を建てた。

桃内と言えば日本海側の漁村に多く見られる川が日本海にそそぎ
その周りに上流へ向かい家が建てられる
そして一番奥に学校がある 避難所の位置づけかもしれない。

塩谷を過ぎて余市へ向かう途中のトンネルとトンネルのわずかな間に集落がある
川に沿うように上流へ向かうと「会館」があった。
その前に広場、奥に碑がある。

ここが桃内小学校の跡地で広場は校庭だ
平屋の会館があるが、校舎はすでに解体され跡地に会館を建てたのだろうか?
碑は創立100年記念の碑である。

小学校があったことはわかるが
閉校したことが判ればもっと良かった。

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立塩谷小学校 伍助沢分教場跡」

開校:明治36(1903)年
閉校:大正11(1922)年
校舎:調査中

小樽市塩谷4丁目

 

分教場があったことを示すものは
「伊藤整 坂西志保ゆかりの地」と一緒にたてられている立札だけ。

日露戦争の戦地から戻った整の父、昌整(しょうせい)が明治38年に教員として赴任した土地で住宅兼教室であった。
ここで伊藤整は1歳から4歳まで過ごした。

当時は30人の生徒が一緒に授業を受けていたとある

昔は塩谷から天狗山中腹を通り、小樽市内に抜ける道路を「軍用道路」と言った 現在は「小樽環状線」というこの通り沿いに教室があった。

今は頭上には新しく開通した高速道路の陸橋がある
ちょっとした広場が伊藤整の住宅兼教室のあった場所だろう。

昭和54年、伊藤整の友人らにより「塩谷小学校伍助沢分教場跡」の標柱が建てられた。
この標柱はその後倒れ、繁った草むらに隠れていたが、このほど地元の伊藤整研究家の手で建て直された。

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立祝津小学校」

開校:明治9(1876)年
閉校:平成25(2013)年
校舎:昭和63(1988)年

小樽市祝津3丁目64

 

現在の校舎は東側に体育館、西側に教室が並んでいるが
西側の角はカーブを描いており、さらに変わった形の柱が付いてある
1本の表に回ってみたら柱に校名が記されてあった。

なかなか珍しい作りだ
魚が描かれたタイルも、波をあしらった校章も「海の町祝津」を表現している。

体育館はごく普通の造りに見えるが古くはない
現在も再活用が出来ぬか検討中のようなので、何とか利用できないものか。

グラウンドは1段下がった場所にあり対面には歴史的建物である「旧青山別邸」を臨める。

祝津小学校は小樽で初めてオープン教室をプランとして設計された学校で注目された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立住吉中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成14(2002)年
校舎:昭和42(1967)年竣工

小樽市住之江1丁目3-3

 

この界隈は国鉄南小樽駅があり、昔からの問屋街と言われた。

この校舎は小樽では現在でも珍しい高層箱型の中学校であった
狭い土地に建てたので上に高くなったこと、体育館は4階部分と吹き抜けになっていると推察する
校庭は今見ても狭く感じる。

見てわかるのは隣接して双葉高校があること
この学校は住吉中学校より古く歴史がある学校だ
その位置関係により住吉中も双葉高校の一部と勘違いされたとか

住吉中学校が平成14年に閉校するとその年に取得し、改修後の平成16年
双葉中学校として再スタートを切った。

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立塩谷中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和49(1974)年竣工

小樽市塩谷2丁目32

 

白樺並木を抜けたところに校舎がある
立ち入り禁止なので、柵前から撮影をした。

手前にあるプレハブらしき建物に閉校式典の看板が取り付けてあった。

看板といえば校舎前にも校名の立て看板がある
平成28年の閉校とはいえ、文字が見えなくなるのは間近のようで寂しく感じる。

校庭は1段下がったところ
閉校から6年の歳月は草ぼうぼうとなり自然に帰っている。

それにしても高原にあるかのような白樺並木を通って通学する校舎が
小樽にあったのは初めて知った。

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立末広中学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:昭和55(1980)年竣工

小樽市手宮2丁目6-1

 

末広中学校の場所は、前記の小樽市の建築探訪にある「旧手宮ターミナル」五差路のうちの一つ
手宮公園へ向けて真っすぐに登る坂道を行く。

てっぺんについたら右に曲がると先に見えてくる
地図では手宮公園の真裏にあたり建物が近くに見えない。

まさか熊が出るわけではないが、ここに通うには坂道と人気の少ない山林に
疲れと一抹の不安をおぼえないか。

校門が現存しており校名プレートもあった
校舎や体育館は再活用できそうで校章も付いたままだった。

初めて校舎を見たが4階建ての校舎がここにあるとは驚いたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立北山中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:平成元(1989)年竣工

小樽市赤岩2丁目23-1

 

北山中学校と末広中学校は開校と閉校が同時であり
位置は隣の学校である。

それなのに統合した新しい校舎は旧手宮西小学校の校舎を改築して使っている
両校とも使用できそうな校舎であるが、校舎のある地域が偏るのを避けるためもあるのだろうか。

北山中学は赤岩にあり小樽の中学校では最北にある
祝津、高島が近いので漁業関係者の子弟も多いだろう。

学校は坂下の校門からグラウンド、そして校舎と段々と高度が上がる
閉鎖された生徒玄関の向かいにモミュメントが残っている。

箱形の3階建て、よくあるタイプの校舎だ
ただ生徒玄関の端から先は解体されたような跡がある
おそらく体育館がここにあったのでは?

体育館だけ解体するのもおかしいような気がする
他でよく見たのは校舎は解体しても体育館は地元で使う用途があるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

「旧小樽市立入船小学校」

開校:1930(昭和5)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1976(昭和51)年竣工

小樽市入船3丁目19-1

 

入船小学校は平成30年の閉校なので、その役目を終えたばかり
入船町にあるが、小樽運河に近い1丁目から天狗山に向かって上り、松ヶ枝町に近い位置にある学校だった。

校門も新しく、学校名も残したままだ
ここから少し坂を登らなければいけない
登りきると生徒玄関があるが、すでに立入禁止である。

円窓が印象的な正面玄関だが、それ以外は特に特徴のない校舎です
校庭は前庭と後庭があるがバックネットがあり広いのは後庭

裏手の一部は一段高くなっており校舎と校庭を見下ろすことが出来る
ちょうど桜の季節に行ったので綺麗であり
段が付いているのは運動会などのギャラリースペースであったとのこと。

ここで子供を応援して、楽しみの昼ごはんをみんなで食べたのはいつ頃までだったのか。

 

 

旧校舎の職員玄関と前庭が写る珍しい写真です
それにしても当時は斬新なデザインであった。

2019年5月撮影

 

 

 

 

前回にも載せた「入船小学校」が解体されました
現場はすでに建物は少しも残っておらず、重機がならしていましたね

「旧小樽市立入船小学校」跡

 

開校:1930(昭和5)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:(昭和)年竣工

小樽市入船3丁目19-1

写真にある通り解体した後の利用が決まっており
この後に低区配水池の造成工事が始まります。

 

小樽市の上水道はいくつかの系統があり
この入船小学校の上部にある施設もそのひとつ

移動するのかはわかりませんが学校とグラウンド、校庭の敷地だから
広さはありますね

 

写真は昭和40年ごろの初代校舎で職員玄関にあたります

 

これが閉校時の2代目校舎、生徒玄関にあたります

 

入船小学校は88年の歴史の中で増改築をしながらも
玄関部分は2代で過ごしたようです。

 

歴史のある小学校は現在は真新しい校名プレートだけが
学校があった記になった。

 

2021年12月撮影