小樽市の閉校(小学校) 赤字はレポート済 青字は今回レポート
- 小樽市立富岡小学校(1969年小樽市立稲穂小学校と緑小へ分割統合)
- 小樽市立桃内小学校(1990年小樽市立忍路中央小学校へ統合)
- 小樽市立堺小学校(2006年稲穂小と小樽市立花園小学校へ分割統合)
- 小樽市立量徳小学校(2012年花園小と小樽市立潮見台小学校へ分割統合)
- 小樽市立祝津小学校(2013年小樽市立高島小学校へ統合)
- 小樽市立若竹小学校(2013年潮見台小と小樽市立桜小学校へ分割統合)
- 小樽市立色内小学校(2016年北手宮小、手宮西小、手宮小と統合し小樽市立手宮中央小学校、小樽市立長橋小学校、稲穂小へ分割統合)
- 小樽市立北手宮小学校(2016年色内小の一部、手宮西小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
- 小樽市立手宮西小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
- 小樽市立手宮小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮西小と統合し手宮中央小へ)
- 小樽市立天神小学校(2018年小樽市立奥沢小学校へ統合)
- 小樽市立最上小学校(2018年)
- 小樽市立緑小学校(2018年入船小の一部、最上小と統合し山の手小へ)
- 小樽市立入船小学校(2018年奥沢小、花園小、山の手小へ分割統合)
- 小樽市立豊倉小学校(2020年小樽市立朝里小学校へ統合)
(中学校)
- 小樽市立富岡中学校(1957年旭ヶ丘中と統合し小樽市立西陵中学校へ)
- 小樽市立旭ヶ丘中学校(1957年富岡中と統合し西陵中へ)
- 小樽市立石山中学校(2002年)
- 小樽市立東山中学校(2002年小樽市立菁園中学校へ統合)
- 小樽市立住吉中学校(同上)
- 小樽市立塩谷中学校(2016年小樽市立長橋中学校へ統合)
- 小樽市立末広中学校(2017年北山中と統合し小樽市立北陵中学校へ)
- 小樽市立北山中学校(2017年末広中と統合し北陵中へ)
(高校・専門学校・短大)
北海道小樽商業高等学校(2020年小樽工業高校と統合し北海道小樽未来創造高等学校へ)
北海道小樽工業高等学校(2020年小樽商業高校と統合し北海道小樽未来創造高等学校へ)
国立小樽海上技術学校(2022年国立小樽海上技術短期大学校に転換し閉校)
小樽短期大学(2008年)
※wikipediaより
「旧北海道小樽工業高等学校」
開校:昭和14(1939)年
閉校:平成30(2018)年
校舎:昭和58(1982)年竣工
小樽市最上1丁目29-1
小樽工業高校は小樽商業高校とともに昭和からある学校で
商都小樽には工場も多かったためどちらも生徒は多かった。
科目の性質上、工業は男子、商業は女子が圧倒的に多かった
その両校が2020年に統合し「小樽未来創造高等学校」として再スタートをきった。
校舎は小樽工業高校を使用している。
小樽工業高校の校舎は初めて見たが、こんなに大きな校舎とは思わなかった
やはりかつて生徒数が多かった名残であろう
小樽商業高校のOBも寂しいが小樽工業高校もこれからは「樽工」と呼ばれることが少なくなるんだなぁと思った。
2022年12月撮影
「旧小樽短期大学」
開校:昭和42(1967)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:()年竣工
小樽市入船4丁目9-1
小樽短期大学は昭和42(1967)年に「小樽女子短期大学」として開校した
私立大学である。
平成11(1999)年に男女共学の「小樽短期大学」となり平成20(2008)年に閉校となる。
現在は「小樽看護専門学校」と「エフエム小樽放送局」が入っている
なお「小樽看護専門学校」は採算悪化のため令和5(2023)年3月で廃止を検討したが小樽市が財政支援を決定した。
ただウィングベイ小樽への移転が検討されている。
「小樽女子短期大学」時代の校門が残っていた
位置からすると現在の校庭であろう場所に当初は校舎があったのではと思う
体育館には小樽短期大の名が残る
やはりこの学校は女子短大のほうがピンとくるだろう
新校舎はいつ建てたのかは不明だが二代目ではないかと思うがどうか?
2022年12月撮影
「旧廰立小樽高等女学校」
開校:明治39(1906)年
閉校:
校舎:()年竣工
小樽市花園
明治39年開校の古くからある学校で
開校当初が「庁立小樽高等女学校」
昭和22年(1947年)北海道立小樽高等女学校と改称。
昭和23年(1948年)北海道立小樽女子高等学校と改称。
昭和25年(1950年)北海道立小樽桜陽高校と改称。
現在の桜陽高校のルーツの学校であった。
昭和27年(1952年)花園町より清水町(現・長橋3-19-1)へ移転する。
現在のこの地には「小樽市立菁園中学校」がある
とはいっても菁園中学校自体も昭和22年開校で昭和27年にここに移転する。
現在の菁園中学校は新しく平成16年に竣工した校舎だ
その通学路にあたるスロープに記念碑が残されている。
旧高女の卒業生たち約500人により、記念碑を建立、平成6年除幕式を行った。
碑面には「廰立小樽高等女学校跡」と、台座には「しげりにしげるさくらをの」と校歌の一節が刻まれている。
また台座の下には500人の名簿が埋められているという。
ちょっとした高台になっているここからの眺めも良い
帰りに小樽駅から港を見ると大型フェリーが泊っていた
やはり小樽はどこから見ても眺めが良い町なんだな。
2022年12月撮影
「旧小樽市立北手宮小学校」
開校:昭和5(1930)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和54(1979)年竣工
小樽市梅ヶ枝町40-1
北手宮小学校は小高い丘の上にあり、通学路から小樽港が見えるロケーションです。
手宮小学校、手宮西小学校に続き手宮の名前を持つ3校目の開校であった。
この学校が有名なのは、なんと言っても「雪まつり発祥の地」。
昭和10年(1935年)、当時の校長のアイデアで第1回雪まつりが校庭で開催された
この時に大雪像が作られており、その後も児童、教職員で継承してきた行事である。
昭和25年(1950年)からの「さっぽろ雪まつり」の大雪像を作るアイデアは、この北手宮小学校の雪まつりから拝借したとされるので
すべての大雪像を含む雪まつりのルーツはここである。
その石碑が校門から入った右手にある
卒業生や地域の住民には思い出と誇りではないか
また以前は校舎内に雪まつりの資料室があったと聞くが現在はどうか
手宮の名を持つ3校が同時に統合し「手稲中央小学校」となる
校舎は手宮小学校を活用した。
また手宮西小学校は統合~閉校後に「北稜中学校」となった。
再活用が成されなかった北手宮小の校舎は現存しており、窓には閉校への文字が貼られている
が、ところどころ抜け落ちているのが時間の流れを物語る。
2022年12月撮影
「旧小樽市立手宮西小学校」
※閉校記念誌より
開校:明治42(1909)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:平成4(1992)年竣工
小樽市清水町5-1
手宮西小学校は統合~閉校後に「北稜中学校」として校舎が活用された
北稜中学校は旧北山中学校と旧末広中学校を統合~閉校させて作った学校である。
手宮地区は桜の名所である手宮公園のように海に向かって小高い丘が坂になって下る地形が多く、
手宮西小学校も眺めがいい場所である
過去には映画のロケ地にも利用された。
現存している校舎は近代的で、再活用されてしかるべき校舎であろう
冬季の訪問なので玄関前くらいからしか見ることが出来なかったが
校舎の裏手の山からみる景色や、桜の木の下に建てたといわれる閉校記念碑を見ることが出来なかった。
雪が溶けたらもう一度行ってみようと思う。
2022年12月撮影
「旧小樽市立手宮小学校」
※閉校記念誌より
開校:明治31(1898)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:平成5(1993)年竣工
小樽市末広町13-5
手宮の名を持つ3校の中で最初に開校した学校である
現在の住所は末広町で他の2校も手宮ではない
明治32(1899)年に小樽区に編入された当時は「手宮町」だったのであろう。
閉校記念誌に現在の校舎の一つ前の校舎の全景が写っているが
横に一直線の箱形で教室棟と体育館が一体化している
新校舎は以前のグラウンドに新築したようだ
過去同様の箱形の校舎であるが昔ほど児童が居ないので長さは短くなっている
グラウンドはその空いた右半分がスペースだ。
以前の面影は昭和12年建立の二宮像がしっかりと入り口に残されており
これからも登下校の児童を見守るかの如く建っているのが印象的であった。
※閉校記念誌より
「旧小樽市立富岡中学校」
※OB様のブログより
開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和32(1957)年
校舎:()年竣工
小樽市富岡1丁目5-10
富岡中学校の元は「稲穂女子小学校」であった
隣に「稲穂小学校」があるが戦前は男女同じ学校ではなかったために
小学校が隣接したようだ。
戦後の昭和22年「富岡中学校」となり女子学生は稲穂小学校に移った
小中学校の隣合わせである。
しかし児童数の増加により稲穂小学校だけでは手狭になり
昭和32年、富岡中学校を旭ヶ丘中学校と統合させ西陵中学校とし
校舎を旧旭ヶ丘中学校を使用した
そして空いた校舎を今度は「富岡小学校」とした。
別々の小学校がグラウンドを挟み隣にあったのである
(小樽市の閉校①にあり)
名称だけだと「富岡中学校」はわずか10年間しか存在しなかったのだ。
「旧稲穂女子小学校」「旧富岡中学校」「旧富岡小学校」があった場所は現在の「小樽市保健所」である。
2021年9月撮影
「旧小樽市立旭ヶ丘中学校」「小樽市立高等女学校」
※小樽市高等女学校 誌より
開校:大正10(1921)年
閉校:昭和32(1957)年
校舎:昭和57(1972)年改築(西陵中学時)
小樽市富岡2丁目26-1
現在は「小樽市立西陵中学校」になっているが元は
大正10年に「小樽高等女学校」として開校
昭和22年に「旭ヶ丘中学校」と改称し
昭和32年に「富岡中学校」と統合して校名が「西陵中学校」となった。
校名は素敵な名前であると思うが、わずか10年の名称であったことになる。
小樽の海を見下ろす高台にあるので環境は良いと思うが
毎日の通学は疲れそうでどうだったろうか。
現、西陵中学も校舎としては古くなり建て替えが必要に見えた
場所柄多くの卒業生がいると推察する。
入り口の校門には向かって右側に「西陵中学校」のプレートが
左側に「小樽市立高等女学校」のOB会によるプレートがあった。
旧稲穂女子小学校と同じく戦前は男女別に、戦後に男女一緒になり「旭ヶ丘中学校」となった
「旭ヶ丘中学校」を表すものはひとつも見つけるものは無かったが
両校とも当時の写真が現存していた。
2022年12月撮影
「旧国立小樽海上技術学校」
開校:昭和14(1939)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:昭和51(1976)年竣工
小樽市桜3丁目21-1
小樽海上技術学校は開校時は中学卒業者の船員養成学校として
「小樽海員学校」として開校した。
校舎は昭和51(1976)年に桜町に移転した際に建てられたもの。
その後、平成13(2001)年に「国立小樽海上技術学校」に改名
令和4(2022)年に「国立小樽海上技術短期大学校」になり、旧小樽商業高等学校の校舎(小樽市緑)に
移転し、旧学校は閉校した。
国道5号線を朝里から桜に入る途中を右折し急坂を登っていく
左側にある学校が閉校した旧校舎だ。
今年の閉校であるがすでに3年前から新入生の受付はしていなかったため
最後の利用者は少なかっただろう。
打ち付けられたベニヤが新しいうちに次の利用があればよいが
2022年12月撮影