2020年の8月くらいからレトロ・モダンな建物を撮影して来ましたが
この数年の間でも解体された建物がいくつかあります。
古い建物を中心に撮ってきたので解体されることが多いのは必然で
仕方がないと思いながらも素敵な建物が無くなるのは残念だなと思う。
このカテゴリーでは小樽市でこれまでに撮影したが、解体された古い建物を記録していきます。
「旧勢月菓子舗・いせや」
建設年:昭和3~4(1928~1929)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年11月~
住 所:小樽市錦町15
JR小樽駅前から小樽水族館へ行く道に個性的な建物があった。
旧勢月菓子補舗からいせやになったまでは確認できたが
店舗としてはかなり前から営業はしていなかったようだ。
残念ながら解体されたと小樽通のブログに載っていたので
忍路への帰途に寄ってみた。
建物はすでになく整地の段階であった
何らかの指定を受けていない建物は段々と減る一方だろう。
小樽の古い建物は運河近辺に集中しているが
旧手宮線を散策すると、小粒だが結構な古い建物がある。
2023年12月撮影
「三箇株式会社」
建設年:大正7(1918)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年9月~11月
住 所:小樽市色内1丁目8-22
旧越中屋ホテル(現UNWIND HOTEL&BAR小樽)とコインパーキングを挟んで並んで建っていた。
印象的なファサードとは別に横側にも特徴があった。
元々は「旧函館製網船具」として大正時代に建てられ、いくつかの補修、改修を経ている。
廻りには小樽を代表する大型建築物が多いので一役買っていたが
今年解体された。
2023年12月撮影
「旧上坂紙店」
建設年:昭和6~7(1931~1932)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年4月~7月
住 所:小樽市花園3丁目1-1-9
花園町は市役所や小樽公園、学校などの行政、教育施設が多いが
歓楽街や商店街も花園町の特色だ。
小さな店舗の集合体が多い中で上坂紙店の建物は異彩を放っていた。
スクラッチタイルが美しい独特のカラーとどっしりした玄関
奥行きは思ったよりあり最奥には三階建ての石蔵まであった。
解体後の訪問では石蔵のみポツンと残されていたが
現在はどうなっているのだろう。
2023年8月撮影
「旧銀の鐘2号館、3号館、4号館」
建設年:()年
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和5(2023)年6月~8月
住 所:小樽市相生町6-1
銀の鐘1号館は「旧中越銀行小樽支店」として大正時代に造られた
歴史的建造物であるが2号館~4号館は街並みに合わせたように後ほど建てられた。
小樽の観光店舗の一環として「銀の鐘」が増築した結果である
営業の方は結構前に休止していたと思ったが建物は新しく、
いずれ何かに転用されるかなと思っていた。
だが2号館~4号館が今年の夏にかけて解体された。
後から建てられたものだがデザイン性はあったのに
ほとんど撮影しなかったのは失敗であった。
左側が4号館~3号館~2号館となり境町通りに出る
「旧山室商店」
建設年:大正14(1925)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年3月
住 所:小樽市稲穂3丁目2-11
レトロ建物好きには小樽のこの建物は人気があった。
「小樽典礼斎場」の駐車場の間にポツンとたたずむ
とても気になる建物。
木造3階建てで腰折れ屋根と同じく窓型もそうだ
2階正面の壁にはうろこ状の模様になっておりあまり見ることがない
1階正面は商店の玄関と階上への入り口に見える。
側面と裏面は板張りとトタンになっているが、トタンは後貼りかも知れない。
小樽市の古い建築物の資料では「旧山室商店」の名になっていた
撮影時は3階の窓ガラスの割れた箇所から鳩が出入りしていたので
きっと中は惨憺たる状況だったのでは?
奥行きのある建物だったので余計に解体された正面部分が小さく感じた。
2023年12月撮影
「小町湯」
建設年:明治15(1882)年
撮影年:令和4(2022)年10月
解体年:令和4(2022)年11月~12月
住 所:小樽市信香
よく参考にしている小樽在住の方のブログで解体が判明した
もうすでに更地になっていると思ったが、まだ廃棄物は残っていた。
また奥の3階建て建物も併せて解体されていたので小町湯さんの所有物だったのかも?
それにしても魅力ある古い銭湯が廃業し解体されるのは辛いものがある
小樽には現役銭湯は他に5軒だそうだが、特徴あるレトロ建物ではなさそうだ。
小町湯は2021年10月に閉業していた。
2020年10月撮影
この日は工事は休みだった
2022年12月撮影
「旧小樽市立色内小学校」
建設年:昭和63(1988)年
撮影年:令和3(2021)年12月
解体年:令和4(2022)年11月~12月
住 所:小樽市稲穂5丁目17-1
色内小学校は明治34(1901)年に開校した歴史のある小学校
この校舎を解体して道営住宅を建設するのは当初の予定通りであった。
やはり多くの卒業生からすると寂しいことだろう
きつい勾配の坂道途中にあり、小樽駅前からも校舎に描かれた水色の壁画が見えていた。
学校はすでに平成28(2016)年に閉校している
趣きのある校門はどうなっただろうか。
2021年12月撮影
2022年12月撮影
「中央バス手宮ターミナル」
建設年:昭和40(1965)年
撮影年:令和4(2022)年3月
解体年:令和4(2022)年7月以降
住 所:小樽市手宮2丁目1-1
令和4年の3月いっぱいで廃止、待合室のみ6月まで使用可能であった。
ちょうど所用があったので現役の姿を収めに行くことが出来た。
多くの道路が交わる場所にあったのでターミナルとしての場所としては申し分なかった。
特別な造りの建物ではなかったが、以前からの利用客からすると無いとなにか変
そんな感情があったのではと思った。
2022年3月撮影
2022年12月撮影
「カトリック富岡教会 司祭館」
建設年:昭和4(1929)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和4(2022)年夏?
住 所:1丁目21-25
FBへの投稿によりわかった
教会自体は再塗装などで綺麗になっているが司祭館のほうは
以前から使用してなかったように見えた。
新築するのか倒壊防止かは不明
教会裏手にひっそりとあった司祭館だったが良さげな建物であっただけに非常に残念だ。
2023年8月撮影
「近藤商店」
建設年:大正初期
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和4(2022)年7月
住 所:小樽市稲穂2-13-15
近藤商店は小樽市のいわゆるガラス屋さんの草分けで
主に小売店や工務店にガラスを卸していた。
やがて板ガラスはサッシに変わり割れないものになった
一般のガラス屋さんは商売にならず、またそこに卸していた
問屋さんも苦しくなる。
元はガラス工場だったこの建物も平成3(1991)年にレトロ風建物に
改修されレストラン運営を始めたがここ数年は未使用のまま置かれていた。
現在は更地のようである。
隣の和田時計店と2店舗のファサードが変わっている造りだった
「仲谷工業」
建設年:?
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年
住 所:小樽市色内
こちらの情報はFBからの情報。
龍宮神社前の通り、龍宮通りに面している
ここは色内町で小樽市でも古くからの建物が多いところ
仲谷工業の建物は特に歴史的建造物に指定されているわけでもないが
外壁のスクラッチタイル、2階の窓越しに見える手すりの意匠など
個性があると思い撮影していた。
以前は両隣にも建物があったが、この仲谷工業が無くなったので
広く土地が空いた。
さらに心配なのは2軒隣の歴史的建造物、旧戸羽商店の動向である。
「旧H氏邸」
建設年:昭和11(1936)年
撮影年:令和2(2020)年11月12月、令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年
住 所:小樽市富岡
こちらの住宅の情報もFBによります
確か富岡教会を見に行った時に見えた、高台にあるこちらの住宅が気になった。
「売物」ののぼりがある和洋折衷の造りの家である
また山側には蔵もあり住宅同様に歴史的価値のある家と知った。
それが解体されたという
古い建物ゆえ住宅には価値を認めず土地の有効利用かも知れない
数か月後には結果が出ていることだろう。
2023年8月撮影
「米華堂」
建設年:昭和3(1928)年
撮影年:令和2(2020)年8月
解体年:令和3(2021)年6月~7月
住 所:小樽市花園
小樽の老舗洋菓子店、米華堂が2021年の3月に閉店した
営業している小樽の洋菓子屋で一番古いお店だった
その後数か月での建物解体は予定になっていたのだと思う。
撮影時は営業をしていたが利用をしなかったのが少し悔やまれる
というのも小樽の老舗では「館」や「あまとう」は結構利用しているが
米華堂は一度も利用したことが無かったからだ。
解体には両隣も一緒に取り壊わされた
左の「宮町富高堂」は移転、右隣りの「寿司屋すし勘」のその後は不明だ。
「旧小樽市立入船小学校」
建設年:昭和51(1976)年
撮影年:令和元(2019)年5月
解体年:令和3(2021)年10月~12月
住 所:小樽市入船
入船小学校は解体された色内小学校より後の昭和5年開校であり
平成18(2030)年に閉校している。
最後の校舎の竣工は昭和51年だが、この一つ前の校舎がデザイン性に富み素敵な校舎であった。
解体の理由は入船小学校のグラウンド上部に「低区配水池」があり
ここが築100年を超えており耐震化を含めた更新が必要であること。
小学校はすぐ近くであり敷地も十分であることから
跡地に「低区配水池」を新設することに決まった。
市民の大事な飲料水でありその役目は大きい
古く活用の目途が立たないのであればこのような用途で
解体するほうが良いのかも知れない。
2021年12月撮影
先代校舎 昭和40年ころ
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