札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 豊浦町の閉校 ※1校を追加しました

2024-10-20 22:06:25 | 木造校舎・廃校

wikipediaより

小学校  赤字は今回訪問 青字は過去訪問

  • 豊浦町立桜小学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉小学校(1980年休校、2000年廃校)
  • 豊浦町立美和小学校(2005年)
  • 豊浦町立新富小学校(2003年休校、2006年廃校
  • 豊浦町立大岸小学校鉱山分校(1942年3月に大岸国民学校小鉾岸分教場として開校したが、1943年(昭和18年)廃止され、1944年に豊浦青年学校が開校。1947年(昭和22年)に再度廃校となって跡地に大岸中学校として開校した後、1952年に大岸中学校が廃校して移転したことに伴って、再び大岸小学校鉱山分校として改めて開校した。2007年に3度目の廃校となり、大岸小学校へ統合。)
  • 豊浦町立山梨小学校(2007年豊浦町立豊浦小学校へ統合
  • 豊浦町立新山梨小学校(同上
  • 豊浦町立大和小学校(2012年豊浦小へ統合)

中学校

  • 豊浦町立新山梨中学校(1972年豊浦町立豊浦中学校へ統合)
  • 豊浦町立新富中学校(1972年)
  • 豊浦町立美和中学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉中学校(1980年)
  • 豊浦町立札文華中学校(2005年豊浦中へ統合)
  • 豊浦町立大岸中学校(2006年豊浦中へ統合)

高等学校

  北海道豊浦高等学校(2006年北海道虻田高等学校へ統合)

 

 

 

「旧豊浦町立大岸小学校鉱山分校

 

開校:1942(昭和17)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸442-2

ナビは「豊浦町いちご分校」

 

鉱山分校ではあるが山の中にあるとかではなく
畑の中にある学校だった。

この豊浦町大岸では1921(大正10)年に金鉱が発見され発掘していたが
1942(昭和17)年に閉山となった。

分校も閉山の翌年1943(昭和18)年に一度閉校となる
その後、大岸中学校が使用していたが、廃校により分校が復活する
そして2007(平成19)年に廃校となった。

 

国道37号線から道道32号線に入り、車で2~3分後に分校に着く
近くには高速道路の豊浦ICがある。

 

敷地入り口に「いちご分校」の標示がある

 

校舎は綺麗で新しく見えるが、外観自体は以前の校舎のような古い型だ
体育館でL字型になっている

これは昔からの校舎と同じで、おそらく外観は昔とそんなに変わらないのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

現在は「豊浦町地域産業連携拠点施設 いちご分校」として町の農業の発展、地域のコミュニティに一役買っている。

 

校舎まで行き、インターホンを押して撮影の許可をもらおうかと思ったら誰も出ず
また撮影中でも誰も現れなかった
可能であれば内部見学もしたかったが無理だろうなぁ。

 

ここは校庭だった。


※2024年10月17日撮影

 

ここから過去レポート

 

「旧豊浦町立礼文華中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:調査中()年

豊浦町礼文華169

ナビは「豊浦町立礼文華小学校」

 

長万部町の静狩から国道37号線で山越えに入る

豊浦町に入り、礼文華の町へ向かい右折して太平洋を目指す
ナビは集落の手前にある「礼文華小学校」
この小学校のとなりに旧礼文華中学校校舎があった。

鉄筋コンクリート2階建てでプレート付校門も健在
玄関前にある松の木だけが和風を感じさせる

 

 

昭和22年の開校当時と思われる門柱も残っていた
以前はここが正面玄関だった証だろう

 

横側にあるガラスを多用した壁が印象的
裏手には雑草だらけのグラウンドがある

 

また表に戻り体育館と用具室に使われたか小さな小屋があり学校の敷地は終わる

 

スィッチバックのようにグラウンド側を進む道路があったが時間がなく止めた。

 

このスタイルの校舎は特徴を見つけるのが中々難しいが
やはり横側にあるガラス壁が一番印象深かった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

 

「旧豊浦町立大岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸116

ナビは「旧豊浦町立大岸中学校」

 

旧礼文華中学校を後にし、次の目的地である大岸の町を目指す
ナビはしっかりと海岸沿いの道を示しており、キャンプ場もある景色のよいところを走るはずだった。

ところが海沿いを走って数分で工事中のため通行止めになっていた
仕方が無くUターンし結局はまた国道37号線に戻った。

 

大岸の町も礼文華の町のように国道から右折し太平洋を目指す
ナビ通りに着いたのは校舎の裏側だった

 

 

すると、先の旧礼文華中学校と同じガラスの壁が現れる
まさか礼文華に戻ってきた?
と錯覚するほど校舎もそっくりだ

 

だがここには記念碑があった
記念碑には最後の在校生の名が彫られていた
うれしいだろうなと思いながらも、その1年前に卒業した子は残念だなとも思う

 


町の造りも中学校の校舎も礼文華と似ているなと思ったら
両校の開校は一緒だ
どちらも旧校舎を解体してコンクリート造りの校舎にしたようだが
それも同時期だったので同じ仕様にしたと考えるのが妥当かな?

 

ただ体育館に描かれた絵と、こちらには周りに民家が少ないので
閉校した今は静かすぎて怖いくらいだったのが印象に残る。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧豊浦町立豊浦高等学校」

 

開校:1950(昭和25)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町船見町123-2

ナビは「豊浦町立豊浦中学校」

 

旧豊浦高等学校の校舎は現在「豊浦中学校」が使用している

どちらも町名である「豊浦」が付いた学校なので、場所は豊浦町の中心部になるだろう

今回は夏休みということもあって道路からすぐ入れる駐車場にいれさせてもらった。

建物はやや古さを感じるが、まだまだ使用できるだろう

前の2中学校と比べて活用されている建物はやはり違う
しかも部活があるようで、物音が聞こえるとほっとする

 

現役の中学校の校舎ばかり撮っても仕方がないと思った矢先
一番奥に何かの碑を見た

行って見るとこれはまさしく「旧豊浦高等学校」のものだった

 

そうだよね 

再活用はうれしいが卒業生にしてみれば何か残してほしいものだろうね

 

2024年7月26日撮影

 

 

ここから過去訪問

 

 

「旧豊浦町立桜小学校」

開校:1896(明治29)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:調査中()年

豊浦町桜


国道285号線が97号線と交わる場所に小学校があった。

桜小学校は豊浦町で一番最初に閉校になった学校
明治29年の開校当時はこの辺も、住んでいる人が多かったのだろう。

学校は体育館が現存しており、連続する棟は旧校舎なのか増築なのかは不明だ
校舎だとしたらとても小さな学校になる。

1段高くなった場所に碑が3つ 一つが閉校の碑だが、裏面が見ずらい。

すぐ横の森が迫ってくるようだが大木があった
シンボルツリーなら旧体育館の前のがそうであろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 



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