札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 当別町の閉校② ※5校を追加しました

2023-05-03 00:06:18 | 木造校舎・廃校

当別町の閉校(小学校) 赤字はレポート済 緑字は今回レポート

  • 当別町立獅子内小学校(1951年8月1日太美小と統合し当別町立西当別小学校へ)
  • 当別町立太美小学校(1951年獅子内小と統合し西当別小へ)
  • 当別町立材木沢小学校(1965年当別町立当別小学校へ統合)
  • 当別町立三番川小学校(1971年青山中央小へ統合)
  • 当別町立四番川小学校(1973年青山中央小へ統合)
  • 当別町立青山小学校(1975年弁華別小へ統合)
  • 当別町立二股小学校(1975年青山中央小へ統合)
  • 当別町立金沢小学校(1989年当別小へ統合)
  • 当別町立高岡小学校(1991年西当別小へ統合)
  • 当別町立青山中央小学校(2000年弁華別小へ統合)
  • 当別町立川下小学校(2004年当別小へ統合)
  • 当別町立中小屋小学校(2006年当別小へ統合)
  • 当別町立蕨袋小学校(2007年当別小へ統合)
  • 当別町立東裏小学校(2008年当別小へ統合)
  • 当別町立弁華別小学校(2016年当別小へ統合)
  • 当別町立当別小学校(2022年当別中へ統合し、当別町立とうべつ学園(義務教育学校)へ)

(中学校)

  • 当別町立高岡中学校(1963年当別町立西当別中学校から独立するも、1968年再統合)
  • 当別町立当別中学校四番川分校(1967年青山中央中へ統合)
  • 当別町立三番川中学校(1971年青山中央中へ統合)
  • 当別町立二股中学校(1975年青山中央中へ統合)
  • 当別町立青山中央中学校(2000年弁華別中へ統合
  • 当別町立中小屋中学校(2005年当別町立当別中学校へ統合)
  • 当別町立弁華別中学校(2016年当別中へ統合)
  • 当別町立当別中学校(2022年当別小と統合し義務教育学校の当別町立とうべつ学園へ)

※wikipediaより

 

 

「旧当別町立太美小学校」

 

 

開校:1896(明治29)年
閉校:1951(昭和26)年
校舎:()年竣工

当別町ビトエ593(記念碑所在地)

 

当別町の小学校の開校は早く、明治12年の当別小学校から大正5年の村木沢分校まで16校が開校している。

太美小学校は明治29年に開校している
仮校舎は草ぶきの校舎で当別尋常小学校の第三分教所の位置づけだった。

しかし明治31年の大水害で破損し、移築することになった。

 

この石碑の向こうは石狩川で、なるほど水害もあり得る場所だ
ここにはほかに「牛馬頭観世音」「開拓百年記念」と何かわからない小屋状のものがある。

 

 

 

 

 

 

石碑の裏には学校の移築先が記されており、国鉄太美駅が出来たため
街の中心が徐々にそちらに移っていった経緯が記されている。

 

石碑にある校舎は現在、写真では1枚も見たことがないものだ
さすがに閉校が早いと写真の類は無いのだろう。


2023年4月撮影

 


移築先は現在の地図では囲いのあたり 学校の痕跡は見当たらない
ロイズ工場とロイズの駅が近い場所であった ここで閉校している。

 

 

 

「旧当別町立獅子内小学校」

 

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1951(昭和26)年
校舎:()年竣工

当別町太美町1481(西当別小学校)

 

獅子内小学校は太美小学校から4年遅れて開校し、同時に閉校して新たに
「西当別小学校」となった。

以前から統合の話はあったが、昭和25年に校舎が全焼したのがより契機になった。

西当別小学校は昭和26年開校の現役校である
校舎の改築は済んでいるが、古いものと思われる門柱(現在とは別の位置にある)と二宮像が健在だ。


こちらは新しいほうの校門

 

 

 


こちらが古い方の校門と入り口だったのであろう

 


2023年4月撮影

 

 

獅子内小学校は現在のところ小学校の閉校記念碑や痕跡も見つけることが出来ず
もちろんあった場所も当時の住所しかわからない(現在の住所と違う)

手がかりは「獅子内小学校は字獅子内の16線と17線の中間の山の下にあった学校である」の一文を見つけた。

 

画像は「地理院地図」より「1961年~1969年」の航空写真である

「字獅子内」で「山の下にあった学校」をヒントに見てみるとなんとなく
それらしきものが見える(+の箇所)
ただ校舎は1951年に焼失しており1961年~の写真に映ることは無いだろうが…

これは現地で調査が必要であった 札幌から近いので機会を見て行こう。

 

 

 

 

「旧当別町立青山小学校」


※当別町史より

 

開校:1901(明治34)年
閉校:1975(昭和50)年
校舎:()年竣工

当別町ふくろう湖

 

青山小学校は当別ダムの完成によって出来た「ふくろう湖」に沈んだ学校だ。

夕張市でもシューパロダムの完成によりいくつもの学校が沈み、町も消滅した
これは全国でもたくさんの例があるだろう。

青山地区にはもう1校、青山中央小学校があったが弁華別小学校の方が距離的に近く、統合された。

後には両校ともすでに閉校している。

 

「地理院地図」の「1974年~1978年」の航空写真では校舎が現存していた
赤い囲みが校舎で黄色い囲みが現在の展望所である。

畑や道路など学校と一緒にダム湖に沈む

 

訪問時は少し前まで雨が降っていたようでダムから豪快な放流が見れた
管理所のとなりに駐車場と展望所がある

 

 

 

 


駐車場の一番奥から上流付近を見て山がせり出している下に校舎があった。

 


2023年4月撮影

※さらに上流へ車を走らすと、すぐの橋に「学校の沢」と表記があった
おそらくこの沢から正面に青山小学校があったと思われる。

 

 

 

 

「旧当別町立弁華別小学校」再訪

 

開校:1892(明治25)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:()年竣工

当別町弁華別243

 

弁華別小学校は個人的に一番好きな木造校舎であり、閉校校舎だ。

前回は秋に撮影し、黄色く色づくイチョウがとても見事であった
今回は桜を期待したが、それはなかったようだ。

 

さて、以前にここを通りかかった時に校庭での工事を見た
その確認もあったのだが、やはり建物が建っていた。

部外者が何を言っても意味がないが、あの広い校庭のハジからみる校舎も
良かったなぁ

 

 

 

 

あら二宮さんも囲まれた

 

建物を背にギリギリで撮ったのがこれ


2023年4月撮影

 

この日は日曜日だったので容易に入れたが、平日はどうなんだろうか
閉校とはいえ町立の学校敷地なので町の施設と思いたいが…

 

 

 

「旧当別町立弁華別中学校

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2016(平成28)年
校舎:1986(昭和61)年竣工

当別町弁華別429

 

弁華別小学校を越えるとすぐ右折し橋を渡ると弁華別中学校の校舎がある
小学校から徒歩で数分の距離だ。

開設当初は小学校の一部を使用する併置校であった
昭和24年に独立校舎が完成
昭和27年に現在地に移転
昭和61年に現在の新校舎が竣工している。

その後、平成28年に当別中学校に統合され閉校した。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年4月撮影

 

竣工から37年の校舎はまだ新しく再利用できるはず
だが活用を待つ間にも建物の痛みが出るかもしれない。

黄色にえんじ色の縁取りされた校舎はとてもきれいだ
また小学校では気づかなかった桜がここでは正門前に咲き誇る

門は赤レンガと石の2種があり、古い写真を見ると石の門のほうが正門であろう。


※当別町史より

 

次の活用を期待したい。

 

 

 

「旧当別町立中小屋小学校」               

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1990(平成2)年
校舎:2006(平成18)年竣工

当別町中小屋


旧中小屋小学校は当別市街地から向かうと国道275号線の左側にある

以前はもっとその特徴的な校舎が車内からも見えていたと思ったが…
現在は新しい門がつけられている
その陰から校名プレートが見えた。

 

 

 

 

 

現在はフリースクールが活用しているので撮影はすべて敷地外からズームで

閉校の碑もあり
グラウンドやバックネットもそのままのようだ

 

 

 

 

校歌に阿蘇の山脈とあるのが不思議に思った

 

 

とにかくお洒落な校舎に閉校のイメージが無い
再活用は必然であろう。

 

 


2021年10月撮影

 

旧校舎


*北海道の開拓と建築より

 

 

 

 

「旧当別町立中小屋中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:1978(昭和53)年竣工

当別町中小屋


中小屋地区の学校は元は小中一緒の校舎であった
中学校は国道275号線を挟んで中小屋小学校の向かいになる。

以前は国道前に校門や門柱があったのかも知れない
現在は建築資材などの置き場に使われている。

 

 

 

校舎の裏手に廻ることが出来る
教室と思われる1階窓部分には板が打ち付けられている

 

 

 

体育館の裏まで回れる

 

閉校の碑があり
シンボルツリーらしき木も残っている
もうしばらくは校舎も残りそうだ?

 

 

 


2021年10月撮影

 

 

 


木造校舎・廃校 札幌市の閉校⑦ ※旧篠路高校、旧拓北高校を追加しました

2023-05-01 10:11:46 | 木造校舎・廃校

札幌市の閉校(小学校)  ※赤文字はレポート済 ※緑文字は今回レポート

中学校


高等学校
 北海道札幌石山高等学校(1980年北海道札幌平岸高等学校〈現:市立札幌平岸高等学校〉へ統合)

※wikipediaより

 

 

 

「旧北海道札幌篠路高等学校」

 

開校:昭和61(1986)年
閉校:平成25(2013)年
校舎:昭和61(1986)年竣工 

北区篠路町篠路372-67

 

札幌市も少子化により小中高等学校の再編が進み
平成23(2011)年には手稲区の道立稲西高と道立稲北高が統合し「あすかぜ高校」となる
そして平成25(2013)年に道立篠路高校と道立拓北高校が統合し「北海道札幌英藍高等学校」となった。

校舎は旧篠路高校を再利用している
篠路高校時代に通りかかったとき生徒さんが道路のごみ拾いをしていて
感心した記憶があった。

 

校舎は無駄の無い箱形で、良い意味では合理的 悪い意味では面白みがないデザインかと思う
学校の周りは原野や牧草地などが広がり、住宅も少ない場所にある。

新校舎をこちらに選んだ判断は知らないが、地理的により札幌市内中心部に近いからだろうか

 

 

 

 


2023年4月撮影

 

 

 

「旧北海道札幌拓北高等学校」

 

開校:昭和63(1988)年
閉校:平成27(2015)年
校舎:昭和63(1988)年竣工 

北区あいの里4条7丁目1-1

 

上記の篠路高校と統合し閉校した。

篠路高校と竣工は2年しか違わないのに、校舎のデザインの違いは大きい
ただ真横から見ると普通の箱形に見える。

それでも私の記憶ではお洒落な学校が出来たものだと覚えている
場所が「あいの里公園」に隣接しており国道337号線の向こう側は当別町である
このような地理的な状況により統合後の校舎は篠路高校になったのではと推察する。


旧篠路高校は2013年に「北海道札幌英藍高等学校」となったため閉校したが
旧拓北高校は2年生、1年生の卒業を待って閉校したので2年のずれがある。

 

現在は2016年から「北海道札幌あいの里高等支援学校」が再利用している。

 

 

 

 

 

 


2023年4月撮影

 

 

 

「旧札幌市立もみじ台南中学校」

 

開校:昭和54(1979)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:昭和54(1979)年竣工 

厚別区もみじ台南7丁目-3


本来であれば「札幌の閉校③」が厚別区分なのでそちらに組み入れたかったが
閉校数が多くて入りきらなかった。

もみじ台南中学校は札幌市で60番目の中学校として開校した
場所は南隣が北広島市、東隣が江別市と札幌市のハジである。

閉校時の生徒数は各学年が1クラスづつ、特別支援学級が2クラスで
堂々たる校舎に比べて最後は随分寂しい校舎になったようだ。

閉校が令和4年3月、今回の訪問は令和5年の3月 1年の間に跡形なく取り壊しされた。
しかも塀が嵩上げされており、次の利用のために工事したように思える。

当然グーグルストリートビューには校舎の写真が残っている
現在の学校の面影はわずかに正門前(校名プレートは無し)、それと昨秋と思われる銀杏の実が落ちていた。

イチョウの木が学校敷地内にあった証であろう
もっと早くに来ていれば良かった もしかするとこれから閉校記念碑が出来るかも知れない。

 


※2022グーグルストリートビューより

 

 

 

 

 


2023年3月撮影