札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 寿都町の閉校①

2024-11-21 23:06:56 | 木造校舎・廃校

 

※wikipediaより 赤字は今回レポート 

小学校

中学校

  • 寿都町立寿都中学校〈旧〉(1979年統合により寿都町立寿都中学校〈新〉へ)
  • 寿都町立樽岸中学校(同上)
  • 寿都町立湯別中学校(同上)
  • 寿都町立歌棄中学校(同上)
  • 寿都町立磯谷中学校(同上)

 

寿都町は積丹半島の南、寿都湾に面した町で中心地である海沿いと山岳地区がある。
古くから鰊漁で賑わい北部の海沿いには漁関連の歴史的建物が並ぶ
また風力発電が盛んな風の街でもある。

閉校の多くは海沿いにあり、山側を上り小高い場所に学校があった
やはり海沿いは土地が狭いこと、住民の避難場所でもあるので高い場所になったのだろう。

 

 

「旧寿都町立磯谷小学校」


※寿都歴史写真集より 旧校舎

 

開校:明治12(1879)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:昭和3(1928)年(旧校舎)

寿都町磯谷町能津登15

ナビ「寿都町 海神社」

 

岩内町から南下し寿都町に入る
寿都湾を望みながら海沿いを快適に走る

やがてナビ先の「海神社」に到着
ここには「磯谷小学校」と「磯谷中学校」の校門と二宮像があった。

 

 

 

 

 

 

 

坂を登っていくと右側にぽっかりと平地がある
ここが「磯谷小学校跡地」で校舎ほかすべて解体済である

 

 

 

 

 


プレハブ以外は何も無く、正面に校舎があったのだが
知らなければ分からない。

 

登ってきた坂道のちょっとだけ上に反対側への進入路がある
ここが「磯谷中学校跡地」で、大きな電気関係の施設と記念碑以外は何もない

だがここにある百周年記念碑は「小学校」の記念碑だった。

 

 

2024年11月3日撮影

 

 

 

「旧寿都町立磯谷中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:昭和54(1979)年
校舎:昭和25(1950)年

寿都町磯谷町能津登15

ナビ「寿都町 海神社」

 

目と鼻の先の「磯谷小学校跡地」から少し登った反対側に進入路があり、雑草に覆われた平地がある

ここが「磯谷中学校」の跡地だ

 

大きな電気施設?と記念碑があるが、これは「磯谷小学校」のもの

 

 

 

 


小学校が向かいの場所に移設した後の校舎を中学校として活用した
百周年記念碑は最初にここにあった「小学校」に対して造られたのだろう
記念碑のすぐ後ろに校舎が建っていた。

それにしては中学校も独立校舎なのに、何らの碑や痕跡が無いのも寂しいものだ

 

晴れた日は海が綺麗に見える場所だ。

 

 

 

 

 

2024年11月3日撮影

 

 

「旧寿都町立横澗小学校」


※寿都歴史写真集より

 

開校:明治15(1882)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:(確認中)年

寿都町磯谷町横澗1128

ナビ「横澗小学校閉校記念碑」

 

横澗小学校も海沿いから山側の高台に上がった場所にあった
上記の航空写真で「ヨコマ」の人文字は校庭である。

校舎があった場所は現在は「寿都浄恩学園」になっていた

そこから1段降りた場所が校庭で
記念碑はここにある。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横澗の集落は現在もあり、漁港も他に比べると大きく感じた

磯谷小中学校同様に、漁師の集落だったようだが結構な高度にあるので
農業や牧畜もあったと推察する

何でも不漁とともに人が去り子供も減って閉校したとある。



ここも海が見える学校だった

 

2024年11月3日撮影

 

 

「旧寿都町立美谷小学校」

 

開校:明治15(1882)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:(確認中)年

寿都町歌棄町

ナビ「美谷稲荷神社」

 

南下を続けるたびに山側に登り閉校を訪ねる
美谷地区は小さな漁村で漁港も横澗に比べると小さい

 

「美谷小学校」も同様に山へと登っていく

ここの入り口は狭く、ここで良いのか一瞬躊躇した
目印は下の表示がある細い小路を登る。

 

※ナビにした「美谷稲荷神社」が右に屋根が見える
そこまで南下して行くと行き過ぎになる

 

やがて眼の前に校舎が見えた

 

以前はここにバックネットがあった

ここは木造板張りの校舎と体育館、それと教員住宅と思われる建物が現存している

 

 

 

 

あいにく雲が多くなり暗くなった
しかし正面玄関の木枠に塗られた色などが明るくお洒落に感じる
それに懐かしさもある素敵な校舎ではないか

 

記念碑は百周年の記念碑

 

体育館は破損やガラス割れがあるのは致し方ないのか

 

 

 

 

倉庫か何かに使用していると思うが、付近には誰もおらず聞きようがなかった

 

 

校庭から高くなった場所
ここは教職員住宅だったろうか

 

「美谷小学校」は今回の閉校巡りでメインと言える素敵な閉校校舎であった。

 

 

2024年11月3日撮影

 

 

「旧寿都町立歌棄小学校」


※寿都歴史写真集より

 

開校:明治12(1879)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:(確認中)年

寿都町歌棄町歌棄346-1

ナビ「歌棄小学校閉校記念碑」

 

これまで海沿いの町を南下しながら山側に登り閉校跡を見てきたが
「歌棄小学校」は海沿いの平地に学校があった


現在は会館があり、その奥にポツンと記念碑があるだけ

 

 

記念碑がある場所は校庭で奥の山の手前に校舎があった。

こちらも百周年の記念碑だ

 

 

 

かつては校舎が山側に近い場所にあり、海側に校庭があった
なぜここは高い場所の学校ではなかったのだろうか

単に平地があったこと、山側に平地がなかったということだろうか

 

 

歌棄は近辺では有数の鰊漁場であった
有戸漁港など港もある
寿都町は歌棄から平地が開けてゆく。

 

2024年11月3日撮影

 

 



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