紹介の順番は北海道新聞社発行の「道南・道央の建築探訪」(2004年発行)のNO順で行きます。
もはや20年近い前の本なので現存していない建物もあり
寿都町で確認したところ5軒の掲載があった
うち1軒が改築済のためパスした。
すべてが日本海沿いにあり、寿都町市内に入る手前にある。
「宮澤商店」 *道南・道央の建築探訪NO74
改築済のため未訪問
ナビ「」
「旧岡田倉庫」 *道南・道央の建築探訪NO75
ナビ「元祖かき小屋」
岩内町から日本海沿いに国道229号線を南下すると
突然大きなレンガ倉庫を見る。
よく見ると奥にも縦型の違うレンガ色の倉庫があり
その間に「元祖かき小屋」が営業していた。
ちょうどお昼に近かったこともあり、海側の駐車スペースには結構な数の車が停まっていた。
これは大きな倉庫だ
倉庫の中でもガスが使用できる?
年数を経ていい色合いになっていると思う
元は鰊漁を営んでいた岡田家のもので
倉庫の間(現在の元祖かき小屋)には大きな主屋があったとのこと
大きな倉庫には鰊や漁具を、小さい方には貴重品を入れていた。
隣と比べると小さいが、堂々としたレンガ倉庫だ
主屋と繋がっていたのだろうか
耐性のあるレンガ倉庫だけが左右に残っている
常に潮風にさらされる場所なので木造だと維持が難しいのだろう。
2024年11月3日撮影
「厳島神社本殿」 *道南・道央の建築探訪NO76
ナビ「寿都町 厳島神社」
「カクジュウ佐藤家」の隣にあるのが「厳島神社」
国道沿いに鳥居がありそこから少し山側へ登ったところに拝殿がある
実際には拝殿の奥に小さく本殿があるが、予備知識不足で裏まで廻って見てこなかった
本殿は大正12年に新築された。
灯篭は隣の佐藤家寄贈の物
木の曲線の美しさ、細かな造りが確認できる
少し山側にあるとはいえ長年の潮風に耐えてきた。
大きくはないが見事な拝殿だと思う。
戸をこじあけて賽銭を入れ、この後無事に帰宅出来るように祈願した。
2024年11月3日撮影
「漁場建築佐藤家」 *道南・道央の建築探訪NO77
ナビ「カクジュウ佐藤家」
この地区(歌棄、磯谷)は有数の鰊千石場所であった
その両場所、最後の請負人であったのが「角十佐藤家」。
最盛期には道内有数の大漁家と言われた。
この建物は2階建てで全17室、744㎡の大規模な鰊漁場建築であり網元の住宅である
漁夫たちの住まいは浜側に網元住宅と向かい合うように番屋が建っていたがとうに解体されている。
寄棟屋根の四方はわずかな反りを見せており
その上に六角形の洋風高窓がのっているのが特徴。
2階は洋風下見板張りに上げ下げ窓を連続している
1階は格子窓や下見板張りの戸袋などがうかがえる。
また玄関右手の部屋は明治34年まで歌棄郵便局だったという。
洋風窓や望楼など見どころありだった
現在はこの通りで見学などは出来ない
建物は「北海道有形文化財」
付近は「国指定史跡 旧歌棄佐藤家漁場」とされている
2024年11月3日撮影
「橋本旅館」 *道南・道央の建築探訪NO78
ナビ「そば処昌の家」
寿都町の現存する歴史的建物ではすべてが市内手前北部の日本海沿いにある
この旧橋本旅館は元々は鰊漁の番屋や網元の住宅ではなく
「仕込屋」と呼ばれた漁家に物資や資金を貸与する資本家、橋本家が造らせた商家である。
その後、旅館として活用された。
以前は主屋前に5つ、後ろに2つの蔵があった
現在は「そば処昌」が営業しているがどこからどの建物が以前からのものかというと下記の写真が古い建物と思われる
主屋と蔵
二つあるのは見たことが無い?
それ以外の建物は古い建物に併せて増築などしたのだろうか?
右側が主屋
これらも古い建物に見えたが・・・
隣接した展望台 他に広い駐車場があった
道路向かいの海に向かって「恵比須神社」と
江差追分の歌詞にある「”忍路高島およびもないが せめて歌棄、磯谷まで”」の石碑がある
これは諸説あるが、一つは神威岬以北和人の女人禁制だった元禄から安政の165年間、忍路、高島に出稼ぎに出る男衆を、せめて禁制ではない歌棄、磯谷までは見送りたいという女心を歌ったものというのと、
二つ目は鰊網元の忍路、高島ほどの石高はなくとも、せめて歌棄、磯谷くらいは稼ぎたい、という二つの説が有力と言われている。
2024年11月3日撮影
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