私のメルボルンライフ

メルボルンでの移住生活をのんびりと綴っています。

母乳強化合宿【システムと入院2日間】

2009-07-21 | オーストラリアで妊娠・出産
さて、長らく続いたオーストラリアで妊娠出産日記もこれで終わりです。
ここで、今回体験した妊娠出産に関しての医療システムの違いについて書いておこうと思います。

州によって違いがあるかもしれませんが、お産の際の病院の費用はすべて無料になります。時間外や緊急・無痛分娩・心音モニターなどの費用もかかりませんでした。

また、妊娠時の定期健診もお産する病院へ行き、特に医師・助産師などを選ばない場合は、検診料は全て無料です。更には通訳を入れる場合も無料だそうです。

これは公立病院のケースですが、これと違って私立病院を選んだ場合は、同じくお産する病院で、専門の医師が妊娠初期から分娩まで、その後は個室で5日間前後入院が出来るそうです。どちらかというと日本はこのシステムに近く、費用はその分必要になります。

ジュリアスを日本で産んだ時は、その後の入院期間がとても充実していました。部屋も広々、もちろん個別のバス・トイレ、アロママッサージやお腹の引き締め低周波、産後のビデオ講習、なにより食事、レストラン並みのカロリーも考慮された日替わりの豪華メニュー。最後の夕食はなんと赤ワインまで出てきて、同じ日に産んだ人達と乾杯なんかして、ホッとしたものです。

分娩後は母体の疲労を考えて、夜、身体がキツイ場合は新生児室で預かってくれました。これも大分助かりましたね。

今回私の場合はGP(一般医)で妊娠したとわかった後、お産の病院を選び、家から車で10分程の公立病院でした。

そこの病院の紹介で妊娠定期健診は、近所のクリニックで、専門の産婦人科医師がはじめから分娩まで担当してくれるシステムにしました。その場合は一貫して同じ医師ということもあり経過も把握してくれていて安心な分、費用はその都度メディケアの範囲内で必要でした。

実際にお産をする病院へは、病院ツアーやリフレッシャーコース・母乳コースへ通っていたので、陣痛が起こった際、病院までの道程や様子などは把握できました。

残念だったのが、事前に申し込んでおいた臍帯血提供のシステム。これは白血病や血液の病気を患っている方々・もちろん自分の子供にも役立ちます。

臍帯を切った後に冷凍保存するのですが、陣痛の時に担当者が来て、この後採血をしますね。と色々準備をしていたにも関わらず分娩が思ったより長引いたこともあり、後で聞いたらその担当者、時間で帰ってしまったそうです。1週間後に家に電話があり、どうやら今まで休暇をとっていたそうで、色々言い訳をしていましたが、本当にもうありえない!大分慣れましたが、お国柄?とは思いつつも一生に一回だけじゃない!!!あ~あ!悔やまれます。

ところで前置きが長くなりましたが、ここは公立病院なので、入院は4人部屋でした。2日間だけだし、まぁいいかなんて思っていたのが大間違い。

分娩後3~4時間はベットの上で安静にして、問題がなければその後シャワーを浴びて入院部屋へ移動します。

シャワーを浴びたらもう時間は夜の10時近くになっていました。家族は泊まれないので朝から12時間以上付き添ってくれていたニックも相当お疲れだったのか、目を赤くして家へ帰っていきました。お疲れ様そして、ありがとう。


その夜から魔の母乳強化合宿がはじまったのです。
その前に助産師さんがチラリッとこの子は大きいから母乳もいっぱい欲しがるだろうねぇなんて言ってましたが、泣き止まないので母乳をあげてみたところ、もちろんそんなはじめからは出ません。以前からおっぱいマッサージはしていたものの、産まれたばかりなのに、吸引がきつくものすごく痛い!でもギャン泣き!え~どぉしよう…
通常産まれたてってよく寝てくれるはず?なのに。すると助産師さんが見かねて、ササッとノアをラッピングしました。するとしばらくしたらスヤスヤと眠りはじめ、
「お腹の中で窮屈な格好でいたから、こうしてラッピングしてあげた方が落ち着いて眠るのよ」と、その後私はまだ覚醒されて眠れないものの少し休息ができました。

病院の食事は…というと主にはサンドイッチ、サラダ。一応リクエストカードがあって分量や内容は選べます。決して美味しいとはいえないお味。まぁ2日。2日。
こんな感じ。(フライドライス・サラダ・スープ・チョコムース)カロリーはどうなの?という献立。


次の日は、ジュリアスとノアの初顔合わせ。
少し照れくさそうに、嬉しそうに、そぉ~っと弟を抱っこしていました。


ちょうどお風呂指導もあったので、恐々とジュリアスも一緒にお手伝い。
「ジュリアスお兄ちゃんだねぇ。」「うん!」


日本の病院ではフォーミュラも足したりしていたけど、ここは完全に母乳だけ。
確かに初乳はかなり栄養価もあり、赤ちゃんに免疫がつき、飲ませることはとても大事だし、出来ればしばらく母乳を続けたいなぁとは思っているものの、やっぱりはじめは出ないものです。

なかなか出ない母乳を泣く度にあげていたら、既におっぱいはちぎれそうになっていました。それでも昼間は良く眠っていたのです。

2日目の夜。
夜10時頃、周りの皆さんもそろそろ眠る準備、さぁ私もトイレに行って寝ようかなぁなんて思っていた矢先、ギャン泣きがはじまりました。
痛いおっぱいをいくらあげても、まったく泣き止みません。
ベッドの上でずーーっと抱っこしていました。気付いたら夜中の1時。少し泣き止んでケースに置くとまたすぐ泣き始め、ラップをしてみてもダメ。他のベイビーは静かにしているのに。
トイレも我慢できなくなって、泣きやんだ隙にダッシュ!行く時にチラッとカーテンの隙間から見えた他のママさん。しっかりおっぱいをくわえさせていました。すごい!
帰ってきたら、ギャン泣きしているのは、やっぱりうちの子だ。
そのうちママさんからも「うるさいなぁ」というような溜息も聞こえてきて…あ~もうどうしたらいいのぉ~?私も泣きたいよ(ΩДΩ)

夜中の3時。ノアは一向に泣き止まず、完全にお腹がすいてる様子。ちょこちょこ助産師さんも来るんだけど特になんの助言もなく、仕方なくフォーミュラを頼みました。
こちらは、かなりストイックに母乳志向。誓約書にサインまでしてようやく20mlのフォーミュラをもらい飲ませたら、「ん?なんだこれ??」となんともいえない幸せな驚いた顔をした後、ノアは満足したのかスヤスヤと眠りについたのでした。

私は前回も3日目におっぱいが石のように硬く張って痛くなり、たぶんそれはホルモンの影響から準備が整ったというサインだと思いますが、産んだ後もこれでもか、これでもかという位痛みが襲ってくるのです。

人によってそれぞれですが、はじめの2~3日は20ml位、1週間目で50ml、3週間目くらいになるとおっぱいの痛みも軽減し、母乳もスムーズに出はじめます。

本当にこの入院は母乳に泣かされた2日間でした。

退院後は次の日から一日おきに3回、出張助産師さんが、母子検診や様子などを自宅まで診に来てくれます。

その後は、近所のマタニティセンターへ2週間後・4週間後・8週間後と出向いて、検診を行います。
それから予防接種もはじまるんだよな。

今週末で誕生から1ヶ月が無事に過ぎようとしています。ノアとの2人の時間を大切に過ごしている毎日です。
画像や動画ではこの時期のことは残せますが、ノアが誕生した直後に私の胸に置かれた時の匂い、新生児独特の匂いはもうこれっきりなんだよな。

懐かしいような、寂しいような…


tear or cut?【分娩レポート】

2009-07-17 | オーストラリアで妊娠・出産
皆さんお変わりありませんか?
私はかなり回復し、そろそろペースをつかんで通常生活に復活しようかなぁっと思って
はおりますが、まぁもう少しのんびりしています。


※今回は特に具体的な表現がありますので、痛みに弱い方や出産イメージの恐怖感をあおってしまう場合もありますので、該当する方はスルーして下さい。


※この場合の【tear】はテアー。引き裂く、引きちぎる、(皮膚などを)裂いて傷つける、裂傷を負わせる。などの意味があります。


さて、【tear】か【cut】か?についても検診時に事前にドクターに質問していました。

私の初産は日本の産婦人科でしたが、分娩の際特に聞かれもせず、その時はそんな余裕もなく普通に赤ちゃんの頭が出てきた際に、会陰を「パチンッ」と切られました。

押し出す時の痛みの方が大きくて切られた感覚はなく、全てが出た後、縫っている時は痛かったです。

だいたい赤ちゃんの頭囲は35cm~37cm、半径にしてもかなりの大きさです。

日本では、赤ちゃんを出す時にあらかじめ切った方が傷口の治りが早く、傷跡が綺麗になると聞いていたのですが、ここではどうもその処置はなく自然に裂けるかまたは上手くいけば裂けずに出てくるかのどちらからしい。

そこいら辺のさじ加減をドクターに質問してみたものの、どうも上手く伝わらなかったようで、「大丈夫!助産師さんが上手く誘導してくれるから切ったりはしないわ」っと。

「いやぁ~切ってほしいんですけど…」っと言ってはみたものの、そういう前例がないのか不思議顔をされてしまいました。

まぁ、その時の運を天に任せるか!私もかなり脳天気。

実際はどうだったかというと、裂けました。少し。

陣痛の最後の段階に入るとだんだんとお尻の後ろに圧力を感じはじめます。
これが堪えきれなくなってくるといきんで押し出すわけですが、

お決まりのフレーズ「ヒィ・ヒィ・フー」は、こちらではなんというのかもよく確認しないまま実践に突入。

意識が朦朧としてる中で、空耳のように聞こえてきた助産師さんの声…

いきみといきみの間でまだまだ押し出すな、待った!の時には、
パフ・パフ・パフ・・・」そして、
ストレッチィー」さぁ一呼吸おいてもう一度押し出す時には
プッシュー

押し出す感覚はなんとなく身体が覚えていたので、途中からその声に従うのみ。頭の中をこの3つの言葉がクルクル回っていました。

一回のいきみで5回程プッシュをトライ、それを15回程繰り返し、とうとう…

頭が半分出てきたようです。最後は麻酔もきいてなくもう張り裂けんばかり。
もう痛いとか言ってられず、ここまできたら押し出すのみです。

その後、頭全体→肩→が出て、一旦待った!その後はスルスルと身体→足とが出てきました。最後に赤ちゃんへ栄養を母体から送っていた胎盤が出てきます。
この頭が半分出てきたところから5段階くらい渾身の力を込めて振り絞ります。

その後、母と赤ちゃんを繋ぐ臍帯を切りますが、ここでようやくニックの登場で、助産師さんに切る場所を指示され無事臍帯カットの儀式も終了です。

最後に裂けてしまった部分を縫う時にベットから足置き場が出てきてましたが、出産の時は特に補助なしだったこともあり、更には麻酔もきれてしまっていたこともあり、今回は自分で押し出した感を体験しました。

母体もかなり痛みを感じますが、それと同じく回旋しながら下りてくる赤ちゃんも頑張ってるんですね。

体重は4050gとかなり大きかったけど、出てくる時を見ていたニックの話によると頭を斜めにして出てきてくれた事と、助産師さんの誘導が上手かったので、大きな裂け目もなく、乗り切れたんだと思います。

【tear】と【cut】どちらがいいとは言えませんが、初産の時はその後1ヶ月程は座るのも苦労し、痛みもかなりあったけど、今回は2週間程痛み止めを飲みながらではありますが、回復は早かったです。

毎回長文ですが、ご一読ありがとうございました。

長きにわたり出産レポートを読んで頂いて本当にありがとうございました。
この後、母乳強化合宿【入院2日間】で最後になります。
 

Noah-生後3週間、身長3cm(55cm)体重200g(4200g)増えました
 たまに笑ったりもします。

鉄の扉【陣痛~出産まで】

2009-07-11 | オーストラリアで妊娠・出産
しばらく更新ができませんでした。

産後は1週間目は長く苦しかった妊婦期間が終わり、気分も晴々、更には出産の緊張から解き放たれ精神的にも高揚していたのか、調子も良く普通に家事をこなしていたら、やはり2週間目くらいから、後陣痛や悪露が酷くなり、少し休息が必要でした。

産後21日間は、静養ですね。今は平気でもその間に無理すると老後に弊害がくると言われています。

さて、前回はあの【アリゲーター】の登場まででしたね。

わかりやすく説明すると先がワニの口のようにジグザグになったものでした。

【アリゲーター】写真参照


実際私はドクターの施術は見えないので、助産師さんとドクターの会話から計り知ることしか出来ませんでしたが、挿入して何度か羊水を覆っている膜を割る際に、

ドクター「う~ん、髪の毛はついてくるんだけどねぇ」助産師さんに「ちょっとお腹の上の方から押してみて」するとようやくワニの口に引っかかったのか、

ドドド…ドブンッ(こういう表現がぴったりでした)と押し寄せる波の様に膜が割れて羊水が出てきました。

一先ず「ふぅ~」もうお産が終わった気分!


人によって痛みを感じる度合いには違いがあるとは思いますが、もともと痛みには弱い自分。よく産後は陣痛の痛みなんて消えちゃうものよ。なんて言いますが、私は今でもジュリアスの時の忘れもしない壮絶な痛み、あの悪夢の9時間を思い出すと下腹にずーんときます。

そんな酷い経験から今回は検診の度にドクターに「無痛は使えますよね」と念を押していた。

無事に破水した後、次は【陣痛促進剤】の点滴をして陣痛を起こしてから【無痛】の麻酔を入れるか、先に無痛分娩の処置をしてからにするか聞かれたけど、今思うと先に無痛の処置をしておいてもらって良かったと思います。

【無痛分娩】とは脊髄より下半身のみの麻酔を入れます。
麻酔師が来て、その処置をしてもらうのですが、旦那が見学した感想ではかなり太い針を背中に10cm程さして、チューブを通すというもの。

その際もし足がしびれてきたらすぐ知らせて下さいとのことでした。針をさす際に背中に鈍い痛みがありましたが、約20分~30分くらいでしょうか、終わった後は痛みもありませんでした。

ただ、【陣痛促進剤】や【無痛分娩】をするリスクとして、手の甲にこれまた直径2mmはある針の点滴や(ドクターが一度失敗し違う場所に2度さされるはめになりました)脊髄麻酔、更には下半身の感覚がなくなる為、尿道にチューブを通したりと、しばらく身動きが取れなくなることです。人によっては、脊髄麻酔の影響からか下半身がしばらくしびれる場合もあるそうですので、陣痛・分娩の痛みは感じなくなりますが、良く考慮も必要かと思います。

朝9時過ぎにこれらの処置が始まり、11時半頃から徐々にモニターの陣痛の度合いが強くなってきました。私の場合最高で140、はじめは60くらいから始まりました。

助産師さんがまめに無痛が効いているかの確認の為、頬にアイスバーをあてその感覚を基点として、左腹→左足→右腹→右足と感じ方をみていきます。

でもどうも右半身が普通にアイスバーをあてられても冷たく感じ、麻酔が下半身全体には効いてこなかったようです。

実際陣痛の痛みはというと、モニターが140をさす時も、お腹が固くなる感覚のみで殆どあの波の様に訪れる痛みは感じませんでした。

これだったら乗り切れる!助産師さんの「どぉ?大丈夫?」の問いかけにもまだ元気に笑顔で「大丈夫!もうすばらしいです!!!」くらいの余裕でした。

予想では午後3時半位には、出産だったのですが、段々とその頃から麻酔が効かなくなってきた様で、あの悪夢の痛みが押し寄せてきました。
それでも1時間半~2時間位の痛みで、噂には聞いていた笑気ガスも吸いまくり、それでも途中我慢できなくなって麻酔も再度注入してもらい、少し痛みはやわらいだものの、4時過ぎ辺りからようやく最後の山場、分娩に向かいます。

この陣痛の間、他の部屋では何度か誰かの悲鳴が轟き、その声を聞いてるだけでも怖くなり、その後新生児の泣き声も聞こえてきて、「あ~また産まれたんだなぁ」と嬉しくもあり、早く自分もそこへ辿り着きたいという一心でした。

どうりで陣痛室の鉄の扉、ここにあり


出産レポート【陣痛に至るまで】

2009-07-04 | オーストラリアで妊娠・出産

誕生報告ではたくさんのお祝いメッセージを頂き、本当に本当にありがとうございます。とても励みになります!
現在産後1週間が過ぎ、自分の身体の回復と、お腹をすかせたベイベーへのお世話の毎日で、お返事が遅くなってますが、のんびりと見にきて頂ければ嬉しいです。




さて、出産レポートを…日に日にリアルな記憶が薄れてしまう前に。

38週時点でもういつ出てきてもOKのお墨付きをもらった後、もう毎晩ドキドキの日々。
今思うとまだまだこんなんじゃ序の口でした。

予定日1週間前。さすがに歩くことさえも儘ならなくなってきてしまいました。夜も明け方まで眠れず、たぶん2・3時間睡眠だったと思います。

身体が動けないので精神的にもイライラするし、あの時はもう普通に歩いて、普通に外出して、普通に眠れてを、家の中で悶々と切に願っていました。

予定日にもなんの変化も起こらず…その翌日は定期検診の為クリニックへ出掛けると今回から内診もあり、産道は柔らかくなってくるけど、まだ子宮口は開いてないそう。

一般的に予定日を2週間以上過ぎると胎盤の働きが悪くなり、赤ちゃんに酸素や栄養が届かなくなる為、私の場合予定日を過ぎた頃から心なしか胎動が鈍くなってきているようだったので、次の日から2日おきに赤ちゃんの心音のモニターチェックに行くことになりました。

このモニターチェックは30分程リクライニングチェアーに横になって、お腹の2箇所にモニターをつけます。赤ちゃんも元気で順調でした。

予定日1週間過ぎた検診では子宮口が指2本分開いていて、赤ちゃんの頭も下がってきているそう。だいぶ刺激を与えてくれたようで、うまくいけば48時間以内に破水するでしょう。とのことでだいぶ期待満々!家に帰ってからかなり辛かったけど少しでも動いた方が良いし、母も来ていることだし、この日はとても天気が良かったので【スカイハイ~メルボルンが一望できます】へ。

この時前駆陣痛だったのか行き帰りの車の中で30分に1回はかなりの痛みを感じていたのです。「おぉぉ~今夜こそくるか!」と不安が募りました。

しかし、家に帰って落ち着くと痛みも過ぎ去り、翌日また普通に夜が明けました。

さて、4回目のモニターチェック。この時は規則的に前駆陣痛もきているようでしたが、私自身はあまり感じることなく、ここまでくると自然に陣痛が起こりそうもないような気がしていました。

48時間以内に何も起こらない場合は、【人口破水】をすることになってしまいました。

そして、当日の25日の朝。やっぱり何も起こらないまま、予定通り早朝病院へ電話をして、朝ごはんを済ませて8時に病院へ到着。

私のお産を担当してくれる助産師さんが陣痛室へ案内してくれて、今までの経緯と前回のお産の様子などと、最後に「気分はどぉ?」との質問に、私は素直に「恐い、恐い」と連発していました。この陣痛室は鉄の扉で仕切られていて、外に音がもれないようになっていました。

9時前頃、クリニックの担当ドクターが到着。ササッと着ていたコートを脱ぎ、カバンと一緒に片隅の椅子に置き、さぁそのまま開始。いつも診てもらっていたドクターなのでちょっと安心でもありました。

それでもいきなりの展開に、

「あ~人口破水って痛いのぉぉぉ~???」(心の中で必死に叫んでおりました)

助産師さんに、金属の細長い先がフックになった形状のものを指示し、いざ挿入。

なかなか上手くいかないようで何度か試していましたが、断念。痛みはほとんどなかったように記憶しています。

次にドクター「アリゲーター」と助産師さんに指示。

「ちょ、ちょっとぉぉ~アリゲーターってワニ???何よぉ~ひえぇぇぇ恐いよぉ~」(心の声は高まるばかり)

長くなってしまったので、続きはまた次回。





☆Baby Noah 誕生☆

2009-07-02 | オーストラリアで妊娠・出産
前回の38週から誕生まで、永遠とも思われる長い日々…を乗り越えて予定日から9日過ぎ



NOAH (ノア)・琉世(リュウセイ)

~NOAHという名前は休息や安楽を意味し、聖書の「ノアの箱船」からきています~

2009年6月25日(木曜日)17時05分

体重 4050g

身長  52cm

275日間お腹の中で一緒に過ごした第二子、無事誕生しました♪




妊娠期間中から誕生に至るまで、たくさんの励ましやご心配を頂いて本当にありがとうございました。


今回オーストラリアで初の出産の為色々不安もありましたが、記憶が鮮明なうちに

陣痛に至るまで~陣痛の様子~出産~入院(2日間)について記していこうと思います。

もちろん100人の女性がいれば100通りのお産があるわけなので、これはあくまでも私のケースということで。

とっても純和風顔のNOAHお披露目です!


今後ともどうぞ宜しくお願い致します。